11
刀剣男士が、顕現させる審神者によって少しずつ個体差を有するのと同じく、彼らの本拠である本丸も、審神者によって違いがある。
とはいえ――この本丸ほど規格外に「違う」本丸もなかろう。
審神者はそんなことを思いながら、案内役の刀剣男士に連れられ、通いなれた小径を歩いていた。
かつて、審神者候補生時代に彼女が研修していた本丸である。師を務めた審神者とは現在も交流があり、こうして本丸を行き来することも珍しくはなかった。
通された客間には、女装した男性――否、もはやここでは女性で統一する――女性が待っている。審神者が登場した瞬間「あっらー!」と野太いくせに妙に鼻にかかったような、独特の発声で感嘆をあらわした。
「よく来たじゃない! 待ってたのよ、ささ、座って」
審神者、雪待。
派手な盛り髪に派手な(女物の)着物、そして脳髄が蕩けんばかりの芳香をかおらせる大柄のオネエ。彼――否、彼女こそが、審神者の師匠であった。
審神者は師匠に手土産を渡すと、勧められた椅子に座る。
「先日は、お忙しい中わざわざご出席いただき、本当にありがとうございました」
深々と頭を下げる弟子に、雪待は目を細めて感慨深い表情をつくった。
「なぁに言ってんのよ、それはこっちのセリフよ。招待してもらえて嬉しかったわ。まさか、あんたが刀剣男士と結婚することになるなんて……。それも山姥切長義とはねェ」
しみじみと言った雪待に、審神者はちょっとだけ動揺し、視線を泳がせた。
師匠、雪待。その観察眼の鋭さは、彼女の審神者としての優秀さにも直結しているわけだが――無論、弟子のそんな些細な変化を彼女は見逃さなかった。
「あらァ、新婚さんだってのに顔色冴えないわよ? もしかして連日連夜励みすぎてるわけ?」
「なっ……!」
青ざめる弟子を前に、雪待は眼光の鋭さを強くした。
「赤くなるんならまだしも、その血の気の冷めた顔はなんなの? ……祝言のときはろくに話も出来なかったけど、その時もなにか妙だとは思ってたのよ」
「えっ、いや、妙とか。そんなことは、さっぱり」
「じゃあアタシの目を見て言ってごらんなさい。何もやましいことはありません、隠し事などひとつもありませんって」
雪待のどっしりとした手が審神者の肩を掴む。ぐぐぐっと圧をかけられそちらの方を向かされ、正面からすさまじいプレッシャーが襲い来る。
「見なさい、アイリス」
研修生時代のあだ名(?)で呼ばれてしまうと、もはや彼女は雪待の弟子に戻り、身も心も逆らえなくなる。
「っ……そ、それが……」
審神者、陥落――。
「あんた、どっっっっっっっこまでお馬鹿なのよォ!」
「いたたたたたたたたァ! 死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ、頭グシャァってなって死ぬ!」
審神者は、かつての師匠から派手にアイアンクローをかけられていた。一夜の過ちから結婚まで持ち込まれた愚かな弟子に対する、愛の鞭である。
「あんたはッ! 酒癖悪いんだからッ! やばい相手と飲むときは見境なくなるまで飲むなってあんだけ言ったでしょ?!」
「やばい相手って……長義は私の刀剣男士ですよ?!」
「でも政府の回しモンでしょ! 実際こんなことになって、あんたは最低最悪のお馬鹿よ、知能がミジンコ以下の微生物よ! 海に還れェーッ!!」
「イヤァアアアア!」
――悲鳴を聞きつけた刀剣男士の介入と仲裁により、ブレイク――
「もういい、埒が明かないわ。ちょっと誰か!」
雪待がパンパンと手を鳴らすと、間もなく駆け付けたものがある。へし切長谷部だった。主の足元に来て膝をついた長谷部に、雪待は苛烈なほどの勢いを持って申し付ける。
「この子の本丸に連絡して、婿殿をよこすように言って! むこうが渋るようなら、お宅の審神者は預かった返してほしくば山姥切長義をよこせとかなんとか、脅迫しなさい!!」
「主の仰せの通りに」
長谷部は恭しく頭を下げると、去り際、一瞬だけかつての研修生に意地の悪い笑みを向け、去って行った。
――ほどなくして、山姥切長義、雪待本丸へ到着――
「一体どういうことかな?」
慌ててやってきたらしい長義は、若干息が上がっている。転送装置の前までお出迎えにきた審神者は、いやぁ……と首を傾げて曖昧に詫びた。
「ごめん、私もよく分からないんだけど、雪待さん……あ、私の研修時代の先生なんだけど」
「高名は聞き及んでいるよ。あなたの師が、俺にどんな用件だろうと思ってね」
「いや本当にごめん。先生は私の……なんていうか、叔母さん的な立ち位置というか……。あ、父母の弟妹っていう意味での叔母ね。だからその……ごめん、とにかく来て」
