最期の瞬間 - 1/4

 初めて出会ったときがどうだったかは、覚えていない。
 ぼんやりと記憶をたどっていくに、いつの間にか募っていったものと思われる。本丸に入城して初めて目にした雪が、雪見障子のガラスの向こう側で、ゆっくりと降り積もっていったように。
 本丸の雪景色はきれいですよ、とこんのすけが言ったのを覚えている。降り始めは弱く、鈍色の空から舞い降りた雪は地面に落ちては溶けて消え、こんな調子で積もるのだろうかと不思議に思ったが――管狐の言葉のとおり、ちょっと目を離した隙に外は、一面の銀世界とさまがわりしていたのだった。
 審神者のにっかり青江に対する恋心というのも、そのようなものだった。いつの間にか思うようになり、恋うる心は満ち満ちて、目に映る世界もまた一変した。鮮やかで美しい、極彩色の世界となった。
 いつの間にか好きになっていたものだから、彼のどこが一番好きなのかと問われると、審神者は返答に窮した。
 顔。声。体つき。性格。匂い。ありとあらゆる彼の姿を思い浮かべて、しかしどれもこれも好きなのだなぁ、と優柔不断なことを思ってしまうほどに。
 その場に彼がいるだけで、たとえ何をしていなくても、ただただそこに生存しているだけで、否、彼の気配や名残を感じるだけで、好きだ愛おしいと思ってしまう。まったく、にっかり青江というのは審神者の「好き」そのものだった。
 なんで彼なのだ、刀剣男士は何十口、もはや百に近いほどたくさんいるのに。しつこく問うてくるものがあって、審神者は随分悩んだ。
 確かに、恋する相手はなにも、にっかり青江でなくてもよかったのだ。彼よりもっと付き合いの長いもの、仲の良いもの、審神者に優しいもの、もっと率直な好意を向けるもの……たくさんいる中で、どうしてあえてにっかり青江なのか。
 いかんせんいつの間にかはじまっていた恋だから、これと断定することはできないが、ひとつだけ――。彼を好意的に思うようになった、きっかけとなる出来事が存在する。
 そろそろ寒さに備えはじめる秋の中頃、心地よい陽気の昼下がりだった。残務処理のため前日、前々日と夜更かし続きだった審神者は、執務室でこっくりこっくりと船をこいでいた。夢とうつつのはざまで、とろりとろりと微睡みに身をひたす気持ちよさは、何にも代えがたい。
 目が覚めたときには、空気が少し冷え始めていた。空も次期に夕焼けに染まろうかという色合いで、そこそこの時間を無駄にしてしまったらしい。なかば絶望的な気持ちで頭を上げたとき、肩から滑り落ちたものがある。にっかり青江の学ランだった。
 いつの間にと思ったが、机の上に何点か報告書が積まれていたのを見るに、うたたねしている間に何口かが執務室を訪れたのは明白だった。居眠りしているだらしない主に、しかし風邪を引かれるとやっかいかと思ったか、かけてくれたらしい。
 申し訳なく思いつつ、なぜだか審神者は学ランに袖を通した。脈絡はない。だらしない主であることは周知されてしまったのだから、この際もっとやってやれ、くらいのことを思ったのである。
 にっかりと審神者の間に、さほど大きな身長差はない。それなのに、袖を通した学ランは大きかった。袖なんてたくさん余って、肩の位置も合わない。
 彼が纒っているところを想像し、そんなに余裕がありそうな感じでもなかったのにな……と思ってしげしげと余った袖を眺めていたところ、
「随分と可愛らしいことをするんだね」
 そんな声がかけられて、審神者はワーッと叫んで飛び上がってしまった。もっとやってやれと大胆なことを思ったわりに、後ろめたさはあったのである。
 ブカブカの学ランに袖を通し慌てふためく審神者を見て、にっかり青江はくつくつと笑い声をあげた。今まであまり見たことのない笑い方だった。意味深に、ミステリアスに、含みがあるようなそれではない。屈託のない、クリアな笑い方だったと審神者は記憶している。

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