それ以来、本当に一切夢を見なくなった。あの悪夢のことだ。
初めに夢を見始めてから、恐らく三月以上は経った頃のこと。
現実の髭切は、やはりどこまでもなにひとつ変わったところがない。
それこそ励起されてから今まで、全く。刀剣男士とはそこそこうまくやっているし、審神者とも。
彼女が特別に髭切に構いだてすることはないが(特別親しいわけでもなければ、彼が役付きというわけでもないから関わる理由がない)、部隊長や近侍になったりすると、世間話くらいはする。髭切の側から特にどのような感情を向けられている様子もない。
所詮は夢ということか。
――夢もろとも忘れかけようとしていた時、審神者は髭切とふたりきりで会話をする機会に恵まれた。
あれ以来、なんとなく髭切に対して身構えてしまう己を審神者は自覚している。
しかし髭切はそれに気づいているだろうに何も言わないし、悲しんだ様子も怒った風もない。もしかしたら、気づいてもいないのかもしれない。
二人の間に不自然に開いた距離にも気にかけたふうもなく、髭切はおっとりと笑ってさえみせた。
「心配しなくても取って食いはしないよ」
「…………」
怯えを看破されたようで、どうにも居心地が悪く、また申し訳ないようで審神者は黙り込んだ。
俯いてかすかに唇をかんだ彼女を、髭切はまるで覗き込むようにして顔を近づけ、しげしげとその横顔を眺めた。
さらりと落ちてきた黒髪が、まるでカーテンのようにその横顔を隠そうとする。――それを、髭切の手が掻き上げて耳にかけさせた。
やはりその手は、皮が厚く、武骨な手である。
夢での感触を思い出して、審神者はぞっとした。
凍りついたように視線だけ向ける審神者に、髭切は笑みをたたえたまま、言った。
「君は『ちゃんと』僕の主だからね」
それはまるで、主でなければ――という風にも聞こえた。
【了】
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