Catch me,if you wanna. - 3/20

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 本丸から離れられたのは、素直によかった。
 審神者が本丸を離れるということで、出立前には激励会と称した飲み会が行われ、――その際、何故だか「彼」の惚気話をたっぷりと聞かされ、審神者は心に深い痛手を負わされた。
 幸せそうな彼を祝えない自分が、死ぬほど醜くて死ぬほど恥ずかしかった。別に聖人を気取るつもりはないが、といって、自分の価値観的に、こういうのは死ぬほどダサくてかっこ悪い。ダサくてかっこ悪い自分など、たまらなく許せなかった。
 勿論、周囲はそんな彼女の事情など察してくれない。あいつは主を差し置いて恋人作りやがって、肝心の主はどうなんだ?! という話から、勝手に審神者にふさわしいのはどういう男かで盛り上がった。刀とは言え体は若い男たちの群れ、しかも酒が入っている。話題は次第々々に下品な方向に走り、最終的に、
「男はチンポだ! 主、男を選ぶときはチンポが紳士かどうかで決めろよ」
 という格言でしめられた。
 審神者も相当酔っていたため、その格言を放った刀剣男士をフロントチョークで締め落とし、皆が「おおおお!」となったところで一次会はお開きとなった。
 二次会のカラオケも散々だった。
 意外なことに歌唱力が高かった「彼」の歌う古典的ラブソングに、涙する者が続出。審神者も泣きながら何か歌った気がするが、それが失恋のための涙だとは誰も知らないだろう。知られても困るわけだが。

 そうして審神者は、つかの間、本丸との別離を果たした。
 久方ぶりとなる現世、そうして卒業以来初めて来た「審神者養成所」。年齢も性別もバラバラの候補生たちを前に、審神者は教鞭を振るうこととなった。
 審神者が担当するのは、手入れや鍛刀など、審神者のための実技演習だ。彼女が候補生だった時も講師は現役の審神者で、アシスタントに自分の本丸の刀剣男士を連れていたと記憶している。確か、あの時は前田藤四郎だったような。
 そうして今回、そのアシスタントを務めるのは、何の因果か山姥切長義となっている。――山姥切長義。審神者にとっては、あまりなじみのない刀剣男士だった。
 しかし、そのなじみのない刀剣男士の何気ない言葉が、彼女を窮地から救ってくれた。そこは大変感謝しているが、といって、あまりなじみのない相手と四六時中一緒に行動するのも、気疲れが半端ではない。一週間ばかりは、事務的な話題以外で個人的な会話は一切しなかったほどだ。
 しかし――気疲れはするが、難点をあげるならそれだけだ。
 山姥切長義は、いかにも「できますよ」という顔をしているが、実際にかなり出来る男士だった。
 さすがは政府産で、監査官なるものを務めていただけある。審神者にとってちんぷんかんぷんな政府関連施設での流儀を、知り尽くしている。
 たとえば養成所に来る前、差し入れはこれとこれとこれと……と彼に手渡されたものを、彼に言われた通りに配り歩いた。そうすると、養成所ではとても「仕事がしやすかった」。彼女より少し先に講師業についた某は、この「挨拶」をしなかったばかりに、養成所では「仕事がしにくそう」だという。人の噂というのも恐ろしいが。
 しかしまあ、本丸という空間では知りようのなかった、本当にくだらない「社会の流儀」を学ぶにはいい機会であろう。それらを、刀の長義から教わるというのも、変な話だ。同時に、彼はこういうのをどう思っているかも気になるところではある。勿論そんな雑談をすることもなく、淡々と教わった審神者である。
 会議のとき、この人にはこのお茶で、この人にはコーヒーとか、座る順番はこうで、資料の渡し方はこう。この人はこの話題が好きで、この話題は嫌い。この人と一緒の当番の時はスラックスよりスカート。馬鹿馬鹿しいような風習はしかし、旧態依然とした組織の中では、生きやすくするに大事なツールだった。
 無論、山姥切長義、講師のアシスタントとしても極めて優秀だった。
 実技担当とはいえ、勿論前半は座学だ。配布資料を作成していると、横からことごとく小言が飛んでくる。
「文字が小さすぎるかな。ダラダラと書いても冗長なだけだ。要点だけ絞って」
「でも、試験のとき役立つと思うけど」
「講義に出なくても資料があれば及第点がとれるなら、講義なんてせずに資料だけ配って自習時間にでもすればいい。なんのための講師免許かな?」
「……わーかった。ちょっと待って、作り直す」
 うるせーなと思いつつ素直に従ってみると、出来上がった資料は他の講師陣に「よく出来てるなぁ。前職は先生だったりします?」なんてお褒めいただけるほどの出来栄えになった。
 資料を配布するのも「プロか?」と思うほど早いし、映像や音声等を使用する際、機器の取り扱いにも長けている。アシスタントとしてはもはや、欠点など一つもなかった。

「長義は、養成所のアシスタントでもやってたの?」
 講義と講義の空き時間、審神者と長義は講師控室で過ごしている。
 彼の淹れた紅茶をすすりながらそんなことを問うと、いや、と長義は気障な仕草つきで向き直った。しかし気障な仕草も、その圧倒的美貌の前には悪感情なく見られるからすごい、と審神者は思う。
「監査官をしていたのは、あなたもご存知通りだけれど。でも、どうしてそんなことを?」
「そんなことを思うくらいに、あなたがスマートだから。もうね、ここでの私の評価、うなぎのぼりよ。あなたのお膳立てのおかげで」
「俺はここでの流儀をあなたに教えただけだ。評価されているのは、あなたの講師の腕前では?」
 本心か分からないことを、さらりと長義は言う。――こういう本音の分からないところが苦手だ、と審神者は思った。苦手ではあるが、最初に比べると慣れてきた。きっと、こんな機会でもなければ、彼に慣れることはなかっただろう。
 ぼんやりと長義のかんばせを拝んでいると、よそ見していた彼がそれに気づき、視線がかち合う。
「っ……!」
 ふいっと顔ごと視線を背けられ、今度は白銀の後頭部を拝むこととなった。
 しかしさすがは本作長義、銀糸のような髪の一筋々々までもが美しい。触ったら柔らかいのだろうか、それともサラサラで硬めなのだろうか。そんなことを考え、審神者はゆっくりとソファにもたれかかる。――たまに、こういうことがある。
 まあ、好感度が低いくらいのほうが、適度な緊張感があっていいだろう。審神者はそんなことを思い、特に気に止めもしない。
 すでに、本丸を離れてひと月が過ぎようとしていた。

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