「なるほど。現世からの出席者は担当のほかは彼……彼女だけだったから、あなたにとって、保護者のような大事な人というわけか」
長義はふうわりと穏やかな笑みを浮かべた。
日頃はあまり拝むことのできない無防備な表情で、その無防備さに少しだけ審神者の心臓が跳ねる。どういった意味合いでもたらされた笑みなのか、その心情の機微を彼女ははかりかねた。
客間まで長義を連れて行くと、
「あんたはちょっと、その辺ぶらぶらしてなさい。終わったら声かけるから」
雪待によって追い出されてしまった。
「えっ、ちょっと待ってください!」
アウェイの場所で彼を一人にするのもはばかられ、ぴしゃりと閉められた襖の前で抗議の声を上げたが、
『ちょっと、誰か!』
の一声で参上した長谷部によって、彼女は退去を余儀なくされたのだった。
別室にて、審神者はそわそわと待っている。
「……心配か?」
茶を入れなおして持ってきた長谷部は、ちらりとそんなことを問うた。
「いや、そりゃあ……。事情が事情なもので」
「どんな事情があるかは知らんが、お前は主にとっては特別だからな。結婚ともなれば、口を出さずにはおけないだろう」
「はあ……。大変ありがたいことに」
どこか気落ちしたふうの審神者を見て、長谷部はそういえば、と付け加えた。
「まだ言っていなかったが、……結婚おめでとう」
長谷部は珍しく純な笑みを浮かべて、寿ぎの言葉を紡いだ。
研修時代も、審神者は彼のこの種の表情は拝んだことがなかった、と彼女は振り返る。笑みと言えば、さっきのようなアレか、皮肉っぽいあれか――自本丸の長谷部と違い、ここの長谷部は大概ふてぶてしい性格をしている。
審神者は非常に珍しいものを見たと思いながらも、内心では反応に困った。
「どうしたんだ」
「あいや……。ありがとうございます」
おめでとうと言われるような結婚ではないので、レアにすぎる長谷部の表情とともに、無駄遣いをさせてしまったようで――申し訳なく思ったのだ。
体感では半日くらい待った気もするが、時計ではせいぜいが一時間――否、それにしても待った方だろう。長義が戻って来た。
「あっ……の、大丈夫、だった?」
椅子から立ち上がって審神者が駆け寄ると、長義は軽く小首を傾げて、なにが、と問う。その様子は行く前と少しも変わらず、少なくとも、どつきまわされたり罵倒されつづけた様子もない。
「いや……先生はその、結構、過激なところがあるから」
「そうらしい。あなたの研修生時代の話を色々と聞かせてもらったよ。……っ随分、鍛えられたようだ」
次の瞬間、長義はたえられないとでも言うように、顔を背けて笑い声をあげた。――先ほどの長谷部ではないが、彼の笑い声というのもなかなかレアではなかろうか。審神者はぽかんとする。
彼もまた、皮肉っぽい笑みなら何度か(自分に向けられたわけではないが)見たことがあるが、このように心の底から笑っている風のところを見たことがなかった。笑うと幼い印象になるというのも、初めて知った審神者である。
動揺を隠し、動揺を誤魔化すように口を開いた。
「えっ……やだ、なに聞いたの……?」
「それはもう、色々。写真も見せてもらった。……大分、今と印象が違うんだな」
「いやあれは先生の趣味で、先生の私物で、先生が見繕った着物を着てただけで! 笑わないで、早急に忘れて!」
笑いが止まらない長義の肩を掴んで軽く揺さぶると、ふと、彼はそんな審神者の手を取って、まじまじと見つめてきた。審神者はにわかにたじろぐ。
「え、なに?」
「……いや、なんでも」
長義はさらりと躱した。思わせぶりな態度はしかし、そこに噛みついていく勇気というものが、審神者にはいまいち欠如している。
「はあ……」
不本意そうに呟いた審神者に、長義は帰ろうと促した。
「……はあ。っじゃなくて、先生に挨拶を、」
「その必要はない。さっさと帰るように、と彼女からは仰せつかった」
「え、でも……」
「さあ」
長義の腕が審神者の肩に回り、ぐっとやんわり力を込められる。それに押されるようにして、審神者は歩き出した。――長義に肩を抱かれている。
退去を促すことが目的とはいえ、妙にドキドキしてやまない。寝るときもこんなに近くにはいない。長義の体温を衣ごしとはいえ肌で感じ、清潔な香りをごく近くで嗅ぐ。
そうなるともはや、雪待に挨拶するなどという考えは引きずらず、審神者は半ば頭真っ白の状態で本丸まで帰った。
――長義の腕がいつ外れたのか、彼女には分からない。
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