霊刀を「貸与」されてからしばらくして、中学二年生の冬。
周囲が生まれて初めての受験を意識し始めるなか、人生二週目の私にとっても、それは同様だった。
幸いにして、私の生年は「彼ら」と同じ。
そうして私は呪力及び術式を有し、呪霊討伐に身を投じる呪術師だ。呪術高専に入学する条件は満たしている。
ただ――最大の関門が、父だった。
フリーランスの呪術師として活動する父は、呪術界と全くかかわりを持っていない。
呪霊関連の依頼は「私立探偵」として事務所を構える叔父(見えるが払えない人)から引き受けているため、一切のコネがないのだ。
なにかあるな、とは踏んでいた。そのためまずは、父ではなく叔父・礼司にアプローチをかけた。
「ねえねえ、素朴な疑問。呪術師の学校とかないの?」
事務所の応接スペースで学校の宿題をしながら、デスクで仕事をしている叔父へと声をかける。
叔父はパソコンの画面から目を離し、こちらに視線を向け、ああ――と口ごもった。これは何か知ってるな。
「あるにはある、……けど。お父さんからなにも聞いてない?」
「なにも」
「んー……そっか」
礼司はしばらく考え込み、ふと――懐から財布を取りだした。すっと抜き出したのは、諭吉さん。
「雪名。おいしいものでも好きな漫画でも、」
「桁が足りない」
「……臨時ボーナスいっちゃう?」
金庫を開けようとする叔父に、私は確信した。魅力的な誘惑は断固として断り、いざ父へ。
なにかあるとは踏んでいたが、その「なにか」。あまりにも根が深かった。
閉め切った事務所に、私と父と叔父。
叔父は苦り切った顔つきで、げんなりとしている。もしかしたら壮絶な兄弟喧嘩か、一方的な叱責だかがあったのかもしれないが、それは関係ない。
険しい顔をした父は、開口一番にいう。
「雪名には教えてなかったけど、呪術師には呪術師のコミュニティがある。でもうちは、ご先祖様が呪術師デビューしたときから、呪術界とは一切没交渉を決め込んでる」
でしょうね。門外不出の術式だからね。
わが一族が太古の昔から操る、名前もついていないこの――「因果律干渉術式」。
他人に知られれば、特に呪詛師がらみで悪用されると、この世の終わりだ。だから徹底して秘匿した。
天皇家にお仕えしていた大昔だって、時の帝しかこの術式については知らなかったほどに。
「昔は呪術師同士連携して民草を守っていたんだけどね、それも今は昔だよ。世襲につぐ世襲で、奴らは自己保身と権力維持のことしか考えてない。腐った組織だ。お父さんはね、呪術界のことは一切信用してない」
「……なにかあったの?」
私の問いに、父は少し口ごもって――叔父に視線を流した。叔父がうなずく。
「雪名は聡いから、変に隠すと危険だよ」
「そうなんだよなぁ……誰に似たんだか」
「お義姉さんじゃない?」
「……。じゃあ告白するけど。俺が雪名くらいの時も、呪術高専……呪術師の学校なんだけど、ここからスカウトが来た。その時、術式について開示するよう求められたんだよ」
父の様子からすると、ただただ『術式~教えてよ~』ってノリではなかったのは見て取れる。
「秘匿しているとは言っても、うちは一家操業の零細企業だからね。依頼をこなす時に、どうしても組織的な隠蔽ができない。『妙な術式を使う術師がいる』っていう情報を、呪術界はキャッチしてたんだろうね」
「なるほど。んで、やくざのカツアゲみたいに取り立てられたの?」
「話が早くて助かる。昔は今以上にそういうところ緩かったし、うち、早くから母子家庭だったからさ。術師じゃないばあちゃんが、うまく丸め込まれそうになった」
「それで、不信感しかないと」
「いやもっとクズエピソードあるよ。……あいつらさ、俺の術式を試すために、わざと呪霊をぶっ放しやがった。礼司の左目、そのときの後遺症だよ」
「わお」
叔父は幼少期の『事故』で頭を強く打って、左目の視力が著しく低下したと聞いている。……なるほど、そんなクズエピソードが。
それは確かに、不倶戴天の敵たりえるかも。
「……たしかに、それはそう」
「だから俺は、絶対に関りを持ってほしくない」
――これは詰んだ。
