Catch me,if you wanna. - 14/20

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 昼下がりの休憩室。「人をダメにする」という座椅子に長くなって、南泉がぼんやりと中空を眺めている。
「なあ、審神者って霊力のある人間しかなれないんだろ?」
 突然そんなことを問われ、長義はかすかに目を丸くした。
「唐突に、どうしたんだい」
「いや、うちの主ってなにかそういう、神通力とか持ってんのかなと思って」
 呟く南泉を前に、長義はその問いについて考えるよりも先に、――珍しいことがあるものだ、なんて思っている。彼でも主について興味を持つことがあるのか。
「なんだよ、その顔」
「いや、別に。君が彼女に興味を持つなんて珍しいと思ってね」
 さらりと答えた長義に、南泉は一瞬怪訝な顔をしてから、慌てて、「違うにゃ」と付け加えた。
「別に変な意味じゃねえぞ、この前の演練で戦ったとこの本丸で、審神者の神通力がどーたらこーたらってのを聞いたから、うちのはどうなんだと思ったんだにゃ」
「うちの」
「っっっだから、そういう意味じゃねえ!」
「そういう意味って?」
「…………」
 無論、長義には南泉の言に他意がないことなどわかりきっている。その上で、勝手に誤解して勝手に慌てている南泉を面白がっているだけだ。面白いから、殊更揶揄っている。やはりこの刀、根っからどSなのである。
 しかし南泉も、長義のことは分かっていると見える。すぐさま彼の意図に気づき、面白くなさそうにした。
「んだよ……。で、結局どうなんだよ」
「特別な力はないらしい。審神者になるためには、我々刀剣男士を励起させるだけの霊力があればいいわけだし、そのためのメソッドも簡略化されている。特別な神通力がなくても、審神者にはなれるわけだ」
「ふーん、そんなもんか」
「ただまあ……彼女の祖母君は千里眼の持ち主だったらしい。素養は受け継いでいるだろうから、何らかの拍子にその能力が開花してもおかしくないかもね」
 淡々と答えた長義だったが、ふと――思い出し笑い。
「それにしても……。さっきの君の慌てよう。傑作だな」
「ッ、性格悪ィな」
「君が面白すぎるのがいけない」
「そんなんじゃ主からも愛想つかされるぞ」
 苦しまぎれに放たれた、恨みの一言。長義は目を瞬いてから、転瞬、高らかな笑い声をあげた。
「ご心配なく。夫婦仲は円満だ、君も良縁に恵まれるといいのだがね」
「うるせぇ……なんだこいつ」
 南泉は盛大に舌打ちして悪態をついた。素知らぬふりで緑茶をすする長義の、その姿の優雅なことといったら。
 まあ確かに、南泉の目から見ても意外と仲がよさそうなので(このことで主に対する好感度が上がった、「あんな性格悪いやつとうまくやって行けるのか……」と)、癪だ。
「三行半つきつけられろ、にゃ」
 いきおい、南泉は呪いの言葉を吐いた。
 なにを馬鹿なことを、と長義が憐れみまじりの視線を投げつけたとき、休憩室に愛染国俊がやってきた。長義を見つけると、「あ!」と声を上げる。
「やっと見つけたー! 主さんが呼んでるぜ、執務室まで来てくれってさ」
「きっと絶縁状を突き付けられるんだぜ」
 笑顔で言付けを伝えた愛染に、南泉が茶々を入れる。長義はどこまでも優雅に茶の残りを飲み干すと、すっと立ち上がった。
「では俺は行ってくるよ、主が待っている。猫殺し君、この湯飲みを片付けておいてくれ」
「はァ?! なんで俺が!」
「主を待たせるわけにはいかない。頼んだよ、猫殺し君」
「長義さん、オレが片付けとこうか?」
 気を使ったのか、単なる親切か。優しい愛染には、長義も優しい視線と声を向ける。
「いや、これは猫殺し君の仕事だ。彼から仕事を奪うわけにはいかないし、近侍の君に余計な仕事を押し付けるわけにもいかない」
 では、とわざとらしい言葉を残して、長義は休憩室を去った。

