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「ねえ、馬鹿なの?」
初期刀の開口一番は純然たる煽り――ではなく、失望と落胆のそれだった。
昨晩起きたあれやこれやを、まったく包み隠さず、まったく正直に告白した審神者である。愕然とした加州の視線を受けて、深々と頭を下げた。深々も深々すぎて、もはや土下座の域である。
「面目次第も……ござらん……」
「謝罪とか今一番要らないんだけど……」
痛烈な言葉にはしかし、常のような毒も揶揄もない。であればこそ、彼の落胆の深さが垣間見えるようで、審神者はますますいたたまれなくなった。
彼女は、本丸に帰ってすぐに、執務室に加州を呼んだ。
そこは初期刀加州。三か月の戦果がどうだったのか、色々と聞かせてもらえるのかと期待して行けば、――執務室にはケトン臭をほのかに漂わせた、グロッキー主がいるばかり。打ち上げで羽目を外しすぎたのか。――訥々と主の口から語られた事実は、羽目を外したどころの騒ぎではなかったが。
もはや土下座が行き過ぎて、うつ伏せに倒れ伏している審神者を見つめ、加州は深いため息をこぼす。
「馬鹿だ馬鹿だとは思ってたけど……まさかここまで馬鹿だったとは……」
「仰る通り……」
「っ……ていうか、ごめん。ちょっと理解が追いつかないんだけど……」
「はい……」
加州は頭を抱えたまま、ぽつりぽつりと言の葉を紡ぐ。
「まずはさ……。主、好きだったんだ」
付け加えられた名前に、審神者はさほど反応しなかった。すでに失恋の傷は癒えたのか。
「……それはこの際、超絶どうでもよろし」
否、直面している事実のやばさが、過去の傷など問題にしないのだろう。さもあらん、と加州は納得した。
「まあ……お疲れ。それはよく分かったんだけど、……」
納得、したと思ったが――加州はやっぱ納得できなかった。
「いやでも分かんねえわ。いっくら失恋が痛手だったとして、だからって全く親しくなかったヤツと寝る?! 主、そんな尻の軽い女だったの?!」
「ちっげーわ馬鹿野郎! ワンナイトなお付き合い?! なんかではなく完全に酒に飲まれたがための大失態だよ! こんなの初めてっていうか、男とねっ……んんっ……ねねっ……寝、た、の、自体! 初めてだわバーカバーカバーカ!」
「っ……!」
涙目になって反論する審神者に、加州は反射的に反論しそうになった。が、なんとも言えない顔で口をつぐむ。目を逸らし、問いかけたことには。
「ねえ、……はじめてがソレとか悲惨過ぎない?」
オブラートに包むという概念の存在しない、超弩級の火の玉ストレート。審神者の精神的ダメージはいよいよ限界値を突破。
――仕切り直して――
「はーもう……致命傷ですんだ」
「いやそれ死んでるから」
ハイライトの消えた目で審神者が呟くと、加州は苦い顔でかぶりを振った。
「誰のせいだと思ってるの」
「あ……はい、俺だね。ごめんって」
労うように加州が肩を叩く。審神者は机に突っ伏したまま、それはそれは深い、肺腑まで吐き出さんばかりのため息をこぼした。
「ねえ、馬鹿な私に教えてよ。誠意って一体なんなの?」
「それを刀の俺に聞く? まあ、金じゃないことは確かだね」
「……大体さぁ、『責任を持ってお付き合いをする』って言うのは、たとえばホラ……。嫁入り前の娘さんを傷物にしてしまった場合とかに使うわけでしょ? 長義はほら、別に嫁入りしないし。婿入りもしないし。それによ。そういう価値観って、大昔のもので、しかも対象となるのは女でしょ? 長義はさぁ……ちょっと違うと思うんだけどな。女は傷物じゃないほうが喜ばれるかもしれないけど、男なら童貞の方がちょっとアレかなぁ? って感じじゃん。主の一人や二人と寝たくらい、それが瑕疵になるとは到底……」