この具体的なエピソードの後に、呪術高専行きたいは通用しそうにない。しかし、あきらめるわけにはいかない。
「……それでも行きたいと言ったら?」
「理由」
「呪術というものを、もっと体系的に、多方面から学びたい」
「それなら今以上に勉強漬けにする。依頼と勉強こなしてたら、どこまでも深く学べるよ」
「いや、中卒呪術師に未来はないよ。だいたい、呪術師じゃ食べていけない。報酬は受け取れない決まりでしょ」
「雪名が自立したら、掟にしばられずに生きればいいよ」
「叔父さんが仕事できなくなったら、コネがなくなる」
「コネは全部雪名に引き継ぐし、今後は一等地に土地を買う予定があるから、不労所得で暮らせる。のんびり術師をやればいい」
ここまで手段を封じてくるとは……ッ!
しかしまだだ、まだあきらめない。
「……同年代の呪術師たちと、切磋琢磨したい……」
「どうしても行きたいっていうなら、」
父が立ちあがった。
「お父さんの屍をこえてゆきなさい」
その日――遠野家所有の山で、親子間による壮絶な死闘が繰り広げられるのだった。
そうして勝ち取った、呪術高専への入学――。
私は呪力パンチどころか術式を駆使し、自分よりも経験豊富な父に辛勝した。父は術式の操作では私に劣るため、どうにかなった次第だ。
「じゃあもう、お父さんも東京出るから」
顔面を腫れあがらせた父が、不貞腐れ気味に言った。
五十路の声も聞こえる大の大人が、頬を膨らませる絵面は地獄。……まあ、腫らしたのも、ふくれっ面をさせたのも、原因は私だが。
「無理だよ。お父さんが出たら、叔父さんの仕事誰がこなすの」
「……だって寂しいでしょ……」
「子離れしなよ」
「親離れが早いよ。あと二十年は一緒に居たかった」
「それはもう自立できてないのよ。やばいって」
「ま、呪術師なんて社会不適応者だよ」
「お父さんがそうってだけで、私は社会に適応していくよ」
「いよいよ毒舌な子……」
荷造りをする私に、父がいじけた視線を送り続ける。
始終超えた大人がそれは、ちょっとばかり引くわ。しかし構っていられないので、手は休めない。
そんな私の背中に、父は大仰に溜息をついてみせた。
「雪名ちゃん。分かってると思うけど、」
「術式頼みの運用はしない。呪力操作で払う。ミーケさんは大事に扱う、たまに研ぎ師さんに見せる。でしょ、分かってる」
「『術式について』は?」
「……絶対に口外しないって、すでに縛りを結んでる。みすみす術式も呪力も失うような真似、しないよ」
――呪術高専へ進学するにあたって、父と結んだ協定のひとつだ。
そこが父の妥協点だったが、私にとってもそれは異論のないものだった。
私だって、自分の術式について、細部までは理解していない。
よく分からないものを、他人の手に渡らせるのはあまりにリスクが大きすぎる。
あるいは私の大義――これからなそうとしていることは、他人に知られるのがもっともまずい。だから、徹底して秘匿する。
縛りとは、術式を格上げする際に使われるが、私の場合は真逆。でもそれでいい。
余人に打ち明ければ、呪力ごと術式を失う――。これくらいでちょうどいいのだ。
そうして迎えた、入学式当日。
ニヒルを気取っている私でも、さすがにこれはわくわくした。
だって、呪術高専……しかも、あんなキャラやこんなキャラと出会える……なんてもんじゃない、お近づきになるビッグチャンスだ。
崇高なる使命も忘れて、胸を弾ませながら飛び込んだそこで――
「お前の術式、なんか気味悪ィ。なんなんだよそれ」
学生にしては長身な、まばゆい白髪の少年に、壁際においやられて絡まれているという、この状況。
しかも黒塗りサングラスを外して、六眼全開(?)で睨まれているというのは、あまりにも恐ろしすぎる。
こんな壁ドン、あまりにも不本意すぎる。
「えっ……あー……その。じゅ、術式、ですか?」
声が裏返る。
嘘だろ。まだ最強でもない高専入学したての若造に、こんなにもビビり散らかされるなんて。
いやでも、怖いものは怖いのだが。
少年――まだあどけない顔立ちをした五条悟は、あァ? とすごんでみせる。
いやいやいや、しょっぱなから敵意むき出し過ぎない?
