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初期刀へのホウ・レン・ソウが終わると、審神者はふらふらになりながら自室を目指した。当初のプランでは、本丸に帰ってすぐに着手したい仕事があったのだが、猛烈な二日酔いのためにそれどころではなかった。加州との話し合いでも著しく疲れたし。
ふらふらの審神者は、まるで人目をはばかるようにして――まるで影の者のように、ひっそりと移動している。宴会大好き刀剣たちに見つかると、「主も帰って来たことだし今日は宴だー!」と騒がれ、陽も高いうちから大宴会が催される危険性があるからだ。
否、歓迎してくれるのは嬉しいのだ。しかしもう当分酒の匂いも嗅ぎたくない。それに、今の体力で底なしの酒飲みたちに付き合わされたら、本当の意味で死んでしまう。
ひっそりひっそりと気配を殺して歩む審神者だが――しかし、彼女の懐刀たちにはそれが全く通用しなかった。
「あーるじさんっ!」
「えっ」
部屋に帰ったらまず何をしよう。楽になることばかりを考えていた審神者は、意識の外からそんな風に声をかけられて、挙動不審なくらいに体を揺すった。そうしてどんなリアクションをとるよりも先に、背後から忍び寄って来たものに低い位置から抱きしめられ、身動きが取れなくなる。
「おかえりなさい、あるじさんっ!」
無邪気に抱き着いてきたのは乱藤四郎だった。
「主君、おかえりなさい! 出張はどうでした?」
「お、おかえりなさい、あるじさま。あるじさまがいなくて、寂しかったです」
「あるじさまーっ! おげんきにしてましたか? ほんまるのみなは、ぜんいんげんきですよ!」
乱藤四郎のほかに、秋田藤四郎、五虎退、今剣も姿を現し、審神者は「一体いつからいた?!」とかなり動揺した。
そうしてその動揺もおさまらぬうちに、乱藤四郎がとんでもないことを言いだす――。
「もーっ、あるじさんったら内緒にするなんて水臭いよねっ!」
「え、ええ? なんのこと?」
「とぼけちゃって♡ それとも照れ隠しかな? 聞いたよ、あるじさん、山姥切長義さんと結婚するんだってね」
「…………?」
審神者、目が点。
「主君、おめでとうございます! 結婚式はやっぱり本丸で挙げるんですか?」
「ぼ、ぼく、白無垢のあるじさまがみたいです……。とっても綺麗だと思います」
「わーいっ! たのしみですねー!」
驚愕を通り越して思考停止させる主をよそに、可憐な短刀たちは無邪気に喜んでみせる。
「本丸での結婚式なら、神前式かな?」
「ボクはドレス姿も見たいな~」
「ようそうなら、ひろうえんできるのはどうでしょう?」
「あるじさまなら、きっとどれも似合うと思います」
…………。
小鳥のさえずるような楽しげなおしゃべりが、子どもは何人がいいか・どんな習い事をさせたいか、というところにまで発展したところで、審神者は自ら解氷しあいや待たれいとばかりに切り込んだ。
「ちょっと待って、えっと……。ごめん。乱、さっきなんて言った?」
「だぁからぁ、」
まるで、楽しみに水を差すなとでも言わんばかりに、乱はちょっと面倒くさそうな、しかし、楽しくてたまらないといった顔を作ってみせる。
「お客様の中に、山姥切長義様はいらっしゃいますか?!」
審神者は、走っていた。大声を上げ、人目もはばからず、そうして訳の分からないことを口走りながら、走っていた。走っていた、本当に――走っていた。
そうしてついに、目的の刃物を発見。
「俺になにか用かな?」
休憩室で涼しい顔をして茶を飲んでいた長義に、審神者はとびかからんばかりの勢いで詰め寄った。
「ちょっとその、話があって」
「おや。ひょっとして挙式の相談かい?」
「とりあえず来てぇー!!」
茶化すにっかりには気付かず、審神者は長義の腕をつかむと有無を言わさず連れて行ってしまう。
「大好きな旦那様とは、一分一秒たりとも離れていられないってことかな。熱いねぇ」
――などと、当人らが去った後でも、あくまで揶揄する体のにっかりである。
が、実は内心のところ、万感の思いをかみしめていたりする。なぜならにっかりは、当本丸第一の脇差であり、初代第一部隊の筆頭メンバーとして主を支えてきた自負がある。
あの初々しい主が、とうとう人の妻になる(※便宜上このように表現する)のかぁ……。それは控えめにいっても、喜ばしくめでたいことだった。
主、幸せになるんだよ。
どこか親戚のお兄さん的な目線から祝福するにっかりの心中、審神者が知るよしもない――。
ふたりきりになれて、誰かに漏れ聞こえる心配もないところ。
ということで、審神者が選んだのは自室だった。ぴしゃりと襖・障子ともに閉め切ると、念には念を入を入れて、緊急避難用のスペースまで長義を招き入れた。
床の間の床板を外すと地下へ通ずる梯子が現れる。長義は他人事のように感心したものだ。
「なるほど、緊急時に備えてこのような仕掛けがあったのか」
「ちなみに、ちょっとくらいなら籠城も出来る設備があって……。って、そうじゃなくて!」
梯子を降りると確かに、ちょっとした籠城が出来そうなスペースが現れた。簡易的な寝台が二つと、ソファ、ロウテーブル、簡易キッチンもついている。――奥にはトイレもありそうだ。興味深く眺める長義を余所に、審神者はとりあえずソファを勧めた。そうして性急に口を開く。
「っあの、さっき短刀たちが話してて、」
「座ったらどうかな?」
