Catch me,if you wanna. - 13/20

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 鼻歌混じりに洗い物をする審神者の背後へ近寄る、黒い影が。
「なーんか、最近、長義といい感じじゃない?」
「うっぎゃああ!」
 可憐さのかけらもない悲鳴を上げる主へ、加州清光は半眼を向けた。
「いや、驚きすぎでしょ」
「だ、誰だってびっくりするわい……」
「とか言って。しまりのない顔しちゃって」
 人差し指でぐにぐにと頬をつつかれて、審神者はそんなことは……と口ごもった。しかし顔がにやけている。これは全く説得力がない。
「いやまあ……普通だって」
「そういうのいいから。俺、これでも結構主のこと心配してるのよ?」
 審神者の隣に立ち、しかし手伝うわけでもなく、加州は得意げに言ってのけた。彼女は照れくさそうに首を傾げて、そうかな、と呟く。
「前よりは会話するようになったよ」
「頑張ったよね。俺、えらいと思うもん」
「彼の方もね、歩み寄ってくれたからね。さすがに冷たくされてたら、心くじけてやってられませんでしたわー」
 おどけたように話す審神者に、加州は目を細めた。ぽん、と主の頭に手を乗せ、そのまま柔く撫でる。
「そんなの、歩み寄ってトーゼンなの。大体、長義の方から行けって話だよ。主、頑張ったよ」
「……っあ、りがと」
 普段あまり褒めない初期刀からの言葉に、審神者は目を瞬き、そうしてたじろいだ。どのようなリアクションをとっていいか、決めかねているのだろう。せわしなく泳ぐ視線に、彼女の焦りがよく出ていた。
「順番は間違ったかもしれないけど、自分で決めて結婚したんだから。主、幸せにならなきゃだめだよ」
「うん……ありがとう、清光」
 最後に、ねぎらうように激励するようにやんわり叩くと、加州はそういえば、と付け加えた。
「政府からお使いの人が来てたよ。ごめん、客間に待たせてある」
「おいッ!! 先に言えよそれをッ!!」
「だからごめんって言ったじゃん。それくらいで怒るなんて、俺のこと愛してないわけ?」
 きゅるん♡ と可愛い子ぶられて、審神者はこみ上げてきた何かを飲み込み、ビシ、と加州に指を突き付けた。
「そんなんで騙されると思うなよ、私の清光は銀河一可愛い! 愛してる!」
「知ってる。さ、早く行ってらっしゃい」
「うん、洗い物よろしく」
「へーへい」

