Catch me,if you wanna. - 18/20

好き/キス

 すべての事象には必ず理由がある、といったのはどこの誰だったか。そもそもどこでそんな言葉を見かけたのか、記憶を遡ろうとして、――しかし一瞬でどうでもよくなった。
 笑いかける彼女があまりにも可憐で美しく、胸が詰まるほど、息が苦しくなるほど、胸中に切ない思いが押し寄せた。なぜこんな気持ちになるのか、長義には理解できない。今はそんな気持ちになるような場面ではない。
 彼女はただ、庭に咲いた桃の花が綺麗だと笑っただけだ。色が綺麗、形が可愛い。桃の実がなるのかなぁ、食べたいなぁ。そう言ってただ、笑った。―切なくなる理由があろうか。
「……ちょぎ君、どうしたの?」
 反応のない長義を訝ったのだろう、審神者は彼の前でひらひらと手を振ってみせる。
 いや、とも、なんでも、とも不思議なくらいに声が出せない。まるで喉がつぶれたように、なにも喋れないのだ。それが苦しくて、辛くて、たまらない。
 長義は無性に―手を伸ばした。訳もなく、意味もなく、理由も分からぬまま。彼女は逃げない。難なく長義の腕の中に収まり、そのくせ、抱きしめられていると気づくと、焦ったように身じろいでみるのだ。
「えっ……ちょ、なにぃ? どしたの。寒いの? 暖を取りたいの?」
 広い庭園に人影なしといえど、公共の場だ。いつ誰がくるとも限らない。色事となると途端に奥ゆかしい彼女のことだ、たとい夫婦といえど、この種の戯れを他人に見られるのは、恥ずかしくてたまらないのだろう。
「ちょぎ君、誰か来るかも、」
「黙って」
 するりと長義の手が審神者の頬を撫で、形を確かめるように包みこむ。審神者の瞳に映りこんだ長義の、熱に浮かれた眼差しの温度とか。熱い吐息とか。――審神者はまるで、そう決められていたかのように目を閉じた。
 そうされるともはや、抗いがたい引力が働いたように、長義は唇を寄せている。それは吸い寄せられるように重なり、互いを慈しんだ。

 長義はどこか呆然自失として、虚空を仰いでいる。
 ぼんやりしていた自分に気づき、はっと我に返って――しばし悶絶。自分がなぜぼんやりしていたか、その理由というのは大変破廉恥に過ぎた。
 つい先ほど、審神者と別れる前。庭園でふたりは何をしていたか。庭に咲く花々を眺めていた。その一つに彼女が大変な興味を示した。
 綺麗だ可愛いと年甲斐もなくはしゃいで、笑った。その笑った顔が可愛かった。いとしかった。切なくなった。――それでどうしたかというと無性に、唇を重ねたくなったのだ。
 いや、と長義は思う。あれは彼女がいけない。あんなふうに見つめ合って目を閉じられると、もはやそうするしかなくなるではないか。全部彼女のせい。
 そんなふうに責任転嫁をしてみるが、ふと、いやしかしなぜ、と疑問がわいてくる。なぜ、愛する二人が見つめ合って目を閉じれば、接吻するのか。それをごく当然のごとく受け止めた自分がいたが、それは一体なぜなのだ。
 むしろ、なぜ、いとしくなると口付けを交わしたくなるのか。分からない。なにも、分からない。しかし世のあらゆることには、何かしらの理由があるはずだ。理由。

「あなたはどんな時に、その」
 唐突に口を利いた山姥切に、審神者はぽかんとした視線を投げた。
 しかし、聴く体勢に入ったのに長義はそれ以上の言葉を続けようとしない。一体何事。審神者は仕方なく、それ以上資料を読む手を止めて、体ごと彼に向き直った。
「どんなときに、なに?」
「いや……」
「私が、どんなときに?」
「…………」
 根気強く聞いてみるが、長義はなかなか口を割ろうとしない。うーん、と審神者は考え込んでみせる。
「このままほっといてほしい? それともウザ絡みしてほしい?」
 審神者が意地悪な聞き方をすると、長義は黙り込んだ。こういう時の答えは、分かり切っている。ほっといてほしければそう言う。そう言わないということは、だ。
「ちょぎ君ちょぎ君~どうしたの。主さんになに聞きたかったの?」
 長義の体にガンガンと体をぶつけながら、限りなく鬱陶しい絡み方をしてやる。ガンガンとぶつけられてちょっと上体をゆらしながら、長義はそっと、審神者の肩を抱いた。
「?」
 疑問符を並べる審神者に構わず、そのまま顔を近づけて、
「うわなにをするやめ、」
 唇に、触れるだけのバードキス。触れるだけ触れて、すぐに離れていった。
 審神者はぽかんとしていたが、いきなりのそれに若干照れて、それまでの勢いを失った。
「な……なにすんでぇ」
「いや、接吻とは何か、考えていたんだ」
「せっ……お、おう?」
「どんなときに、どんな意図をもってするものかな、と。今は特にどんな意図もなかったが、そういう場合の接吻とはどうだろうと思ってね」
 淡々と、まるで自分の実験について語る科学者のような口ぶりで言った長義に、審神者は眉を寄せた。
「んで? 結果は?」
「…………」
 長義はそっと顔を背けてみせた。どんな顔をしているのか、と審神者が追いかけようとすると長義はさっと逃げようとする。それを、顔を無理矢理掴んで拝んでやると―長義は必死に笑いをかみ殺すみたいな顔をしていた。笑い。否、この場合は「にやける」が正しい。
「なんや、よかったんかい」
 審神者が面白くなさそうに突っ込むと、
「悪いか! いいに決まってるだろう!」
 長義は声をひっくり返しながら反論した。
 どうどう。審神者が誠意のかけらもなく対応する。
「まあ待て、早まるな。ちょぎ君の言いたいことは分かった」
「絶対分かってない!」
「分かってるよ」
「嘘だ、あなたのような情緒も解さなければ哲学的な思考にも縁遠い人に、俺の考えが分かってたまるか!」
「人間歴二年のちょぎ君にそこまで言われるのは心外ですね。いーや分かってる、つまりこういうことだよ」
 言うが早いか、審神者は長義の首に抱き着くようにすると、そのままの勢いで彼の唇を奪った。軽く啄み、たっぷりと味わい、最後にはちゅっと軽やかな音を立てて離れていく。
 長義は面食らって放心している。そんな彼に、ニヒヒと怪しい笑みを向けて、言うのである。
「キスしたくなるほど、私のことが好きってことでしょ?」
 ―放心していた長義が、復活するまで数秒。反撃まで秒読みである。

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