 執務室へと続く廊下の中途に、衝立が設置してある。
 大人の腰ほどにも満たない衝立ではあるが、これが廊下に出ているときは、執務室近辺に近づくなという暗黙の了解があった。
 長義が本丸に配属されてから二年。使用されたのを見たことはないが、執務室近辺に行かなければ気づくこともないため、今まで知らなかっただけかもわからない。
 特に気にも留めず、衝立の横を通りすぎていく。
 執務室前で声をかけると、どうぞと軽い声が返ってきた。――彼女の声の調子に、実は安堵した自分がいるということを、長義は決して認めはしないだろう。
 突然の呼び出しに人目を避けるような人払い、まさかまさか、猫殺し君の言葉を気にしていた自分がいるなんて、認められるはずがないのだ。
「失礼するよ、主」
「はーい、どうぞ」
 中へ入ると、いつも通りの感じで審神者が待っていた。
 当然だろう、と長義は思う。昨日も今日も、彼女に変わったところなど特になかった。
 思い出しているのは、閨での姿だ。穏やかな呼吸、暖かな体温と、それによって濃く香る花のような甘い匂い。悩ましい寝姿を前にどうにか耐えられるのは、彼が人間ではなく刀剣男士だからだ。それでも、そこに並みならぬ努力があるのは事実だが。
「用件はなにかな」
 長義が尋ねると、審神者は作業机の前から立って彼の前に移動した。そうして手に持っていた物を差し出してみせる。
 差し出されたのは、預金通帳だった。
 そこに記された名前が、彼女の本名なのだろう。こういう名前だったのか、と長義は場違いなことを考える。その名の響きを心地よく思ったその時、審神者は通帳を開いて中を見せた。
「ここに、」
 たおやかな指が、通帳に印字された最終的な預金残高を示す。審神者に就業してからの給与が振り込まれつづけたそれはかなりな数字だが、――それにしても、額が大きすぎる。
「審神者になってからの給料と、ばーちゃんからの生前贈与の一部が入ってます。色々調べたんだけど、結局相場が良く分からなくて、自分が出せる最大限の金額がこちらになります」
「……何に対するお金かな?」
「慰謝料というか、解決金というか……。ヤクザ的に言うと『誠意』?」
「なんの話だ」
「離婚の話ですね」
 ――彼女があまりにも普段通りの口調で話すので、長義には最初、それが何を意味する言葉なのか、理解が出来なかった。
「刀剣男士と審神者の婚姻は、法的な拘束力を持たないでしょ。事実婚というか。それに本丸の中は治外法権。一番簡単な方法かなと思って」
「…………」
 長義は、考えた。彼女が何を言いたいのか。考えに考えた。山姥切長義とは、多くの場合、冷静で合理的、記憶力抜群で情報判断能力に優れた刀剣男士だ。この長義とて例外ではない。しかしその彼にしても、これは難問過ぎた。
 何度考えても、結論は「彼女は離婚を望んでいる」という結論にしか至らないのだ。しかしそんなこと、あるはずがなくて。
 これはもう、訳が分からなかった。
「……あなたは、離婚を望んでいる、ということで間違いないかな」
 双方の認識に相違がないかを確認するという作業。これはインシデント・アクシデントを防ぐうえで重要なものだ。そんなはずはあり得ない、という前提で問いかける長義に、
「間違いないですね」
 審神者は軽く肯定を返した。
 冗談を言っているのだと、長義は思った。一瞬笑い飛ばそうとして、しかし、全くそんな雰囲気を醸し出そうとしない彼女に――山姥切長義ともあろうものが!――怯んでしまう。
 それによくよく考えてみれば、彼女はこのテの冗談は好まない。そんなこと、長義がよく知っている。長義こそが一番知っている。偽物君よりも、初期刀よりも、……彼女が好きだった「彼奴」よりも。
 思わず激高しかけた長義だったが、ぐっと息を止め言葉を飲み込み数秒沈黙する。怒りのピークが過ぎ去ると、すぐさま口を開いた。
「訳が分からない。理由を説明してもらおうか」
「性格の不一致ということで」
「どのような点がそうなのか、具体的な説明を求む。そのような極論を出すのではなく、まずはお互いで問題を共有し、改善を目指すべきではないかな」
「えー……。じゃあ、私の不貞が理由ってことで」
 審神者はやや面倒くさそうに呟いた。
「不貞! 不貞の意味を分かっているのかな? では誰との不貞だ。どこで何をした。そこまで話してもらおうか」
「じゃあもう、そういうところを聞いて来るのが面倒くさいから、やっぱ性格の不一致ってことでいいじゃん」
「それじゃあ理由にならないと言っているだろう!!」
 勢いあまって長義が畳をどんと叩くと、審神者はこわばっていた顔をさらに蹙めた。どこか苛々したように視線をさまよわせ、ため息を吐いてみせる。
「あーもう……。だからさぁ……」
 そのため息は、やけに熱っぽく聞こえた。審神者は俯いて額に手を当てる。腕で隠すようにはしているが、それだけで隠すことはできない。
 長義の目が、ぽつりと滴っておちた雫を捕捉した。
「主……?」
「どうせさあ……お互い好きで結婚したわけじゃないじゃん。世間体とかそういうことなんでしょ? 世間体気になるなら、円満離婚のほうがいいじゃん。足りないならもっと積むから。もうやめようよ」
 世間体が気になる? ……世間体とはなんだ。そんなもの関係ない。
 お互い好きあってない? ……少なくとも長義は、どんな非道な手段を使っても、彼女を手に入れたかった。
 金をもっと積む? ……金が欲しいなんて一言も言ったことはない。もしも生活に困窮するというのなら、どんな手を使ってでも養っていく覚悟がある。
 ――馬鹿にしているのか。馬鹿にしているのだな。長義は確信した。ここまで虚仮にされたのは、初めての経験だった。
 ドクン。
 その瞬間ひときわ強く、ひときわ激しく、長義の心臓が鼓動を打った。それを皮切りに、心拍数はどんどんと上がっていく。呼吸のしづらさを覚えた次には、体が熱くなり、じわじわと視界が狭く黒くなっていくような感覚がした。
 今まで感じたことがないほど強烈で、獰猛な感情。その正体は、こらえようのないほどの強い怒りだ。
 みなぎった怒りが全身にいきわたったころ、長義は顕現されてこの方はじめて、理性を手放した。
 敵に上手くあしらわれて大怪我させられたときも、演練のとき主の前で無様な姿をさらしたときも、どれほどの屈辱を味わったとしても、彼女の前でだけは鉄壁の理性を崩さなかった、この男士が。
 ――まるでふっつりと糸が切れたようだった、とのちに長義は述懐する。ふっつりと切れたのは、理性の糸だけでなく思考回路もだったが。
「……どこのどいつだ」
 長義は、さめざめと泣く女を強く突き飛ばした。その体は軽く華奢で、強い力に翻弄され簡単に畳の上に転がった。
 もはや今の彼に、複雑なことは考えられない。どこのどいつ、というのは彼女が「不貞」を働いたという、存在するかどうかも怪しい相手のことだ。
 とにもかくにも、その相手を見つけ出して殺す。ひとまず、長義の頭の中には、男への嫉妬と殺意があった。

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