06:審神者として/刀剣男士として - 1/5

 ――まるで祈りにも似た、敬虔な響きだった。

 陸奥守吉行、と名を呼んだ声。それが、刀剣男士・陸奥守吉行として聞いた、初めての音だった。
 初めて目にしたのは、女。パリッとしたスーツに身を包んだ若い女で、その面は緊張と相反する期待とに彩られていた。
 秋月という名の響きは、楚々として清爽な彼女の雰囲気によく合って。柔らかくも芯のあるその声が、耳に心地よかった。
 なんの説明もなく言いつけられた初陣。自身をして、ずぶの素人ではないと自負したのとは裏腹に、どこか不安げで、幾許かの逡巡が垣間見えて。
 安堵させたい一心で、大見得を切って出陣したものの――訳も分からぬうちに戦線崩壊して、無様な帰城と相成った。
 たまらないほどの情けなさに駆られ、負傷の痛みはさほど気にならなかった。無様な姿をさらして申し訳ないと、詫びるよりも先に――帰城して真っ先に目に飛び込んできたのは、ジャケットを脱いで腕まくりをし、待ち構えていた主の姿だ。
 気丈な娘だと思った。一瞬、誰かに助けを求めるような仕草もあったが、それをすぐに押し込めて、負傷の状況を確認し、冷静に判断を下した姿。けれども、実はそれが精一杯の虚勢だと知ったのは、刮目された両眼に、うっすらとしかし確実に涙の幕が張っていたから。
 重たいだろうに。負傷して足が言うことを利かない体を支えて、しっかりと手入部屋まで歩み、それ以後は一切の手抜かりなく手入れを施してくれた。
『不甲斐ない主で、ごめん……』
 胸の上に置かれた掌の温かさと、かすかに感じた手の震え。ただただ自分が不甲斐なかっただけなのに。彼女の噛みしめた、耐えがたいほどの責任感と後悔が感じられて、たまらなかった。
 笑っている顔がいいのに。
 期待に満ち溢れ、理想を語る姿が眩しかったのに。――そのどれもが遠い昔に感じられる。心の臓をぎゅっと握りしめられたように、胸の奥が傷んだのを覚えている。
 守りたい、と漠然と思った。
 きっと、一方的に庇護されることは好まないひとだろうとは思ったが、それでも。はにかんだ笑顔や、真剣な眼差し。彼女を構成するすべてを、害なすすべてのものから守り、しあわせにしたいと思ったのだ。
 その瞬間から、あるいは――顕現されたときから。あるいは、自身を初めての一口として選んでくれたその時から。
 陸奥守吉行の、主に対する言いようもなくかけがえなく、そうしていとおしいばかりの感情は、始まっていたのだった。

 当初それは、初期刀として当然の感情だと思った。

 自身が、主のはじまりの一口であるという自負。自分こそが、主に選ばれた唯一の刀であるという矜持。
 刀剣男士、その性は刀であり道具である。持ち主である主を慕うことは、寸分の狂いも間違いようもなく、もはやその根本に刻み込まれ刷り込まれている。
 あるいは、主と二人きりで過ごした期間の長さ。日数の上ではさほどのものではなくとも、その濃厚で親密な日々が、主へ対する名状しがたい感情に、影響を与えていないはずもない。
 仲間が増えるにつれ、その感情の特別性を自覚した。
 彼女が、ほかの誰でもない自分を頼みとしたとき。ほかの誰にも見せないだろう、迷いや不安といった表情を垣間見せたとき。他の刀よりも優位だと感じ、喜びを覚えた。特別なのではないかとさえ錯覚した。
 ――触れたいと思い始めたのは、いつ頃からだろうか。
 無骨とまではいかないが、手入れや水仕事などの作業をしっかりとこなしてきただろう、しなやかな手。握ると存外に細くて柔らかいことを知っている。歴史の守り手として、主としての重責を背負った双肩。笑うとえくぼのできる柔らかな頬。主として相対するときは、流暢かつ冷徹に言の葉を紡ぐのに、動揺すると、つかえたりどもったりして震える唇――。
 刀剣男士として肉体を手に入れてから知ったもののなかに、まさかこんな欲があるとは思いもよらなかった。
 知識として知っていても、はじめて抱いたその手の欲求に、陸奥守が戸惑ったのは言うまでもない。
 困惑する彼をよそに、その思いは日に日に募っていく。
 しかしそれが悪いことだとは、思わなかった。かつての主にも、愛した女がいた。えてして男女とはそういうものだということが、分かっていたから。
 恋仲になる審神者と刀剣男士もいれば、刀剣男士同士でそうなることもあると、風のうわさに聞いた。あるいは、刀剣男士向けの性風俗サービスもあるのだから、そういうもの、、、、、、なんだと理解した。

 万屋街で、主とふたり。恋仲の審神者と刀剣男士の仲睦まじい様子を垣間見た時。
 ああ、やっぱりそうなのか、と陸奥守は思った。

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