百夜通いに足りぬ - 1/8

 近頃、奇妙な夢を見る。
 そのせいで眠りの浅い日々が続いていた。
 寝ても悪夢に苛まれ、一向に身体が休まった気がしない。これはおかしい、と審神者は思った。思わざるを得なかった。
 夢を見ているというのはつまり、レム睡眠に入っているということ。レム睡眠は夢を見る代わりに、骨格筋が弛緩して身体的な休息は取れるはずである。その代わりに脳の休息はとれぬが——否、ともかく、奇妙な夢を見るせいで身体的にも疲労がたまっていた。
 奇妙。
 否、実を言えば――怖い。
 怖い夢だ。しかしそれを怖いと認められぬのは、彼女の持ちうる矜持が邪魔するとともに、夢に登場する人物にも原因があろう。
 毎夜見る悪夢に登場するのは、刀剣男士・髭切。源氏の重宝であり、穏やかでのほほんとした彼が、彼女の安眠を妨げる元凶となってた。
 刀剣男士、つまりは彼女の配下であり、一番近しい存在だ。だから、そのような存在であるはずの髭切に、夜も眠れぬような「恐怖」を覚えるのは道理が通らない。審神者はそう思って認めることが出来ないでいた。
 しかし――怖いものは、怖いのだ。

 

 夢の中の髭切は、こちらに背中を向けてばかりだった。
 当初、それが髭切とさえ審神者は気づかなかった。ただ、遠くにあるその背中になにがしかの違和感を覚えたばかりで。
 漆黒の闇夜に、発光せんばかりの純白の背中を晒して彼はいる。
 審神者は執務室か、はたまた縁側にでも座って庭にいる彼の様子をぼんやりと眺めていた。
 当初は輪郭のぼやけた背中だったのが、だんだんと輪郭を明確にし、ついにはそのかすかな挙動も見えるまでになった。しかし何をしているかは分からない。髭切はこちらに背を向けて、熱心に何かを刺している。何を刺しているかは知らない。
 と、髭切の動きが止まる。
 ゆっくりと彼の頭がうごく。――こちらを振り返った。装束と同じように真白い頬は、血に汚れていて。

 それだけの夢であるというのに、それだけの夢が彼女を容易に眠らせないほどに追い詰めていた。
 先日など、後ろから髭切に声をかけられたときにぞっとしてしまったくらいだから、相当夢の影響を受けていると見える。
 びくりと体を震わせた主を前に、何も知らぬ髭切は「どうしたんだい?」と不思議そうにするばかりだった。彼には何ら問題はない。
 勝手に恐怖する審神者の心にばかり問題があるというだけで。
 しかしこうなると、審神者としての業務にも差し障りが出始めていた。
 夜間に十分な休息が取れないため、昼間に眠気がくる。しかし昼間には大量の仕事がある。勿論、当本丸では刀剣男士たちが優秀だったから、ある程度は彼らに任せてもうまくまわっていく。
 しかし、どうしても審神者自身でなければならないような仕事というのも、勿論存在した。そうしたときには、どういった事情があれど彼女が出るほかないのだ。

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