Catch me,if you wanna. - 12/20

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 さすがに問題ではないか、と審神者は思い始めている。相変わらず彼女は、夫婦の在り方というものを模索していた。
 審神者は長義のことを何一つ知らない。
 いや、一緒に現世にいたときに知ったこともあるが、それもほんのごく一部だ。そこで知ったことといえば、山姥切長義という刀が戦場以外でもいかに優秀なのかということであり、個人的な話はしなかった。唯一、朝ごはんはきちんと食べる派ということは知ったが――そんなの、体が資本の刀剣男士にあっては常識レベルのことだろう。
 敵を知り己を知れば、とは何千年も昔から言い伝えられる兵法の鉄則だ。情報を制すものこそ戦を制す。審神者は今一度初心に立ち返り、山姥切長義という相手を理解するところから始めた。
 ――有体に言えば、とりあえず彼と話すというところから、始めたわけである。

「ねえ、ちょっと時間を取ってもらってもいいかな」
 長義の仕事が終わったころを見計らい、なおかつ仕事が完了したことを確認したうえで、審神者は突撃した。場所は二の丸――勿論審神者は、わざわざ長義を追って執務室からはるばるそこまでやって来た。
「なにか急ぎの用向きかな?」
 主がわざわざ出向いた、ということで長義は緊急性ないし重要性を感じたのだろう。さっと仕事モードの顔で問うた彼に、いやいや、と審神者は手を振って否定した。
「全然急ぎじゃないよ、完全なる私用。ちょっと……お茶でもいかがかなと」
 審神者が持参したランチバスケットをずい、と示すと、長義はぽかんとして目を瞬かせた。
「長義、本当は今日半ドンの予定だったでしょ? でも中々終わらなくてお昼も食べられなかった、って聞いたんだけど」
「あ、ああ……その通りだけど」
「このあと用事がないなら、ちょっと軽食でもいかがかしら。あ、中身は昼の残りをホットサンドにしたり、詰め込んできただけ。お茶はティーパック。作ったのは料理番だから、味は確かだよ」
 胸を張って審神者が言うと、長義はどこか神妙そうにしてみた。断られるのかと思いきや、
「まったく、俺が断ったらどうするつもりだったのかな? 無駄になるのも勿体ないから、謹んで付き合わせてもらうよ」
 断られたら別の者を誘おうと考えていたため、そこは特に問題ではない。
 審神者は日当たりの良いところまで長義を促し、そこに小さなレジャーシートを敷いた。ちょうど、花をつけた草木が目に入る位置なので、意図せず花見のような塩梅だ。
「どうぞ、粗茶ですが」
「ありがとう」
 紙コップに熱い紅茶を注ぎ、長義に手渡す。バスケットの中身も勧めた。ホットサンドにナゲット、ふたつきの容器にはサラダが入っている。皿によそって差し出すと、長義はおかまいなくと声を上げた。
「どういう風の吹きまわしかな?」
「長義は、こういうのはダルいと感じる方?」
「……なに?」
「迷惑? こういうことするの」
 審神者が問うと、長義は一瞬絶句し、いや、と肩を竦めてみせた。
「迷惑なら最初から断ってるさ。俺が忖度して断れないとでも?」
「そういう判断もつきかねるくらい、私は長義のこと知らないな、って思ったの」
 さくり、と軽い音は長義がホットサンドをかじった音だろう。照り焼きチキンサンドか、ちょっと甘めのタマゴサンドか。どっちにしろ美味しいんだよなぁ、と審神者は思う。
「まあそのための……準備、かな? とりあえず、今日はご飯も食べられなかったって聞いたから、食べ物持参で。美味しいでしょ?」
「あなたがこれを?」
「焼くのは焼いたけど、ホットサンドメーカーでね。チキンもタマゴも燭台切が作ったやつだよ。私は焼いただけ、詰めただけ」
「っ……そういえば、あなたはあまり料理が得意ではなかったかな?」
「燭台切のレベルが百だとすると、私は……うーん……四五くらいかな」
「よく分からない」
「人類が普通に食べれるものは作れる、ってことで。まあ料理しないんだけどね、めんどくさいから。長義は? ……この前、簡単な食事なら用意してたよね。料理出来るの?」
「出来ないこともないが、あなたと同じで率先してしようという気持ちはないかな。現代は便利に過ぎる。インスタントもコンビニもチェーンの牛丼屋も、安いのに普通に食べられるのは驚きだった」
「長義、牛丼食べたの?! だったら一緒に行きたかったなぁ。私もチェーンの牛丼屋のメニュー、好きなんだよね。たまに食べるととても美味しい」
「あなたは普段何を食べていたんだ……?」
「もっぱら外食だったな。たまにルームサービスを頼んだり、ちょっと足を延ばしてデパ地下総菜買ったり。……あ、今、こいつ独身貴族だなって思った?」
「なんのことかな。経済観念は見直す必要があるかもしれない、とは思ったが」
「貴族っぽいのに、サラリーマンの流儀に精通し、経済観念もしっかりしている。長義は優秀だね」
「……もしかして馬鹿にされている?」
「まさか! 褒めたよ!!」

