すべてお見通し
その日は朝から、山姥切長義の機嫌はよかった。
畑当番で一緒だった偽物君が大ボケをかましても、全く偽物君はしょうがないなぁと笑って済ませたし(いつもなら小言が二時間くらい続く)、昼食のとき御手杵にカレーをぶちまけられたときも、失敗は誰にだってあると微笑んでいた。
やべえよ監査官めっちゃ怒ってるだろ、と鶴丸あたりは結構恐怖していたが、長義とは元同室でそこそこ親しい南泉だけは、その理由を知っていた―。
明日は審神者の休日。
つまり、審神者と長義がいちゃいちゃする日なのである。
無論、南泉はいちゃいちゃするという話は聞いたこともないが、その日は二人とも、仕事が終わったらさっさと奥に引き上げて行くため、―まあ実は、南泉以外も割と知っていたりする。なんなら加州あたりは、ふたりが奥で一緒にご飯を作って食べている、ということまで知っていた。
審神者の仕事が終わるのを待って、というか、手伝って早く終わらせ奥へ向かう。
今日は何が食べたい? 何を作ろうか。なんて、他愛のないことを話しながら歩く道すがら、それだけで長義は幸せを噛みしめていた。
ふたりして奥の調理場にならび、夕食を作る。そのほとんどは長義が作ったものであり、
「あなたには花嫁修業が必要だったね」
なんて意地の悪いことを言ってみるのだが、内心は、なにも出来なくていい。生活のすべてを俺に依存し、俺なしでは生きていけなくなればいい、とか考えていたりするのが、この山姥切長義である。
あるいは、美味しそうに食べる彼女を見ては、
「そんなに食べても大丈夫かな?」
なんてことも言ってみたりする一方で、むしろあなたを食べてしまいたい、などとも考えている。たまに、加州からそんなにツンデレ過ぎて大丈夫? と心配されることもあるが、なにも問題はない。
花嫁修業~のコメントに対しては、
「大丈夫、ちょぎ君を嫁にもらったようなもんだから」
そんなに食べても~のくだりでは、
「いいのよ。日本人女性の痩せ信仰にはこちとらうんざりしてんだから」
などと彼女はいずれも逞しく返すので、大丈夫なのである。
さて、ふたりは夕食を片付けてまったりとテレビを見ていた。
「ちょぎ君。お風呂沸いたみたい」
遠くで聞こえたお風呂のアナウンスを聞きつけて、審神者が言う。
こういうとき、長義は必ずレディファーストで、と返した。理由はドン引き必須なので絶対に言えないが、あえて言おう、彼女の残り湯がいいからだ。
いつもなら、なんだかんだ言いつつ分かった~とこだわりなく返した審神者であるが、この日は違った。
「私テレビ見るので忙しいから、ちょぎ君先入ってよ。いっつも私の残り湯じゃヤでしょ?」
だがそれがいいのだが、ごねて変に思われるのもまずいので、残念ながら長義は従うこととした。
余談ながら、長義は長風呂である。
ゆっくりじっくりとぬるめの湯につかり、汗を流していたとき、バタバタと走ってくる音が聞こえ、長義はすわ大事かと湯舟から立ち上がった。
脱衣所に、審神者の気配が。
『ちょ、ちょぎ君……』
扉一枚隔てた向こうで、審神者が裏返った声で話しかけてきた。上がる準備をした長義に、彼女が言い放った一言とは。
『……一緒にお風呂、入って良い……?』
ジーザス! 長義は目を見開いた。
――
脱衣所から、するすると脱衣する音が聞こえる。
『ごめん本当にごめん……。恐怖特集がやばすぎた……』
どうせそんなこったろうとは思った、とは長義の胸中。しかしながらこれはこれでいい。
「まったく……。それで審神者が務まるのかな?」
と辛口なことを言いつつ、長義は得意顔でガッツポーズをしている。
そうこうしているうちに、服を脱ぎ終わった審神者が入って来た。
「ううう……面目次第もない」
タオルで前を隠している。恥じらってはいるが、恥じらわないようにしているのも分かる。しかしその裏腹な気持ちの表れが、激しいほどにマーベラス。
