唐突に――私の術式について、今一度おさらいしよう。
因果律を観測し、干渉する。因果律とは原因と結果――過去と未来をつなぐ法則だ。
例えば今現在の状況。
演習場の芝生のうえ、夏油傑と対峙している。
ここで術式を発動させて因果律を観測すると、幾通りもの「そうなるかもしれない」世界線が見える。
ここで観測できる因果律の「線」、強度はどれもこれも「弱い」。見えている結果は、『遠野雪名が夏油傑に攻撃を受ける』というもの。
線が「弱い」から、因果律に干渉しても、その代償は微々たるものだろう。この程度の因果律であれば、代償は即時反応だが軽度。ほんの数分指先がしびれるか、頻脈になる程度だろう。
なぜなら。
スパーリング中の決まりきった出来事ゆえに、未来への影響がほぼないから。
ここで一旦、「観測」のフェーズを終えて、「干渉」に入るとする。
この状況下で起こりうる数パターンの「未来」を選択し、それを強制的に選択する――それが「干渉」。
そうすると彼は、私が思い描いた通りの動きをするから、そこにカウンターを合わせて沈める。
ちなみにこれは術式の影響もあって、刹那で終える作業のため、タイムラグは発生しない。要するに、チート級の後出しじゃんけんだ。
私のモットーは、やられる前にやる。
あるいは、致命傷を負う前に撤退。これは、術師としては非力な肉体であるがゆえの、生存戦略。
理論上は完璧だ。
未来も読めるし、回避もできる。撤退判断も早い。
しかし問題は……それでも回避が間に合わず、捕まったあとの話である。
サブミッションの訓練は、やりたくない。
本当に、やりたくない。
ぶっちゃけると、「捕まらないことを前提」とした戦い方しか習っていないので、やったことがない。
しかし、前回の授業でスパーリングをやった際、欠点が明らかになってしまった。
遠野雪名は組まれると弱い――。
そうして、関節を決められると――めちゃくちゃ痛い。
だからやりたくない!!
のだが、彼の善意から――本日の特別授業:夏油傑によるサブミッション講座が始まってしまったわけだった。
「雪名、……殺気立ってるところ悪いけど、組むところから始めるよ。組まれる前に逃げる、はナシだからね」
「ぐぬぬ……」
鋭い夏油の言葉に、私は術式を封じる。
因果律を観測すれば、どんな攻撃が来るかはわかる。が、予測できていたとて、脱出できるかは私の技量次第。
観念してうなだれると、夏油が背後に回って私の首元に腕を回した。腕どころか、脚まで。イメージとしては、座った状態でおんぶされるみたいな。
これ、普通は胸キュン必至イベントじゃないですか。
推しキャラからのこういうの。あ、密着。あ、いい匂い。じゃねーんだよ。私のバカ。
「まずは、裸締めからのエスケープをいこう」
「へい……」
「放課後に悟から仕掛けられたとき、雪名は腕を挟んで、首が締まるのを避けたね。あれはいい判断だった」
「それくらいは……」
「問題はここからだ。この状態から、どうやって脱出する?」
首から回される腕、背中に当たる胸、腰を挟む脚――これは正気じゃいられないんじゃないですかね?!
などと、内心はしゃいでいられたのは、この時までだった。
「ぅぐぇ……っ締まる、締ま゛る゛ゥ゛~~~~~~!!」
「肘を持って、跳ね上げる。それじゃ弱い。呪力を練って」
「まっ……うぇ、酸欠で練れな……っ」
「落ちるよ」
「っだぁあああああああ!」
待って呪力ってどうやって練るんだっけ?! やばい全然頭が回らない、首が腰が筋肉の圧迫祭りで、耳元でエエ声がささやいて、脳の酸素供給が断たれて、――
「……もうやめよう。夏油先生のエスケープ講座、終わり!」
「いや、全然だめだから」
「だって、こんな完璧なロックされて抜け出せるやつがいる?!」
「確かに、この体格差だとぴったりフィットするからそうなんだけど。でも、抜け出せなかったら死ぬだけだよ」
「ぐ……」
「雪名、今一回死んだね」
「ぬぐぅ……」
芝生の上で大の字になった私に、夏油は冷酷に言い放つ。まあ確かにそうなんだけども。
だめだ……頭がポヤポヤしてなんも考えられない。
IQ3くらいになった私に、しかし彼は止まらない。
「一回お手本を見せるよ。雪名、私に裸締めかけて」
「ええ……」
「私がしたように、首に腕を回して、脚を腰に絡めて」
やばいこれどんな羞恥プレイ……? いや、訓練訓練。
クソッタレが、絶対にエスケープさせない。
「おじゃましまーす……」
私は意を決して、夏油の首に両腕をクロスさせ、背後からおぶさるように脚を絡める。えぐいな、この体勢。
呪力を練って……フルパワーで!