 二の丸での野外デート(?)を皮切りとして、審神者はともかく、ほんの少しでも多く長義と交流を持つようにした。
 朝に、昼に、夕に。夜は――相変わらず挨拶をして寝るだけだったが、挨拶のついでに、日中でのあれこれを話すことも出てきた。最初はぎこちなかった会話も、なんとなく弾むようになった。
 その中で審神者は、色々なことに気づかされた。
 長義は皮肉屋な言動が多いと思っていたが、実は、根っから性格がねじ曲がっているわけではなさそうだ、とか。彼が皮肉っぽいことを言うときは、照れ隠しだったり、ちょっと不満不服を感じていたり、そういう心情のちょっとした変化が、皮肉として出力されているらしい。
 笑うと幼くなり、それが可愛いと思うのだが――その瞬間を垣間見ようものなら、高確率で皮肉が飛ぶ。これはまったく分かりやすく、照れ隠しのための皮肉に分類できた。
 意外と細かな作業は好きではないらしい、とか。どうやらこの長義は刀装づくりはあまり得意でないらしく、失敗や並み以下を量産することが多い。
 その他、繕い物の手つきが危うく何度も自分の指を刺したり、しまいには、ボタンがほつれただけの新品同様のシャツをぶん投げ、「新しいものを買う!」と言い出した時には、もう、駄目だった。
 そもそも、彼が激高(というほど大袈裟でもないが)するところを、審神者は初めて見た。しかも内容が超絶くだらなかったため、フォローするよりも先に笑いが止まらなかった。笑い転げ、涙が出るまで笑い続けた審神者だった。
 沈黙した長義に気づき、火に油を注ぐ行為だったかとハッとしてみれば――意外なことに、彼は拗ねていじけていた。三時間ほど口を利いてもらえず、「プチ絶交だね」と加州に笑われたのはいい思い出、……か?
 細かい作業は苦手らしいが、しかし反して――字が、綺麗なのだ。
 これは予想していたこととはいえ、本当に達筆で審神者は感心してかなり大袈裟に褒めてしまった。本丸内には手蹟の素晴らしいものが何口かいるが、長義もその中に堂々のランクインだ。
 とまあ、実はこの件に関しては、三か月の現世出張の際から気づいていた。本人用の覚書の付箋でさえ字が綺麗で、本当に感動したものだった。

