15
「っ…………」
審神者は、目を白黒とさせなにも答えない。答えない、というよりは答えられないというのが正解だろう。唐突につき飛ばされて、その衝撃ですでに平常心を失っている。
もっと踏み込めば、なぜ長義が怒っているのか、どこのどいつとは一体どういうことか、そんな基本的なことからして理解していない。
彼女に言わせてみれば、今までのやりとりすべて、適当にでっち上げたことに過ぎない。ゆえに、自分が何を言ったのか、よくよく考えてからでないと思い出せなかったりする。しかしながら、長義怒りの暴挙を前に、それほどの猶予はない。一切ない。
いつまで経っても答えない(答えられない)審神者に、長義の怒りは頂点のさらに頂点を突き抜けた。こうなるともはや手の付けようがない。
刀剣男士、男か女かで分類するなら「男」。本性は刀、つまり攻撃性の権化ともいえる。怯えて震える女など、うまそうな獲物にしか見えないだろう。
畳の上に無防備に転がった体を跨ぐと、逃げられないように腰を落とした。
「相手が誰だろうとあなたは渡さない。いい加減、自分が誰のものか、わきまえるべきだろう?!」
怯えて小さくなった審神者が、長義の手から逃れるように身をすくめる。
まぎれもない拒絶はしかし、致し方ないものだ。長義が、というよりは、自分を攻撃しうるものが恐ろしくて取った行動なのだが、そんなこと、今の彼には分からない。
理性は失っているくせに、その行動に長義の心はひどく傷ついた。――彼女に触れたい、というのは長義が常に秘め続けてきた願望だった。その否定というのはつまり、山姥切長義の恋心の否定に他ならなかった。
長義は抵抗する審神者をたやすく押さえつけると、その上からさらに、駄目押しとばかりにのしかかって動きを封じた。それでも懸命にもがく頭を固定し、噛みつくように口付けする。歯がぶつかって出血したが、そんな些末なことも気にならない。
唇を割って舌を差し込むが、固く閉ざされた歯が異物の侵入を阻む。賢明に酸素を取り入れようとする鼻をぎゅっとつまんでやれば、審神者は酸素を求めて数秒で口を開いた。
「んっー!!」
その瞬間を見逃さず、舌を差し入れると、彼女は喉の奥から声にならない声を上げた。いきおいその舌に噛みつこうとしたが、噛みついた瞬間の――肉を食むようなナマな感触に驚いたのか、噛み切ることも出来ず離してしまう。
長義からすれば、それはまるで舌を甘噛みされたような塩梅だ。その感覚が痺れるように脳天から足先まで走りぬけ、体の中心をずくりと硬くさせる。夢中で口腔へ舌を伸ばし女の舌に触れると、その柔らかさや暖かさがまた、たまらなく興奮させた。
「んぅ……」
逃げようとする舌を絡め、その表面から裏から嘗めまわす。溢れそうな唾液をすすり、お返しのように舌を甘噛みする。ぴちゃぴちゃと卑猥な音が鳴って、更なる興奮を呼び起こす。
――このとき長義は、無意識ながら自分の神気を審神者に送り込んでいた。
それがどういった意味をなすか、分からぬ長義ではない。しかしこの時の彼はそういったことにまったく自覚がなかった。無我夢中だからだ。
粘膜を通して取り入れられた神気は、血流に乗って瞬く間に全身にいきわたった。これが限界値を突破すれば人間卒業と相成っていたが、なんせにじみ出た程度の微量な神気だ。そこまでの効果は得られなかったが、しかし、変化をもたらすには十分だった。
審神者の霊力と長義の神気がぶつかり、交わったその刹那、彼女の霊力は爆発的に上がった。その結果、彼女の潜在的な能力を引き出した。
潜在的な能力とは、すなわち、彼女の祖母が自在に使いこなしたという千里眼だ。彼女の祖母が過去の事物しか見通せなかったのに対し、審神者は、これに加えて事物の記憶にさえ触れることができた。
繋がった部分から通して、溢れてくる思い。
熱量。――見たくもないのに、見えてしまう。