「そう、その調子。肘をつかんで、上に跳ね上げて、……っ隙間から首を抜いて、下から解除、」
転瞬、腕が外れてぐるんっ! と夏油の体が回転する。無駄がない。抵抗も、力技もない。ただそこに正解だけがあった。
なるほど、理屈はわかった。そういう感じか……
「簡単だろう?」
そうして私の視界を席巻する、夏油傑の顔という顔――。
その後、サブミッション講座は正面からのロック(正面から押し倒されてるとかいう次元じゃない)、腕や足、各種関節の決め技からのエスケープへと展開していった。
そうして講義終了となったとき、
「やっぱり、筋はいいね。雪名は目がいいから、これなら決められる前に逃げられると思う。……って」
私のフィジカルもメンタルも、ゴリゴリに削り取られていた。
十年くらい老けた? なんて夏油は茶化すが、いやはやその通り……。可憐な乙女心は、燃え尽きて灰になりましたよ。
「そんな疲れた? 雪名、体力ある方だと思ってたけど」
「寝不足が原因かな……」
「そういや期末近いしね。数学苦手だったね」
「そうよ……。そうなのさ……」
芝生の上で直立の体勢のまま天を仰ぐ私の第六感が、なにかこう――予感を告げる。
いやな因果律を観測。これは逃げた方が、よさそう。
次の瞬間、至近距離で私の視界を席巻したのは――
「随っ分おつかれじゃ~ん」
語尾にハートをつけたようなテンションの、五条悟の顔だった。
「……悟、近いよ」
夏油少年がいたずら心たっぷりで背中を押したら、大事故が起きそうな距離だ。私はごろんと寝返りを打って、顔面国宝の圧から逃れた。
「疲れたよ……心底」
「あはは。雪名、顔死んでる。傑と野外でくんずほぐれつして、ゲボ吐かなかった?」
「悟、言い方」
「じゃあ次、俺とする?」
するよね。五条はそう言い切って、いまだ寝そべっている私に正面から仕掛けよう――として、
「もう終わり!」
私の華麗なるエスケープで、未遂に終わる。
もうやめてくれ、私のライフはゼロよ。軽口に言い返さないくらい疲れてるって、分かってくれ。
「雪名、今のはよかった。その調子」
「あんがと……」
「え~なんで。傑はよくて俺はダメなの?」
「いや、もう今日は本当に終わりで、」
「ハッ! やっぱお前、初日からゲロ吐いたことといい、実は傑のこと、」
「あぁ~~~もうウザイ! 五条悟がウザイ~~~!!」
などと地団太を踏みまくって抵抗したのに――
「結局こうなるか……」
芝生の上で繰り広げられる、五条悟VS私の呪力操作スパーリング。
もう全部不利だ。
あっちには長いリーチと純粋なフィジカルによる筋力、六眼による精密な呪力コントロールがもたらす、えげつない呪力操作というバフがある。
対して私にあるのは――体格差と筋力差、しかも夏油との濃密時間による精神的・肉体的疲労の蓄積。呪力操作は……負けたくない。
あ、でも実戦経験の差はどうだろう。
いや、彼の「五条家」という特殊な生い立ちを考えると、それも大した差異にはならないだろう。
「大した呪力量には見えねえんだけどなー」
軽口をたたきながら突っ込んでくる五条、そのスピードは並大抵ではない。
後年の――例えば、渋谷事変や両面宿儺との戦闘シーンから考察するに。
彼の戦闘スタイルは、実に多岐にわたる。
突く、蹴る、投げる、組む。そのいずれにも弱点がない。たぶんこれは、呪力操作なしでもそう。
でも今はまだ、そのどれもが粗削り。
だからと言ってなめた口をきけないのが、五条悟が五条悟たる所以だ。
普通の呪力操作じゃ、まずおっつかない。おっつくはずがない。
だから私は、術式を使う。
結果を見て、動く。あるいは、そうなるべく動かす。
殺し合いではないから、因果律をいじくって生じる影響は、なきに等しい。
だから使える。でなきゃ、術式なんて代償が怖くて使えやしない。
「っ……、今、」
おっと勘づかれたかな。さすがは六眼。
でもその細部までは、彼の六眼をもってしても理解できない。
私は彼の攻撃を見切って、避けて。あるいはカウンターを叩き込むだけの、単純な作業。
……まあ。五条悟を相手取って、呪力操作と両立するのは、死ぬほど骨が折れるわけだが。
彼が突きを振り切って――そうなる未来を選択した――。
来ると分かっている攻撃が、避けられないはずがない。避けられたことで上体が崩れたところに、長い脚を払う。
そのまま懐に飛び込んで、ちょっと「弱い」ところを押してやると。
形勢逆転だ。
あえてマウントポジションを取ったのは、戦意を削ぐため。
――たぶん、というか絶対。まじのガチで。本気じゃない。たぶん実力の10パーセントも出してない。
だからこうも、たやすかった。そんなことは分かってる。