「…………っ! いや、短刀たちが、」
「隣へどうぞ」
「……短刀、」
「主」
無理矢理話を続けようとする審神者に、長義は優雅に微笑みかけて、自分の隣を軽く叩いた。優雅な笑顔のわりに、そこには有無を言わせない迫力と圧力がある。
審神者はソファと長義とを見比べ、――座らないと話が進まないことを悟り――おっかなびっくりと近寄り、不自然な程度に距離をとって着席した。
「素直でよろしい」
「っ……はあ」
満足げな彼に勢いを削がれそうになった審神者だが、必死に踏ん張った。
「だからさっき、短刀たちが、私と長義が……けっ……こん、する、みたいなことを、話してたんだけど、これは一体どういうことなんでしょうか?」
「ああ、そのこと」
長義は優雅に脚を組み、優雅に膝の上で頬杖をついて、優雅過ぎるほど優雅に審神者を見つめた。瑠璃色の瞳も青みがかって見える銀髪も、もうすべてがすべて、優雅以外の言葉が浮かばないほどに優雅。しかしその余裕たっぷりの態度は、審神者の神経を逆なでしてやまない。
「そのことって、どういうことですかな?!」
噛みつくような態度の審神者に、長義は白い歯をチラ見せさせて笑った。どうか落ち着いて、なんて言ってみるがそんな言葉にどれほどの効果があろうか。
「っだからどういうことかって聞いてんだけど?!」
「だから、そういうことだけれど」
ついに我慢しきれず怒鳴るようにした審神者に、長義はさらりと返した。反射的に審神者が噛みつこうとするが――長義の手がそっと伸び、今まさに叫び出しそうだった唇にやんわりと触れる。
思わず、審神者は黙った。黙らされた。
「誠意を見せる、というのが具体的にどういうことか。ホテルでのあなたは、どうにもはかりかねているように見えた。だから具体例を示したまでだ」
「具体例……」
「具体例」
肯定する長義を前に、審神者は、考えた。――考える彼女の脳内に、先ほどの加州との会話がよみがえる。
「っでもね?! 私と結婚したところで、長義の本丸内での地位が上がるとか、金品が支給されるとか、そういう旨味はひとつもないよ!!」
「は……?」
咄嗟に飛び出た言葉は、先ほどの加州との会話の断片。彼女自身、特になんらかの思惑があっての発言ではなかった。いや、「デメリットの方が多いから結婚なんて早まった手段はやめるべきだ」という気持ちくらいはあっただろう。まあ、そんな気持ちが、こんなとんでもないことを発言させたのではあるが。
――当人に侮辱する意図はなかったとはいえ、客観的にはひどく侮辱した物言いに他ならない。つまりこれというのは、「長義は何らかの利益のために主に婚姻を迫っている」と言っているようなものだ。
よりにもよって、プライドの高さなら本丸でも一二を争うような刀剣男士を前に……。これはもう、審神者にとり昨今稀に見るほどの大失態だった。
無論、長義は静かに激怒した。
「……それは、どういう意味かな」
いつぞや聞いたような低い声に、いつぞや見たような絶対零度の眼差し。どれもこれも、見たのも聞いたのも今朝方だったような――。
審神者は再び、同じ轍を踏もうとしている。
「ヒャァアア……」
情けない悲鳴が審神者の口から洩れた。そこからはもう、本能だ。審神者の小心者の本能が、彼女を突き動かした。
瞬間、審神者はソファから飛びのき、長義の前でいつぞや披露したような土下座を決め込んでいる。
「ご、ごめんごめんなさーい!! 違うの! 違うの!! 気が動転してて訳わかんないこと口走っちゃった!! 本当は、私との結婚なんてメリットはひとつもなくて、むしろ私なんてどうしようもない女で、なにひとつ家庭のこととかできないし、ほんとどうしようもない不良物件で、だから結婚なんてデメリットばっかりだって言おうとして、そしたら間違ってあんなことを言っただけでー!! ごめんなさいごめんなさい、なんというかつまり、……ごめんなさーい!!」
床にゴンゴンと頭をぶつけて謝り倒す審神者に、長義は冷静に言葉を向けた。
「謝罪はどうでもいい。それより俺が聞きたいのはたった一言だよ」
「はい! なんなりと!」
「あなたは責任を取るのか、取らないのか」
降り注ぐ絶対零度の視線と、声。しんしんと雪が降り積もって体を凍てつかせていくようなプレッシャーを感じながら、審神者は、震える唇を、開いた。
「ぜひとも……責任を、取らせてもらいたく」
語尾まで言い切った、その刹那――驚くべき浮遊感に晒されて、審神者はうっと顔をしかめた。まるで抱きかかえるように強引に立たされたかと思えば、すぐ目の前に山姥切長義の麗しい顔がある。
玲瓏なる美貌の面には微笑、それを向けられた審神者は死を覚悟した。
「神に誓う?」
「…………」
「病めるときも、健やかなるときも、俺を愛し一生添い遂げると、誓いますか」
笑みが、深まる。
次の瞬間、審神者の心臓は弾け飛んでもおかしくないくらい、暴力的なほどの鼓動を刻んだ。ドキドキして、目の前はぐるぐるして、足元はふわふわして――控えめにいってもまともじゃない。
まともじゃない審神者に、正常な判断などできるはずがない。――できたとして、それがなんだと言うのか。
「……ち、誓います」
心の臓を食い破らんばかりの痛苦に耐え兼ね、審神者は誓いの言葉を吐いた。
そうしてここに、審神者と山姥切長義の婚姻が成立してしまった。
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