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そうして、審神者養成所での最後の授業が終わった。
とはいえ、彼女の担当の分が終わったというだけで、後半の三か月は別の講師が引き続き教鞭をとることとなる。すでに彼女の担当の範囲の試験問題は提出済みなので、あとは学期の終わりに試験があり、それを採点すれば本格的に終わる。
最終日ということで、審神者と長義は養成所を出た後、ふたりで食事に出かけた。
歓迎会やら暑気払いやら、養成所の講師陣たちと飲みに行く機会は何度かあったが、長義と二人だけというのは初となる。
彼を誘うのはちょっとだけ勇気が要ったが、肩の荷が下りたことで気が大きくなった審神者は、特に考えもなく誘った。別に断られても一人で行けばいいと思っていた。結果的に長義は、
「主の誘いなら、断るわけにはいかないかな」
と、いつもの感じでOKを出した。どっちだ、判断に迷う。
「あ、いや別に強制とかじゃないから。他に約束があるなら、そっち優先してもらっていいし」
予想はできていたことだが――やはり、長義は講師の女性陣からも、養成所の学生からも、糞ほどモテた。普通の人類が集う場所で、刀剣男士という規格外の美形が現れたら、みんな右に倣えで惚れてしまうらしい。
否、本気で付き合いたいかどうかは分からないが、とにかく彼がキャーキャー騒がれていたのは知っている。告白されたり、プレゼントをもらったりというのも、彼は隠したいようだったが、残念なことに知っている。
そうしてこれはあまり知りたくなかったが、「あの審神者、長義に全然釣り合ってなくね?」と言われていたことも。釣り合ってないもなにも、ただの審神者と刀剣男士に過ぎないのだが。
審神者がさらりと言うと、長義はかすかに眉を寄せた。
「行くと、言ったんだけれど」
あくまで爽やかな感じを装おうとしているようだが、彼が内心むっとしているのも、この三か月の付き合いのなかで分かって来た。なんというか、長義の怒りのポイントはよくわからない。よく分からないところでむっとするので、反応に困る。
まだ誘うのは早かったか、と思いつつ撤回も出来ない。適当に店を決めて入ることとなった。
食事はまあ、普通に美味かった。
そうして、疲れ切った体に純度の高いアルコールは、かなり効いた。食事が美味く、酒も美味い。酒が入ると審神者は、普段からは考えられないほど陽気になる。始終きゃらきゃらと笑い、長義に遠慮なくつっこみべたべたと触る。素面に戻ったら土下座では済まないような振舞いだが、酔っ払いが後先を考えるはずもなかった。
当初は食事だけでお開きと考えていた審神者である。しかしいつの間にか二人は、二軒目、三軒目とお店をはしごしていた。
三軒目になると、もはや審神者は長義のことを「ちょぎくん」と馴れ馴れしく呼んでいた。
「ちょぎくんさぁ、私のばーちゃん、審神者だったんだよ」
「その話はもう八回目かな。千里眼を持ったおばあ様で、審神者をする前は拝み屋のようなことをやっていた、それで死ぬほど儲けていたと」
「そ~なんだよ。ていうか八回目って、わざわざ数えてたんかーい!」
審神者はからから笑って長義の肩をバシバシと叩き、彼の肩に手を置いたまま項垂れ――ため息を吐いた。長義からしてみれば、顔のすぐ横でため息を吐かれたような塩梅だ。それを気づかう余裕など、酔っぱらった審神者にはあろうはずもない。
「実はさぁ、ちょぎくんにはかなり感謝してるんだよねぇ」
「それは何に対する感謝かな? 心当たりがありすぎる」
「今回のことで加州と執務室で喧嘩してたらぁ、ちょぎくん庇ってくれたじゃん」
項垂れていた審神者は、ちょっとだけ勢いをつけて体を起こし、しかしすぐにカウンターに突っ伏すようにした。腕を枕にして長義の方に顔を向け、赤くなった顔をへにゃりと歪ませて笑う。
「あれ、めっちゃ嬉しかったんだけどぉ……かなり心苦しくもあった」
「心苦しい? それはなぜ」
「ちょぎくんはぁ、私にはとってもやる気があるんだ! みたいなことを言ってくれたけど、実はそーでもないっていうか……。あれさぁ、ほんとは、失恋したてで本丸にいたくなかったから、逃げるためだけに志願したんだよね。崇高な志はなかった、正直悪かったと思ってる」
「失恋……」
審神者はカウンターの上のグラスを、指先でいじるのに忙しい。透明なグラスのつるつるとした表面、これでもかといじりながら、彼女は懺悔するように言の葉を吐いた。
「って言うと、相手が誰かもう分かっちゃったね。そう、そうなのよ、彼よ。もう本当に死ぬほど好きでぇ……彼にいいトコ見せたくて、仕事を一生懸命がんばったの。資格も実はあんま興味なかったけどぉ、話の流れから、とっとくとよさそうだったから……。
彼もさぁ、すごく優しく笑うし、あったかい言葉をかけてくれて、もしかしてイケるんじゃね? くらい思ってたのに、実はぁ……優しくなったのはぁ、彼女が出来たからでしたー! はい死ねー!! っていう。しかも彼女さぁ、行きつけの仕立屋の女の子よ。ちっちゃくて可愛くて、あれはロリ巨乳ってやつかな? はい死ねー!!
そこで仕立ててもらった着物もさ、反物自体はかなりほれ込んで買ったやつだったけど、あんまりにも忌々しすぎて全部燃やしたったわ。はい死ねー!! ……あーもう、吹っ切れたと思ったのにぃ……涙がががぁ……」
上機嫌に物騒な言葉を放っていた審神者だが、ふっといきなり鼻声になった。長義がぎょっとしたように見つめる先で、彼女は体を震わせ、ぐずぐずと泣き始める。
「なんであいつなのー! 私の方が先に出会ったのに、私の方がいっぱい話していっぱい関わってまあなんか色々して……なんでー! なんであいつの前であんなふうに笑うの! なんであいつが私の知らない彼を知ってるの! よろしくお願いしますとか、よろしくお願いしねーし! 糞が! もうやだ死ね、みーんな死ね! 地上の人類という人類みんな死ね!」
大の大人が泣いているということ、そうしてかなり物騒なことを大声で口走っているということ。静かなバーには全く不釣り合いのその様子が、恐ろしいほど周囲の客の注意を引く。
「っ……出ようか。店主、すまないが支払いを」
長義は慌てたように荷物をまとめ、支払いを済ませた。おいおいと泣き縋る審神者を半ば抱える様にして、まるで逃げるようにして店を後にした。
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