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いつぞやの雑談から数日。
彼の恋人を紹介されることとなった。無論、部外者は本丸に立ち入れないため、本丸の外で。彼らの行きつけであるという小さな喫茶店に案内され、そこで初顔合わせとなった。
「あの、初めまして……じゃなかった、いつもご贔屓にしてもらってありがとうございます。えっと、■■くんとお付き合いさせてもらってます」
彼の恋人というのが、目の前にいる。
小柄で可愛くて、まるで小動物みたい。年齢は審神者よりいくらも若く、まるでもぎたての果実みたいに瑞々しい。
初対面では、なかった。女は仕立屋の娘で、審神者は何度か彼女に着物を仕立ててもらったことがある。思い返せばその時、彼が供したことがあったかもしれない。
「そっか、主は着物を縫ってもらったことがあったんだったね。じゃ、話は早いよね」
ついてきた加州がそんなことを言いながら、話を進めてくれる。正直、初期刀の存在がありがたかった。二対一の三者面談状態だったら、自分がどんな風にしていたか想像するのも恐ろしい。話し上手な加州のおかげで、場は楽しく盛り上がった。
彼の恋人は、料理上手で、裁縫が得意で(当たり前だ、仕立屋なんだから)、気づかいが出来て――加州に言わせてみれば、
「男ってこういう子と結婚したいんだろうね~」
的を射ているな、と審神者もまた思った。多分自分が男でもそう思うだろう。
まかり間違っても、家事炊事がいまいちで仕事に生きる理屈っぽい女なぞ願い下げだろう。世間的な需要など圧倒的に前者だ。――私が彼女に勝てるものってなんだ? 年収? そんなことを考えて、審神者はひどい自己嫌悪に陥った。年収で勝ったとしても、彼が愛しているのはあの女に変わりはない。何の解決にもならない。
顔合わせは表向き、大変に和やかなムードで終了した。
きっと大成功だと思っているだろう。きっと彼の上司に気に入られたと思っているだろう。――審神者は笑顔のまま二人と別れ本丸に戻り、こっそりと彼女に仕立ててもらった着物を燃やした。
かなりの買い物だったのだが、未練はない。醜い灰になったのは初恋の末路だ。それに水をかけて、審神者は居室へと戻った。
彼は、あの女と付き合ってから優しくなったのだ、と思う。優しくなり、人間っぽくなった。たとえばふとした時に見せる優しい表情だとか、気づかう言葉だとか――そういった人間性は、あの女が与えたもうたのだろう。
そうして彼は、その人間性を主である審神者へおすそ分けしてくれた。審神者はそれと知らずに勝手に舞い上がり、勝手に恋をして、敗れた。
彼は、あの女のことを聞くと、とても嬉しそうにした。含羞むような笑い方をした。優しい声で、いとしげな声で、あの女にまつわるエピソードを、大事そうに語る。そんな顔を審神者は知らなかったし、審神者にさせられる顏ではなかった。
そうなると、もう途端にすべてがどうでもよくなった。
とはいえ、すべてを投げ出せるほど激情的でなく、悲劇の主人公にもなりきれないつまらない性格だ。ただひとつ言えるのは、本丸にいたくないということだった。
なんとか本丸を離れられる方法はないかと模索し、――とある伝手から、審神者養成所が臨時講師を募集していることを知る。講師を務めるには資格がいるのだが、審神者はそれを有していた。
キャリアアップの一環で取得したもので、――まさか彼に褒められたい一心で頑張ったことが、こんなところで役に立つとは。運命の皮肉さを思いながら、審神者はすぐさま立候補し、ほどなくして認められたのだった。
「はぁ?! 俺そんな話、一っ言も聞いてないんだけど!!」
現世に出張に行くことになった、期間は三か月ほど。そんなことを加州に告げると、彼は激しいほどの勢いで審神者にくってかかった。
当然だ、審神者がいない間本丸は休業――というならまだしも、無論このご時世にそんなことは許されず、出陣・遠征任務は通常通り取り組まなければならない。主不在の間、本丸の指揮を誰が執るか。もちろんそこは、初期刀の加州にお願いした審神者であった。
加州が激怒するのも致し方ない。
「前もって話さなかったのは、本当に悪かったと思う。でも、応募から発表までの期間が短すぎて事後報告になっちゃった。本当にごめん」