よほど恥ずかしいのか、それとも恐怖特集にビビっているのか、審神者はほとんど物を言わず、しずしずと髪を洗い、体を洗い―そうして湯舟の長義に声をかけた。
「ちょぎ君、体とかもう洗ったの?」
「えっあ、いや、洗ったよ」
「あ、そうなんだ残念。背中流してやろうかなって思ったんだけど」
危うく長義は悶えそうになった。なんだそれ可愛いか? 非常に動揺しながら、どうにか建前を、
「それはぜひとも流してほしかったな」
言いたかったのだが、動揺のせいで本音が駄々漏れになってしまった。この場合の建前というのは、「湯船に浸かってるんだから、もうとっくに洗ったさ」だった。
「そうなの? じゃあもう一回洗ってあげようか」
んんんんだからなんでそんな可愛いことを言うかな? 長義は内心で激しいヘッドバンギングをかまし、あふれ出そうな愛を身内にとどめようとする。
「お願いしよう」
――まあ結局、とどめられなかったのだが。
長義の後ろから、審神者が柔らかいスポンジで背中を洗っている。前には鏡があるが、湯気で曇っているため何も見えない。よかった、と長義は心から安堵した。この緩み切った顔を見られたら、生きてはいけないところだ。
「どこか洗い足りないところないですか~?」
審神者が冗談めかして言う。
はあもうなんでこんな可愛いことを。いちいち憎らしく思いながら、長義は精一杯気取った声で、
「結構なお手前で」
なんて返してみた。この流れで、君の背中も流してあげようか、なんて言いたいところだったが、彼女もつい先ほど体を洗ったばかりだし――さすがに欲張りすぎるのもいけない。と考えを改めた長義であった。
そうしてふたり、湯船に浸かる。
二人分の体積が増えたことで、白濁のお湯が少しだけこぼれた。
奥の風呂は、審神者ひとりだけのために作られたものであるが、一人用にしては湯舟はやや大きい。しかし二人で入ると少し窮屈だ。
当初、長義の向かいにちょこんと座っていた審神者だが、ちょっと笑って、
「ごめん、なんだか向かい合うのって恥ずかしいな。後ろ向いてもいい?」
などと言ってくるりと背を向けた。
そうすると、洗い髪がアップにされて、彼女のうなじがばっちり見える。背中。デコルテのライン。その下は湯の性で見えない。しかし見えないからこそ、ムラムラと書き立てられるものがある。
長義はごくりと息を呑んだ。
これは―もういいだろう。誰にともなく許可を取った。据え膳食わぬはなんとやら。彼女とて、そんな腑抜けを夫としたつもりはないだろう。
などと盛大に言い訳をこさえ、そろりそろりと腕を伸ばし、彼女の体を捕まえた。
「ひぇえっ?」
いきなり後ろから抱き寄せられた審神者は、声を引っくり返らせた。
「んぁああっ後ろからはやめて? 今ちょっと脇に手が当たったから、そういうのやめて!」
審神者が暴れるため、湯がびちゃびちゃこぼれるし、汚い声が響く。ムードゼロ。そういえば彼女は極度のくすぐったがりだったか。長義は思い出し、かすかに嘆息を吐いた。
「それは悪かったね。あなたがあまりにも窮屈そうだったから、もっと足を伸ばせるようにしたんだけれど」
「な、なるほどね。さっすがちょぎ君、やっさし~」
どこまでも茶化す物言いの審神者に、もう黙れとばかりに長義は抱きしめた。
沈黙が。
しかしそれにも負けないのが、審神者である。彼女はそっと長義の腕を撫でて、ようやく体から力を抜いた。
「背中洗ってるときから思ってたけど、ちょぎ君、監査官やってた時よりも格段にごつくなったよね」
何を言い出すかと思えば。予想もしなかった言葉に、長義はうまく反応できなかった。
「特命調査やってた時は、ちょぎ君がうちに来るとは思ってなかったし、まさかちょぎ君とこんなふうになるとも想像できなかったなぁ」