ぶつぶつと呟く審神者を、加州は頬杖をついて眺めている。独り言が落ち着いたと思われるところで、そっと、言葉を挟んでみる。
「でもさあ、結局のところ、主が無理矢理やったのに違いはないんでしょ?」
加州清光、本体同様に言葉の刃もなかなかのキレ味である。審神者は胸を押さえてウッと苦しんだ。――正確にはその記憶自体定かではないのだが、といって、真実かどうかも調べようがない。そもそも、記憶がなくなるまで酒を過ごすというのがアウトだ。
「確かに長義は主より力が強いんだし、やろうと思えば、襲い掛かる主を簀巻きにして無力化することも出来たわけでしょ。それをあえてしなかったか、やろうと思っても出来なかったか、そこは大した問題じゃない。長義もあんな性格なんだから、よもや主の意向に逆らうのが怖くて……なんてことはないでしょ。いや、仮にそうだったとしたら、主はそんな長義に無理強いして、我欲のままに犯した糞野郎ってことになる」
「うぉっ……つらっ……」
「あと他に考えられるとしたら――主を嵌めて失脚させようとしてるとか、意のままに操ろうとしてるとか? でもこれは多分ないね。だって、主に失脚するほどの権勢はないし、意のままに操ったところで、うちは合議制だから長義の意のままにはならない。主が役職付きっていうならまだしも、ヒラのヒラ審神者で、しかもこんなようやっと中堅どころの一本丸を牛耳ったところで、旨味はまったくない。
っていうところから考えると、やっぱここで一番問題になるのは、主と長義が一夜の過ちを犯したということで、さらに言うと、相手方が『無理矢理された』と主張しているということだよね。実際がどうだったかなんて確かめようがないんだから、この場合は、強い立場にある主の方が不利だよ。でもって、長義は『誠意を持ってお付き合いする』ということで納得してるんなら、主はもうそれに従うほかないと思うけど」
「いやでも、立場は私の方が上だけど、身体的には……」
「それを言うなら、審神者には刀剣男士の自由を奪う手段がある、って話になるよ。そもそも、主はどうしたいの? もみ消したい? それとも公正な判断を下してほしい?」
驚くほど冷静な理論展開に、審神者は落ち込みつつも「優秀な近侍だな」などと他人事のように思った。そうして、――同時に頭の中のもやも晴れた。
「……大事には、したくないよ。もみ消したい気持ちはあるけど、『誠意を持って』と宣言した後だし、今更発言を取り消すことはできない。加州が言うように、……流れに身を任せるしかないね」
「だね」
加州は呟いて肩を竦めた。主の顔をちらりと見て、なんとも残念そうにそしてこれ見よがしに嘆息を吐く。
「……馬鹿だよねぇ……」
しみじみとした言葉に反論しようとした審神者だが、それよりも先にぽんと頭を撫でられて、言葉に詰まった。
「っ……」
「なんか色々手遅れな気はするけど、これだけは言っとくよ。ひとりで抱え込まないでよ? 主、馬鹿なんだから」
加州は相変わらずズケズケと言ったが、声や眼差しは優しく暖かい。
それでも馬鹿は余計だという気がしないでもないが、とりあえず、加州の気持ちは分かった。やっぱり持つべきものは初期刀(※どの審神者にも初期刀はいる)。審神者は喉元まで出かかった恨み言を飲み込んだ。
「……ありがと」
はにかむように笑って返した主に、――しかし加州は無言でその頭をぐしゃっぐしゃに混ぜっ返した。多分、彼女の危機感のなさにいらっと来たのだろう。
「なんかむかつく」
「なんでさ!?」
その言葉にすべてが現れている。
お仕置きよろしく髪をぐしゃっぐしゃにしてしまった後で、加州はひとり、思案した。
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