 そう言えば、朝の近侍との打ち合わせの際、午後から役人がやってきて云々という話があったような、なかったような。そんなことを考えながら、審神者は客間へと急いだ。
 こういう時、広い本丸が煩わしい。厨から客間まで走るとなると、運動前のウォーミングアップに最適な距離だ。
 ようやく客間近くにさしかかり、――その時、どのような偶然があったかは分からない。しかし、一心に客間を向いていた審神者の視線が、ふっと一瞬ぶれて、庭園の方へと向けられた。
 人のシルエットを二つ発見し、彼女の足が止まる。
 ひとりは見知らぬ女性。スーツ姿なので政府職員だろうこと、そしてそれが客人であろうという予想がついた。それだけだったら、審神者は「客人ってあれだよな? なんであんなところいるんだ? 客間にもう一人いるのか?」と思いつつ、加州に言われた通り客間を目指しただろう。しかし、それだけではなかった。
 女性と向き合って話している相手、それは山姥切長義だった。
 その二人の様子に――審神者の目は釘付けになった。
 たとえば、彼の浮かべる綺麗な笑みだとか。見たこともないような笑い方や、視線のやりかた。そうして、女の向ける視線に含まれた――同じ女だから、なんとなく分かる――明確な温度だとか。
 鼓動が早鐘を打ち始めるのを感じながら、審神者は客間へ飛び込んだ。
「申し訳ありません、お待たせいたしました」
 客間には、果たして客人――本丸の担当官である男性が、前田藤四郎にもてなされながら待っていた。前田は、主に気づくと給仕を終え、目礼して退室していく。
「大丈夫、前田君とおしゃべりしてたからそんなに気になってないですよ。あなたも色々お忙しいでしょうから」
「あーいや……申し訳ないです。さっそくですが、本日のご用件って?」
 審神者が向かいの椅子に腰かけると、担当官は悪戯っぽい笑みを浮かべてみせた。
「あらっ。もしかして忘れちゃった? ほら、今日は新しい副官を紹介するって」
「っあ……!」
 そういえば、そういう話があったような……と審神者は記憶を掘り起こし、気まずそうに愛想笑いを浮かべた。そうして速攻ですみませんと詫びを入れる。
「って言っても、彼女フリーダムだから、ちょっと今庭に降りててね。呼ぶから少し待ってくださいね」
 男性は端末を取り出し、早く戻ってこいと声をかける。端末越しに、了解です、と可愛らしい声が返って来た。
 待つ間、心臓は恐ろしいほどの爆速で鼓動を刻んだ。もはや通常の倍の速さではないか、そんなことを思うくらい。あまりにもドキドキしすぎて、鼓動に耐え切れず体がふらふらと傾ぐほど。
「すみませ~ん、お待たせしました!」
 まるで小鳥のさえずるような、というのはこういう声を指すのだろう。あるいは、鈴の転がるような、とか。非常に可愛らしい声が響いたと思えば、次の瞬間、客間に非常に可愛らしい女性が入って来た。
 先ほどちらりと見ただけでは分からなかった、否、あの時は長義に気を取られすぎていて細部まで見ていなかった。実際、女性はちょっとしたアイドルみたいに可愛らしい人だった。
「わたし、本丸に入るのが初めてで、どうしても一回お庭が見てみたかったんです! フライングでちょっと見せてもらいました」
「あのね、君はフリーダムすぎ。それより挨拶!」
「今日から、新しい副官として審神者さんをサポートします! 椎名って呼んでください、よろしくお願いします!」
 女が頭を下げる。その女の隣に、まるで当然みたいな雰囲気で、長義がいた。
 それを認めた審神者に、男性担当官はこともなげに告げる。
「そうそう。椎名君と君のとこの山姥切長義はね、前の部署で一緒に働いていたんだよ。だから彼女、どうしてもこの本丸がいいって」
「はい! やっぱり慣れた長義君がいるところがよかったので~」
 そう言って椎名は長義の腕を取ろうとした。が、長義が慣れたような手つきですっと躱す、それに椎名が反発する。――ここはハイスクールか? 青春の楽園か? 審神者は冷めた気持ちでそれを眺めていた。
「椎名君は本丸の担当は初めてだけど、前の部署ではバリバリ働いてた子だからね。年も近いし、色々話しやすいと思う。仲良くね」
「は~い、よろしくお願いしま~す」
 椎名が審神者のちかくまでやってきて、にこやかに手を差し出した。
「こちらこそ~」
 審神者は笑いながら返した、かなり精一杯の笑顔だった。それを見て、椎名はどこか意味深に笑った――ように、審神者には見えた。
 それ以降、彼女は長義の方が向けなかった。見たくも、なかったのだが。
 幸いなことに、打ち合わせ中に長義は誰ぞに呼ばれ、客間からいなくなった。そのため、客人のお見送りは審神者一人と前田藤四郎で行った。この場に彼がいなくてよかったと、審神者は心から思った。
 ぼんやりと、転移装置の中に消えて行った二人の背を見ながら、審神者はこれまでの情報を統合していく。
 前の部署で一緒だった二人。明らかに親しげな二人。あのやり取り、あの空気感。……元カレ、元カノだったりしてもおかしくないのか。わからん、と審神者は首をひねる。女の勘とやらには全く自信がなかった。
 とはいえ、あの女の方は、この際もうどうでもいいものとする。あの手の女と合わないのは、今に始まったことではないからだ。
 問題は、長義だ。
(……あの顔は、見たことがない)
 今一度、審神者は長義の笑みを思い出していた。柔らかく、綺麗で、いとおしげな――想像の中で誇張されていることに、審神者はまったく無自覚である――彼女自身は一度も向けられたことのない、笑顔。
 それが、いつぞや見た「彼」の笑みと重なった。
 愛おしい人を見る、男の、顔。決して、自分には向けられることのなかった、あの顔だ。
(なんだ、またか)
 審神者は思った。落胆と、諦めとの入り混じった複雑な心中だ。泣きたいくらい落ち込んでいるはずなのに、同時に笑いだしそうなくらいおかしくもある。
(なんだ、長義もか)
 私が好きになる人は、みんな私以外の人を好きになる。どうやら、好きな人からは振り向いてもらえない星の元に生まれたらしい、と。今この時、審神者は自分の人生について重要な気付きを得た。
「……主君?」
 歩き出そうとした前田が、しかしいつまで経っても動かない主君に、声をかけた。審神者はそれに気づき、何気ない動作で彼に背を向ける。
「ごめん、先に戻ってて」
「…………」
 前田は気遣うような視線を送る。なにか言いたげにその背を見つめつづけたが、――結局彼は、主が背中で示した「そっとしておいてほしい」という願いを優先させた。
 ぺこりと頭を下げると、彼は去っていく。
 気づかれたよなぁ、と審神者は思い鼻をすすった。どうにか我慢しようとしたのだが、我慢できず、先ほどの声は涙声だった。背を向けていたとはいえ、それに気づかぬ前田ではなかろう。
 指さきで涙をちょいちょいと拭うと、深いため息を一つ。こらえにこらえて、どうにか涙は引っ込んだ
「……尼にでもなるか」
 冗談交じりにそんなことを呟き、ようやく彼女は本丸へ向かって歩き出した。

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