「お前を起点に、なんか変な線がいっぱい出てんだよ。蜘蛛の巣みてえに。見たこともねえ術式だ。なんだって聞いてんだよ」
それはあれ、因果律の線です……なんて言えない。
そうか、六眼を通すと私が見ている因果律を視認できるのか。でも、その正体までは分からない。因果律は術式を扱えるものにしか、意味を理解できないから。
なるほど……。
と、場違いな納得をした横で、脳裏でひらめきが走る。
ならば、術式をOFFにすればいい! そしたらその線が消えて、彼の不快感は軽減……
「……あ、消えた。見られちゃまずいと思って消したのか、ンぁあ?!」
しないのかよ、何でキレるんだよ! 気味悪いって言ったから消したのに!!
さながらヤクザみたいな勢いで絡んでくる五条少年に、ひぃい……と身をすくませていると、天の助けか――彼の肩をたたく者があった。
「悟。女子相手にヤクザみたいな絡み方、よくないよ。怖がってるだろ」
五条少年と同じくらい長身の……穏やかな声と、表情。特徴的な前髪と福耳は、まがうことなき――。
「ッ。でもこいつの術式、見たこともねーんだよ。もう見えねえけど……俺もお前も、なんかこいつと線でつながってんだぞ? 気持ち悪いだろ」
「運命の赤い糸……じゃあるまいし。ねえ、」
五条少年を軽く押しのけて、彼が迫る。
瞬間、OFFにしたはずの術式が――再起動する。
あ、だめだ。いけない。
そう思ったのもつかの間、私は無意識のうちに彼の線に触れてしまう。いや、無意識になんて言い訳だ。きっと――知りたかったから。彼が『ああ
』なってしまうわけを。
――因果律。過去と、未来。
さまざまな記憶とこれからの「あるかもしれない」未来の断片が、堰を切ったように流れ込む。
――いいかい、悟。術師は非術師を守るためにある。
――それじゃあアナタが家族だ。
――私達は最強なんだ
――術師やっていけそうか? 辛くないか?
――生き方は決めた
――後は自分にできることを精一杯やるさ
自分のものではない感情。自分のものではない記憶。
激しい奔流が荒れ狂い、ぐるぐると脳裏を駆け巡る。駆け回るうちに、自分と他の境界があいまいとなり、自己が薄れていくような、奇妙な感覚が。
――このままでは、「私」がどこかへ行ってしまう。
(だめだ、これは……)
術式を切ろうとするのに、できない。
「っう、……」
「……大丈夫?」
彼が一歩前に出た。
来ないで――そんな私の願いもむなしく、こみ上げる吐き気と不快感は待ってくれない。
「っっっきったねぇえ!!」
「…………」
善意で歩み寄った夏油傑の、おろしたてだろう制服の――胸元に。
私は盛大にゲボを吐いてしまったのだった。
――僕の善意が壊れてゆくまえに……
優しい歌声と盛大な絶望感とともに、私は意識を手放した。
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