その瞬間、彼女は長義の記憶に触れた。
山姥切長義の視線の先に必ずいたのは、さえない女だった。いついかなるときもさえなかった女はしかし、あるとき急に変わった。
輝いている、ように見えた。目の錯覚かもしれないが。そうして長義は、変わらず熱っぽい視線を送り続ける。春も、夏も、秋も、冬も。朝も、昼も、夜も。
そうしてさえない女の視線の先には、――長義の視線の先に女がいるように――とある男が、いた。さえない女はその男が好きだった。――もやもやした黒い感情が、心に絡みついてくる。
それは紛れもない、山姥切長義の嫉妬だった。
急激に場面が切り替わる。
視界の中に、急に加州清光が現れた。
『お前さあ、なにが目的なわけ?』
剣呑な初期刀の声には、どきりとさせるものがあった。それは彼が決して仲間内には見せることのない表情であり、また、仲間に向けることのない声色だった。
『目的? なんのことかな』
『とぼけんじゃねえよ。主に襲われたとか言って結婚まで迫って、なにがしたいわけ? 言っとくけど、うちの本丸は合議制だから、主を篭絡したところでお前の意のままになんてならないからね』
『君が今言っていることがすべてではないかな? 主も本丸も、意のままに出来たとして俺にはなんの旨味もない。そんなことのために、俺が策を弄して主に結婚を迫ったと?』
『それでも、主とやってねえだろ』
『まったく……なんと下世話な。身体検査でもしたのかな? それとも、刀剣男士と交われば神気が移る、という都市伝説を信じている?』
『じゃあなんで結婚した後もやんねえの?』
そう言いながら登場したのは、もう一人の加州清光。――演練で知り合って以来仲良くしている、よその本丸の加州だ。まさか、この二口で情報共有していたとは。
『それは……』
『なに?』
『納得いく答えじゃなきゃ、ただじゃおかねえよ』
修行を済ませ、本丸内でも屈指の練度を誇る彼女の加州と、同様に極めた加州。練度も経験も比べ物にならない二口に囲まれて、さすがの長義も白旗を振った。
『恐らく君たちも気づいているだろうが、俺と主の間に肉体関係はない。あの晩、途中まではそんな空気だったが、……好きな男の影を吹っ切るためだけに利用されるのは、我慢がならなかった。彼女の涙に怯んだというのもある。しかし同時に、憎らしくてたまらなかった。だから、彼女の記憶がないのをいいことに利用させてもらった。こうする以外に、確実に手に入れる方法がなかったんだ』
『じゃあ、彼女を抱かなかったのって』
余所の加州が、呆れたように言う。
『……乙女だとばれたら、嘘をついていたことがバレてしまう』
頬をかすかに染めて恥じらう姿は、長義の方がよほど乙女のようだ。
加州二口が顔を見合わせる。――こいつぜってえ童貞だわ。そんな胸中の呟きまで聞こえてしまった。
彼女の加州が、ほっとしたような、それでいて呆れたようにため息を吐く。
『なんだよ、そういうことか。俺てっきり、よそに本命の女がいるのかと思った』
『っ何故そうなる?! 本命がいたら結婚なんて迫るわけないだろう!!』
『だから、目的が見えないから不気味だったってわけ。だってまさか、お前が彼女のこと好きとか思わないじゃん?』
頭の後ろで腕を組んだ加州に、彼女の加州は顎に手を当てて考える素振りをみせた。
『いや、でも俺は言われてみたら……ってところあるかも。長義さ、宴会のとき何気に主の近くをキープしてたんだよね。しかも、絶対そんなキャラじゃないのに、二次会三次会まで必ず付き合ってた』
『まじで?! うちの長義は宴会とか開いてもほっとんど参加しないよ。二次会とかもってのほか』
『あと、長義が遠征や出陣の報告をするときは、大体長かった。後押してんだから早くしろよ、って思ったことあるもん』
『へ~。いっぱい話したいことがあったんだね』