彼がしたかったことが、分かってたから。
それでも早く終わらせたかった――本当に、疲れていたから。
「……ねえ、もう終わろう?」
さっきの至近距離のお返し。五条悟を見下ろすとか、気分がいいな。なんて気も起きないくらい、疲れ果てている。
五条は真顔で見上げてくる。
そのがん開きの六眼、どうにかなりませんかね。
「お前今、術式使っただろ」
「バレた?」
「お前、……見えてるだろ」
五条悟が問う。
「なにが?」
「俺の動き」
「見切れてるから、避けた。そんでカウンターを取った。目が良いのは、六眼だけの特権じゃないんだよ」
「……お前、分かりやすいな」
傲岸不遜。――彼を表すに、これほど適した言葉はない。
彼はこの状況下で、笑った。
おっと、ここでいやな因果律を観測。さっさと撤退すべき。
体をどけようとしたところに、手首をぐっとつかまれる。逃がさないってか。
「嘘を吐くとき、誤魔化すとき。お前、煽るように饒舌になるだろ。詐欺師は口が回るって、ほんとだな」
「そうかな。顔面国宝を押し倒して、フィーバータイムなのかもよ」
「瞳孔、さっきから開きっぱなしだぞ。あ、視線をそらさないってのもそうだな。『女は嘘を吐くとき目をそらさない』。あながち間違ってねーんだ」
「それは都市伝説だね。瞳孔は……太陽に背を向けてるからじゃない?」
沈黙のにらみ合い。
勝者は――どっちだ。
五条の手が離れる。そこでやっと、私は彼の上から撤退した。
ほら見てこの手首、赤くなってる。これ、痕が残るやつよ。クソ力め。やっぱゴリラじゃん。
「ま、術式については縛りがあるだろうから、いいよ」
「ご配慮、どーも」
やっと終わった。
芝生の上に膝をついてうなだれる私の肩を、五条がつかむ。
「でも、術式使わねえって約束だったよな? でもお前は使った。ルール違反」
「……六眼が憎い」
「ルール違反にはペナルティだな! 傑ゥ~、雪名が放課後おごってくれるってよ。なに食う?」
「ええ……」
まあ、それくらいなら。ラーメンでも牛丼でもハンバーガーでもケバブでも、どんとこい。
深掘りされなくてほっとする私に――五条がそっと耳打ちしたことには。
「お前、傑のこと好きだろ」
嬲るような視線と声で、彼は言う。
えっと……どういう脈絡で?
ぽかんとする私に、五条はとっても悪い顔で、さらに追い打ちをかけた。
「俺さ、目ェいいんだよね。傑とやってるとき、不自然なくらい血流上がってたぜ」
「……。……目がいいねえ」
「……」
六眼、そんなところまで見えるのか。
呆然とする私に、五条はしばしそんな様子を観察し、最後には変な顔つきになった。頭を搔きながら、
「……わっかんねぇな」
「なにが?」
「お前の反応。嘘だよ、六眼にもそこまで見えねえし」
強請るネタができたと思ったのによー、だなんて彼はぼやき混じりにいう。
なるほど、そういうことか。
……疲れ切っててよかった。反応できないくらい疲れ切ってて、誤魔化せたのか。あぶねえ。
ただこれでひとつ、はっきりしたことがある。
「好きだよ、夏油君」
「……は?」
「君より断然。私、意地悪なひとは好きじゃない」
「っはァ?!」
「よーし夏油君、腹ごしらえに行こう。硝子ちゃんも誘おう。今日は私のおごりだ」
ずんずんと芝生の上を歩く私の背中に、待てよ、と声がかかる。待ってやるものか。
しかしこの時、私は想像だにしていなかった。
――男子高校生の胃袋というものを。
「えっと、まだ食べるの……?」
「替え玉一丁!」
「私も」
あんたらよく食うねー、とは硝子談。そう言いながら彼女も、ラーメンと餃子のセットをペロッと食べてしまった。
忘れていた、この齢は男女問わずよく食べる。
「……しまった、ATM寄っとくべきだった……」
「レバニラ一丁!」
「かに玉もお願いします」
「……引くわ」
「雪名、口直しに甘いの食べたい」
硝子のお願いなら何でも聞こう。
「お、じゃあ次はデザートか。何にしよっかな~。傑、なに食べたい? 俺、イチゴパフェ」
だがしかし、五条悟。てめーはだめだ。
「私は軽くでいいかな」
「この近く、新しくできたカフェあるよ。パンケーキが有名らしい」
「パンケーキか、それもいいな! よし決まり!!」
引きつり気味の私を置いて、食欲旺盛な若人三人は、この後もヒトの金で豪遊したのだった。
普段の私の懐なら痛くもかゆくもなかったが、――訓練用の短刀、ミーケさん写しの支払を済ませたばかりなので、だいぶん心許ない。
今月、ピンチだわー……。
ま、そのうち期末考査始まるから、お金使ってる余裕なんていないかな。
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