「ごめんじゃないよ! こんな大事なこと、俺に一言の相談もなく決めるなんて。しかも本丸を不在にする? その間俺が主の代行? ふざけんなって!」
加州が激しくかみついたその時、執務室の襖の向こうから声がかけられる。
『山姥切長義だ。取り込み中悪いが、昼までに決裁をもらわなくてはならない書類がある。失礼したいのだが』
ぎょっとした顔をする加州の横で、審神者が「あ」と声を上げる。来月の予算……。審神者の呟きに、加州は鬼の形相になりつつ長義に入室を促した。
山姥切長義は気まずい雰囲気の流れる主従に一瞥をくれると、しかし何事もなかったかのように審神者の前に書類を提示する。審神者はざっと目を通し、内容もほとんど理解せぬまま署名をし判を押した。
「……大分、荒れている様子だ」
皮肉ともつかない長義の言葉に、加州は吐き捨てるように主が悪いと苦く呟いた。そんな初期刀をちらりと見つめ、長義は膨大な書類をめくって次に審神者が判を押すところを示した。
「当事者間で十分な話し合いが出来ていなかったのはまずいが、加州清光。スキルアップを図りたいという主の意思を、個人的な感情で妨げるのはいかがなものかな」
「……なにそれ?」
「講師業なんて、普通に審神者をやるより儲からないものだよ。しかも激務だ。それなのにわざわざ志願するというのは、そこに崇高な志があるからに他ならない。実際、彼女は指導免許の資格取得に向けて頑張っていたと思う。初期刀の君は、それを間近で支えていたのではないかな」
審神者はぽかんとした。
言葉は悪いが、――こいつは何を言っているんだろう、とさえ内心思っている。
もちろん、彼女に長義の言うような崇高な志など、あるはずもない。臨時講師を志願したのは、「彼」と一秒でも顔を合わせたくなくて、離れている間に失恋の傷を癒したいと思ったからだ。
しかし意外にも、長義の言葉は加州になにか深く刺さるところがあったらしい。まじか。審神者はさらにぽかんとした。
「……主、研修の時にきちんと指導したい、って言ってたもんね」
加州はどこか落ち込んだように呟いた。
確かにそのようなことを言ったが、それは資格取得のための言い訳だ。実際には「彼」によく見られたい、が取得動機の八割を占める。
「彼女のような年若い審神者が講師を務められる科目なんて、かなり限られてくる。ピンポイントでその椅子が空いたというのは、僥倖だったよ。彼女が焦り、何の相談も出来ないまま突っ走っても、無理からぬことだと俺は思う」
「……ごめん、俺もいきなりで、考えなしなこと言っちゃった」
まるでアシストするような長義の言葉に、加州はついに謝罪するに至った。
審神者は内心で釈然としないような、助かったような、微妙な気持ちながら流れに便乗することとした。
「っ……いや。私も、本当にいきなりで、ごめん。加州なら、大丈夫かなと思って」
「すぐそういう、おだてるみたいなこと言って! あ~もう、それで許しちゃう俺もどうなのって感じなんだけど……。わかった、留守中は俺に任せて、行っておいで」
「うん、ありがとう」
主従の和睦が成立したところで、審神者はちらりと長義を見た。審神者が何か言うよりも先に、加州が口を開く。
「そういえば、護衛として刀剣男士を一名同行させなきゃいけないんだよね? 政府のことに詳しいし、長義に行ってもらえたら嬉しいんだけど」
加州の提案に、――そういえば、募集要項の中にそういう文言があったようななかったような、と審神者は記憶を掘り起こした。それと同時にその言葉の意味を考え、え、とちょっと慌てる。
確かに、いまこの瞬間は彼の言葉に助けられた。大いに助けられた。本当に、まさかまさかのところでナイスアシストだった。しかし――それとこれとは話が大分別だ。
「いやっ……! でもほら、長義にも都合というものが」
「俺は、構わない。それに政府の関連施設なら勝手がわかっているし、助けになれると思う。あなたがお嫌でないのなら、どうかな」
爽やかに提案する長義の横で、加州は「まさか嫌ってことはないよね?」とさも当然の体で言う。
結局のところ審神者は、
「じゃあぜひとも、お願いしたく」
頷く以外の選択肢がなかった。
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