「綺麗だなぁ」
「あなたはまた……。いい加減、もう慣れた頃だろう?」
 長義の手書きの署名を見てとしみじみとして言った審神者に、長義は呆れたように返した。
「それに、毛筆は不得手だ。その点、歌仙兼定などはどちらも美しい手蹟だと思うけど」
「歌仙はね、うん。でも達筆すぎて読めないもん。長義の字はね、学生時代の適当な班ごとの活動で『あたし書記する~』って手を挙げたギャルっぽい子が書くような、綺麗な字なの」
「まったく理解できないな。それ絶対褒めてないよね?」
「褒めてるって! そして私は、そのギャルっぽくてちょっと怖いと思ってた子のことをとても好きになる、までがセット。分かる? とても綺麗で、好きな字だってことなの」
「…………」
 長義はむっと眉根を寄せて顔を伏せ、書類作成の続きを始めた。――最初の頃なら、この反応は怒らせてしまったかと不安になったところだ。
 しかし最近のやりとりを経て、これが照れ隠しだと審神者は分かっている。なので、憂い奴め……と胸中で浸るばかりだ。
 その証拠に、耳だとか首筋だとかが、ほんのり赤いのが見える。バレていないと思っているとしたら、可愛いにもほどがある。
 ちなみに、書きものをするときの彼の癖。普段は隠れている左の耳へ、サイドの髪をかける仕草。これが審神者は好きだった。疲れているようなときは、そのままの状態で書類を提出しに来ることがある。可愛いので黙って素知らぬふりをするのだが、これは本人には内緒だ。
 集中している長義の手元をそっと覗き込み、もうそろそろ完了するだろう、というところで審神者は立った。
「ちょっと席外すけど、すぐ戻ってくるから」
「……うん」
「誰か来たら待っててもらって」
「……ああ」
「長義も、私が戻ってくるまでは待っててよ」
「……うん」
 長義の返事は聞くからに生返事だ、が、聞いていないふうでいて、しっかりと聞こえているのだから感心する。生返事の無防備さも可愛いということ、これも本人には内緒だ。
 笑いを噛みしめながら執務室を後にすると、審神者は厨に出向き、――ほどなくして戻ってきた。
「長義、誰もこなかった?」
「ああ、来訪者はなしだよ。それではこれで、」
 審神者が戻ると、すでに長義は作業を終えていた。退室の挨拶をしようとした長義を、審神者はあーっと呼び止めた。
「せっかく、コーヒーブレイクをと思ったんだけど」
「しかし、この後は書庫へ……」
 長義の目線が少し泳ぎ、彼女の手元に移った。大判のトレイの上には、コーヒーカップとサーバー、お茶請けは既製品のようなアップルパイ。長義の語尾が消える。
 審神者はにやりとして、さも残念そうな声を上げてみせた。
「そっかぁ。長義くんの好きなブレンドのコーヒーで、長義くんの好きなシナモンの効いたアップルパイを用意したんだけど……書庫に行くのかぁ、それぁ残念だ」
「いや、少しくらいなら、」
「いやいやいや! 書庫に行ってお勉強するか密談するかは知らないけど、きっと長義くんには崇高な任務があるのでしょう、私に邪魔することは到底できないよ。行ってらっしゃいませ」
「しかし、そのアップルパイは、」
「あ、大丈夫。さっき長義の言うところの猫殺し君が暇そうにしてたから、誘って一緒に食べようと思う」
 審神者がテーブルの上にトレイを置き、執務室を離れようとすると――。彼女の進行方向に、突如として長義がカットイン。華麗なるディフェンスで審神者の行く手を阻み、執務室に押し戻してしまう。
「なに? ディフェンスに定評のある長義なの?」
 審神者が笑いをこらえながら言うと、長義は咳ばらいをひとつ。
「知らないのかな? シナモンは猫にとっては毒にあたることを。猫殺し君が主君に毒を盛られて病を得るのはあまりにも不憫だが、アップルパイに罪はない。よって責任をもって俺が処理しよう」
「んっ……ふふふ……じゃあ処理お願いしようか……処理……フヒヒ……処理て……」
 肩を震わせて笑いを殺――しきれなかった審神者を、長義は半眼で睨みつける。そうして、背を向けて笑う彼女へひっそりと近づき、無防備なわき腹を人差し指でちょん、と突いた。両サイドからだ。
「んがっふぁ?!」
 すると審神者、冷水を浴びせられたみたいに跳び上がった。弱点なのである。――ちなみについ先日、ふとしたことから長義にそれがバレてしまった。
 報復のために、彼女の弱点であるわき腹を責めたのだろう。応用力が高い刀である――脇を締めてガードしようとしたが、それよりも先に、長義の両手が差し込まれて、いわゆる「こちょこちょ」攻撃に翻弄されることとなる。
「あひゃひゃひゃ! なにすんんんんへへへへ!」
「もっと可憐に笑えないのかな?」
「へあへへへへへやめてえええええ!」
 うずくまる審神者を、しかし追撃の手を止めない長義。エビみたいに跳ねて力を失っていく審神者に、長義は邪悪な笑みさえ浮かべている。Sだ、この刀どSである。間違いない。
 ちなみに、そんなやりとりを挟んでいたら、コーヒーはすっかり冷めていた。そのため、正気に戻った長義がコーヒーを入れなおしアップルパイを温めなおし、ふたりはつつがなくおやつにありつけたわけだった。

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