現代編 5 - 2/4

「ったく、術師遣いの荒い連中め……」
 こっちは朝から授業だっつーの。
 ぶつぶつと文句をこぼす五条は、バックミラー越しに運転手がこちらをちらちら窺ってるのが見えて、あン、とガラの悪い声をだす。
「なに、伊地知。なんか文句あんの」
「っい、いいえ! まったくなにもありません!!」
「伊地知もそう思うよな? 上層部のタコども、ヒトのことがガキの使いみてえにあっちこっち行かせやがって。こっちは特級呪術師だって、全員払うぞ」
 八つ当たりでもなんでもない声に、運転手の伊地知潔高は身を竦めた。
 ――そうしたとき、不意に、身に慣れた呪力の塊を発見し、
「ストップ!」
 五条は無理矢理車を止めさせて、降車した。
「あーれ? 識じゃん。どったの? 今日早くない? もう出勤?」
 ゆらゆらと、どこか亡霊のように歩く後ろ姿は、同級生の秋月識だ。軽い声掛けに、彼女は一拍遅れてから、ゆっくりと振り返った。
「……悟くん」
 どこかかすれたような声に、五条はアイマスクの下で目をすがめる。
 それよりも何よりも――この、呪力の淀み。六眼を通すとはっきりと分かる。かつてないほどに疲弊している上に、深層になにか不明瞭な揺らぎがあるのが見える。
 思わず五条はアイマスクをずらした。
「……お疲れすぎじゃね? 何その顔」
「ああー……。ちょっと最近、うん。忙しくて」
 識は青白い顔で苦く笑った。しかし、笑顔にもなり切れない、なんとも中途半端に顔をゆがめただけ。
 五条はことさら顔をしかめた。
「それに化粧もまー……眉、長さ左右違くね? 昨日どんだけ激しかったの」
 冗談めかした五条に、識は今度こそ声を上げて笑った。空笑い。まるで、無理矢理振り絞ったような笑みに、五条の疑問は募っていく。
「まー、そうだね。悟くんこそ、朝帰りなの?」
「まね。それはそうと、……硝子に見てもらったがいいんじゃねえ? インフルエンザ明けです、みたいな顔してるぜ」
「大丈夫、診察は毎日受けてるから。元気……まあ、社会の歯車として元気に回ってるよ」
「そりゃ医者の目が節穴だな。傑が怒り狂って押しかけてくんぞ」
 人差し指二本で鬼の「角」を表現すると、識ははっと目を見開いた。
「っちょっと悟くん、少しだけ待ってて!」
 素っ頓狂な声を上げる識に、五条もまた目を見張る。
「っなに、いきなり」
「少しでいいから、でも絶対待ってて! ごめんこれ持ってて!」
 そう言って識は、五条に自分の荷物を押し付けると、走って行く。――職員寮の方角。
「っおい、……まあ、いいけど」
 ほどなくして、識は脇腹を抑えながら戻ってきた。手には、エコバッグに入った丸いものを大事そうに抱えている。
 ひゅーひゅーと息を切らす識に、五条は目を見張る。――彼女は研究職と言えど、術師として日々体は鍛えているはずだ。
 一キロにも満たない距離を走ったところで、ここまで息切れするはずがない。しかし、演技というわけでもなさそうなのが、六眼を通して見える異常なまでの血流から分かる。
「識……。なにがあった」
 声を低めて問いかける五条に、識は苦しそうに顔を上げて、これ、と枯れた声でエコバッグを押し付けた。
「あの……大事なものなの。悟くん、持ってて」
「は……?」
 ちらりと見えた袋の中は、うすい水色。覗き込むと、可愛らしい動物の顔が見える。
「ぬいぐるみ?」
「たまには、……よそのおうちも、見たいかなって。汚しちゃ、だめだよ。傑くんにもらった、……大事な、もの、……だから」
 そこまで言って、識はふらりと体をかしがせた。五条が手を伸ばして腕をつかむと、よろりと彼女はたたらを踏む。そのまま五条の体にやんわりと縋りついた。
 その圧倒的な軽さ――。学生時代からほっそりとはしていたが、もはや服越しにも、その病的なまでの華奢さが浮き彫りになる。
「お前……」
 呟いた五条に、彼女は苦く笑ってみせる。
「ご、ごめ……。やっぱ、病み上がりかも」
「硝子んとこ行こう。研究棟の医者、全員クビ」
「悟くん、」
 識はすがるように五条を見上げた。――すがるような、懇願するような。けれども、圧倒的な強さを持った瞳。六眼とは違う、けれども違った視点からすべてを見通す――因果を読み解く、その目。
 五条悟が他者に圧倒されることなんて、ありえない。けれどもこの時、彼は確実に、識の必死さに飲まれつつあった。
「ほんとに、……だいじょぶ、だから。私、ほんとに、大丈夫」
「……本当に大丈夫なやつは、大丈夫って言わねえんだよ」
 五条の呟きに、識は一瞬目を閉じ、――口元に笑みを浮かべた。一連の中では、一番まともな笑みだった。
「ありがとう、悟くん」
 ぽん、と五条の肩をひとつ叩くと、識はしっかりと自分の足で立った。震える手で自分の荷物を受け取ると、深呼吸を繰り返し、まっすぐに彼を見つめる。
「……悟くんは、……傑くんと親友だよね」
 思っても見なかった言葉に、五条は目を丸くした。――このタイミングで、いきなり?
 耳を疑う五条にかまわず、識は続ける。「傑くんのこと、大事だよね」
 思わず五条は、引き気味になにそれ、と呟いた。
「いきなり気持ちわりーことを……」
「傑くんは、悟くんに頼るのはいやだと思うけど、……でも、悟くんも知っての通り、傑くんって背負いこみやすい性格でしょ。あんまりため込んでそうなときは、悟くん、話聞いてあげてね」
 あまりにもらしくない言葉に、五条は反射的に彼女の肩をつかんでいた。
「っなにいきなり、訳わかんねーことを……! 遺言みてえなこと言ってんじゃねえよ、縁起でもねえ。んなことてめえで世話しとけ」
 語気を強める五条に、識はやんわりと笑みを浮かべた。――ふっと吹けば飛んでしまいそうなほど。まるで、朝靄のような儚さで。
「……人間、いつ死ぬかなんてわかんないでしょ。術師やってんだし。約束だよ」
 識はやんわりと五条の手に手のひらを重ねると、ゆっくりとそれを抜き取った。
「じゃあ、……仕事行くね。悟くんも、無理しないで」
 伊地知くん待ってるよ。
 そう言って、識は踵を返して歩いて行った。――研究棟の方角へ。
 五条は、視線の先に厳然と構える建物をにらみ、アイマスクをつけなおした。
 車に戻りがてら、携帯を取り出して電話をかける。
「……あ、硝子? 夜勤明け? おつー。……ちょっと時間ある?」

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