「主、ハグして」
いきなりやってきたかと思えば、両腕を広げてそんなことを言い出したのは姫鶴一文字だった。
「……え?」
意味が分からなくて、審神者は聞き間違いかと思って聞き返す。
「ごめん、なん……なんて言った?」
「だから、ハグしてって言った」
ずいと一歩踏み出して姫鶴が言う。
「え、ハグって……抱擁のことで合ってる……?」
まさか横文字の意味を理解せずに適当に使っているのか、という線でせめてみるが、
「合ってる。四の五のいいから、さっさとおれのことぎゅーってして」
「え……ええ……?」
腕を広げたまま、彼はすたすたと歩いてとうとう――審神者のデスクの横側、椅子のすぐそばまでやってきた。ほら、と催促され審神者は訳が分からないまま両手を伸ばすが、
「立って。それじゃできない」
と厳しいダメ出しを受け、はい……と椅子から立った。
こうして近くで並ぶと、姫鶴も背が高い。見上げるほどの長身と美貌の面に恐れおののいていると、ハグ、と姫鶴が腕を広げたまま再三にわたる催促をしてきた。
未だにわけが分からないまま、しかし審神者は首を傾げながらおずおずと両手を広げて彼への距離を縮め、そっと胴体を腕で包み込んだ。距離が近づいた瞬間、濃厚に彼の匂い――いい匂いだ。ブランドは不明だが、意外とゴリゴリのメンズ香水でどきっとした――がして腰が引ける。
「もっと」
強く、と姫鶴が駄目だしをする。すでに気が引けている審神者であったが、怯懦をこらえて腕に力を籠める。
「腰が引けてる。もっとこう、」
姫鶴の手が背中に乗ったかと思えば、ぐいっと押されて彼の胸板に上体が押し付けられる。
「っっ……え、えっとですね……、なにこれ」
「だから、ハグ」
「それは分かんだけど、なんで……?」
「ぎゅーってしてほしいから。主、もっと気合入れてよ。そんなんじゃ全然ダメ」
「ええー……」
訳が分からないなりに、このままではだめだと気づき、審神者も恥を捨ててぎゅっと腕に力を込めた。お望みの通り胸に顔をうずめる勢いで(ファンデーションがつくと困るので、顔は横に背けてなるべく触れないように努めて)、まるで運命の再会を果たした恋人同士のように――。
(めっちゃ恥ずかしいなにこれ……)
上背があるのは分かっていたが、刀剣男士の例にもれず姫鶴も意外といい体つきをしているらしい。しかも、髪までいい匂いがするため、なんというか全体的に芳香につつまれて極楽浄土にでもいるかのようだ。ドキドキしてるの看破されたら気まずいな、衣装の素材が硬いからワンチャン大丈夫かな、などと考えていると、
「なんか違う」
そう言って姫鶴は、ぐいっと審神者の両肩を掴んで引きはがした。瞬間、なんだよそれと声を大にしてつっこみを入れかけた彼女だが、
「あ、そか」
そんな声と共に今度は姫鶴から抱きしめられて――ものの見事にフリーズした。
「こっちのがいーかんじ」
耳元でささやかれた言葉を審神者が理解することはなく、
「あ、もうおやつの時間。じゃ」
と姫鶴が去っても彼女の氷結がとけることはなく、武蔵坊弁慶のごとくそこにそびえたち続けたのだった。
※コメントは最大10000文字、100回まで送信できます