嗅ぎなれたタバコの匂い。いるな、と思ったらやっぱりいた。麗しの君。
「またエナドリ?」
ベンチに腰かけて紫煙をくゆらせていた硝子に、無言でブイサインを送る。
「硝子ちゃんは、いつもの?」
「悪いね、いつも」
ガシャン、と音を立てて出てきた缶コーヒーをぞんざいに投げると、彼女はナイスキャッチ。アイスだったそれは、いつの間にかホットになっている。
私もいつものエナジードリンクを買って、飲み口をシャツの裾で拭き上げながら隣に座った。
「課題?」
「そ。最近いよいよ任務が立て込んでてさ」
「……最近、夏油との任務。多いね」
プルタブを起こして、口をつける。体に悪そうなシュワシュワ感がたまらない。壁にのけぞるようにして背中を預けると、――天を仰いだ。
五条悟が無下限呪術を使いこなしつつある今、彼の単独任務が増えた。そうして、私が単身、夜蛾先生の元へと乗り込んで談判した結果だ。
「火力は向こうの方が上だけど、現場慣れしてるのは私だからね」
「先輩風、吹かしてんだ」
「そゆこと」
ほんのりと沈黙が落ちかけた時、――硝子が口を開いた。
「夏油、どう?」
「落ち着いて見える。もともと『そう』だからね」
「そっか」
私は知らない、星漿体護衛任務。硝子もまた、直接の関りはなくともどういうものだったは知っている。
そうして、彼女もまた夏油を気にかけているということを。
「……私はさ、現場に赴くことはほとんどないからさ」
――無力感、だろうか。どこかやるせない声を聞いて、私もまた同調せずにはいられなかった。
「あんたはさ、……分かりにくいけど。それでも、話してくれるじゃん」
ふーっと煙が吐き出される。そこには明らかに溜息が含まれていた。
「男ってさぁ……。アウトプットしないよね」
「それは思う。なんだろうねぇ。男たるもの黙って背中で語れって?」
「はいはい、ジェンダーお疲れ。それで溜め込んでつぶれちゃったら、意味ないのに」
「まあそれはね……。狩猟時代の名残かな。獲物を追い詰める時、無駄に喋ってたらタイムロスするし、勘づかれちゃうし」
「うわ出た。雪名の本質論」
「でもね、だからってそのままにはしない」
――彼を孤独には置かないと決めた。
それが、私の任務にも彼を連れまわすことと、なにかとあれば声をかけて、些細なサインもキャッチするということだった。
「今の雪名。……ひとりでいる子を放っておけない、学級委員長みたい」
「あ、バレてた?」
「バレバレ。五条が『雪名が傑を落としにかかってる』とかって、ニヤニヤしてたよ」
「あんの馬鹿。ほんと馬鹿。馬鹿っつーか莫迦」
……君が置いて行っちゃうからだろ、ボケ。
かすかな舌打ちが聞こえたのか、硝子は笑った。
「いつだったかな。……あいつ、あんたのこと『自分たちのことを計算外に置いてる』みたいなこと、言ったんだよね」
それはなんていうか――というか、ストレートに、言い得て妙というか。その通りというか。
馬鹿なこと言う割に、そういうところがちゃんと見えてるのが憎い。憎らしい。
「結構おせっかいだけどね、雪名」
「田舎者はおせっかい焼きが多いのさ」
「……そんなこと、ないよね」
どこか――ほんの少し、伺うような。いつになく弱気な彼女のトーンに、どきりとさせられる。
それってつまり、どういうことだってばよ。
「いやだから、おせっかいだって」
「知ってる。……あんた、目的のためなら自己犠牲もいとわないタイプじゃん」
「いや、ただただ自爆はしないよ。そこに、」
「意味があれば、納得できれば。犠牲に出来るんでしょ」
硝子が、吸いかけのタバコを灰皿に押し付けた。
そうして――ぐるりと、顔が強引に横に向けられる。そこに、彼女の顔が迫っていて。至近距離でタバコの残り香がして、もっともっと、ドキッとする。
「あんたのそういう生き方、分かってるつもり。言い訳こさえるのがうまいことも。腹立つけどさ。……でも、約束。忘れたわけじゃないよね」
「っ……硝子の、納得できる言い訳をする。でしょ」
「……変な風に、ならないでよ」
そう言って硝子は手を離した。そうして、二本目だか三本目だかに火をつけた。
私は正面を向くことができないで、ただただ、彼女のそんな所作を眺めているばかり。
そんな中、硝子は一拍遅れて、あ、と呟いた。
「……今、硝子って言った」
ちらりとこちらを向く。そうしてどこか勝ち誇ったような――それでいてどこか子供じみた、晴れやかな笑みを作ってみせる。
「あんたに呼び捨てにされるの、悪くない」
その笑みが、あまりにも可愛くて。屈託がなくて。
思わず彼女の指から、そっとタバコを抜き取って自分の口へと運ぶ。『一週目』ぶりに吸ったそれは、苦くて、でもちょっとどこか甘いような。
目を丸くする硝子に、ニッと笑って言ってやる。
「ありがとね」
二口めを吸い込んだとき――何かが偶然にヒットして、猛烈にむせた。めっちゃかっこ悪い。
爆笑する硝子の声を聞きながら、思う。
やっぱり――この人たちを、守りたい。幸せにしたいと。
パソコンを開くと、叔父からメールが来ていた。調査以来の進捗状況の報告。
まだまだなんの進展もない。
冥さんからも、同様。
――残された猶予は、あと少し。
整頓された自室を見回して、ため息を吐く。ロウテーブルの上に、いつか撮った四人の写真がある。
「……やるよ。やり遂げてみせる」
――硝子の懸念をよそに、私と夏油の間には、ほんの少し。変化があった。
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