『あ、そういえば! 普段は絶対参加しないくせに、主が混じってると缶蹴りとかかくれんぼとか入ってくるよね~。いいところ見せたかったのか、かなりムキになってたし』
『へぇ~なに、案外可愛いところあるじゃん』
『勘弁してくれ……』
恥ずかしい姿を暴露され、加州二口に詰められて、長義は口元を手で覆った。
ぼんやりと視界が滲んで、切り替わった。
審神者は現実に返ってきた。
そうすると同時に、目の前はくらくらでふらふらで、体には力が入らない。長時間にわたる口づけのせいで、極度の酸欠状態。あるいは、高濃度の神気を注入されたことによる酩酊状態。意識が飛んでもおかしくないほどだ。
記憶のなかでは恥ずかしそうにしていた長義も、現実には怖い顔をして審神者の着物を脱がせ、事に及ぼうとしている。むきだしの手が、むき出しの肌に触れると、そこから火のような思いが伝わった。
好きだ、好きだ、憎い、憎い。限りない恋情と憎悪、どちらも燃えるように熱くて痛い。――クールな刀剣男士だと、思っていた。こんなに熱くなるなんて知らなかった。こんな激情をたたえていたなんて、知らなかった。クールなんて、程遠い。
彼女は何も知らなかった。本当に、なにも。知ろうともしなかった。
まさか長義が自分のことを好きだなんて、思わなかったのだ。勝手に自分だけが彼を好きになったと思い込んでいた。だから、―また恋に敗れたくなくて、選ばれないのがいやで、傷つきたくなくて、すべてを終わりにしたいと思ったのだ。
そうして知った。
自分がどれほど彼を傷つけたのかを。
これは殺されてもしょうがない、とさえ審神者は思う。
「……ごめんなさい、長義」
かすかに呟かれた言葉に、長義はぴたりと動きを止めた。
「それはどういう意味だ」
荒い吐息の合間に紡がれた言葉は、氷のように冷たい響きをしている。それと同時に、審神者の首に彼の手が巻きついてきゅっと締め上げる。なにを誤解しているのかは分からないが、答えようによっては殺す、ともとれる。
それで気が済むなら。
「全然、気が付かなくて。長義、全然手を出してこないから、私じゃ立たないのかな、とか。外に好きな人がいるのかな、とか考えてた。政府の……なんだっけ、名前度忘れしたけど、あの可愛い子のこと好きなのかな、とか、元カノなのかな、だったらここで一緒に働いたら元鞘になっちゃうかな、とか考えて嫉妬してた」
「っ……は? 単なる元同僚だが」
一瞬正気になったのか、長義はぽかんとして呟いた。
なんだそうなの、審神者は安堵したように笑う。
「初めてなので、出来ればやさしくしてほしいけど、怒らせちゃったから……どうなってもしょうがないね。ごめん。あ、加州のこともごめん。うちの加州も、友達の加州も、どっちも口が悪いし遠慮がないから」
「なっ……」
「ごめん、なぜか見えちゃった」
「~~~~~ッ!!」
審神者が白状すると、長義は胸を押さえてのけ反った。そのまま天井を拝んで悶えたのち(のけぞって悶える人をはじめてみた、と後に審神者は語る)、白銀の髪をぐしゃっと両手でかきむしり、審神者の着衣を整え、上から退いた。
「…………?」
審神者は訳が分からず目を瞬いた。長義は背を向けているため、表情が見えない。
「……仕切りなおさせてもらって、いいかな」
なんのことだ、と審神者は思ったものの聞き返せる雰囲気ではない。
「あ、はい」
そうして否定できる雰囲気でもなく、彼女はただただ頷いた。
そうすると長義はすくっと立ち上がり、次の間へ消えて行った。襖を開ける音、何かを敷く音――それが布団を敷いた音だと分かり、審神者はやっと意味を理解した。
「~~~~~!!」
意味を理解して初めて、審神者は恥ずかしさに悶絶した。
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