はたして、と長義は思う。彼女はこんなふうになったことを、後悔していないだろうか。
嘘をついて無理矢理結婚にうんと言わせ、その後も無理矢理肌を暴いた。最終的には彼女が選んだことだし、合意があったとはいえ、長義は常にそればかりが気になっていた。今も気になっている。
彼女は今、どんな気持ちでこうしているのだろうか。不安を紛らわすように腕に力を籠めると、ちゃぷ、とかすかな水の音がする。そうかと思えば、濡れた手に頬を撫でられた。
審神者はかすかに後ろを振り向いて、横顔に笑みを浮かべてみせる。
「実はね、好きな人が出来て結婚したら、一緒にお風呂入るのが夢だったんだ」
夢がかなった。そう言って彼女は、いとおし気に頬を撫でる。瞬間、―長義の理性は吹っ飛んだ。
「んっ……?」
驚く審神者の唇に、無我夢中で己のそれを重ねた。幾度も啄んで、角度を変えて、舌を差し入れて絡め合い、溺れそうになるほどの口付けをかわす。
それがすべての答えだった。
時折、長義は思うことがある。彼女にはすべて見透かされているのではなかろうかと。彼女には祖母譲りの異能があって、他人の心も見通せるという。プライバシーを覗く趣味はないと彼女は使おうとしないが、本当は長義の不安も揺らぎも、すべてお見通しなのではないか。
「んぅ……ちょぎく、……」
くちゃりと肉を食むいやらしい音の合間、審神者は鼻にかかった声で呼んだ。
こういうところだ。こういうところが、本当に憎らしくて、恨めしくて、だけど狂おしいほどに、切ないほどに、愛しくてたまらない。
息が苦しいのか、それとも体勢が苦しいのか、彼女の腰が引けて逃げようとする。抱きしめる腕に力を込めて、決して逃がそうとしない。そんな素振りさえも、長義を高ぶらせる要素にしかなりえないというのに。
「ってる……」
口付けの合間、審神者は懸命になにかを訴えようとする。口づけから逃れるように顔をずらし、長義の顎を掴んで動きを止めると、ようやっとのことで、
「ちょぎ君、……当たってますけど?」
言ってのけた。
数瞬呆然とした長義だったが次の瞬間、さすがの彼も開き直った。
「当ててるんだが?」
そりゃあ愛しい女と裸で抱き合って猛烈なべろちゅーやってりゃ、健全な男子なら勃つに決まっているのだ。むしろこの状況でそうなっていないなら、不能を疑うというもの。大体こんなにしたのはどこの誰だ? 誰のせいでこんな風になったと思ってるんだ? 開き直った長義は強い。
しかし。
「長義最低変態最低!! 私お風呂でそんなことしたいわけじゃないんだけど! っもう、そういうことするなら出るから!」
「っこの状況で、はいそうですかと見送るなんて思ってるのかな?」
「無理矢理したら、……するから」
「っは?」
「無理矢理したら、長義の体を女の子にしてやるからね?!」
「は……?」
長義がぽかんとした瞬間を、審神者は見逃さない。さっと包囲から逃れると、湯船を上がりシャワーヘッドを掴んだ。
「いやいや……いうに事欠いて、どんな脅し文句かな」
「脅しじゃないよ。そういうバグがあるんだって。意図的にそのバグを引き起こしてやるって言ってんの。私は別にいいよ、女の子も好きだから。長義が女の子になったら超絶可愛いだろうし」
そう言ってシャワーを浴びるとそそくさと出て行ってしまう。女の子も好き……? その一言に引っかかっている長義だったが、
「……あの、お風呂だったから怒ったのであって、お風呂じゃなかったら、怒らなかった……よ」
ドア越しに駆けられた言葉を聞くに、無言でお湯から上がってシャワーを浴び始めたのだった。
「あ、風呂掃除お願いね」
「御意」
――それからの長義の行動は、通常の三倍速かった。
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