『全人類が術師になれば、呪いは生まれない』
九十九由基の放った言葉が、耳の奥にこびりついて離れなかった。
非術師を守るべきものと考え、そのように振舞ってきた。尊いと、思ってきた。しかしその守るべき『弱者』が見せるのは、おぞましいばかりの醜悪さ。分かっていたはずなのに。
守るべきとする自分と、排除すべきとする自分。
そのいずれを本音にするか、決めるのは自分次第。
心が――揺らいだのは、確かだった。
どうして、と思った。
こういう時に、雪名がそばにいない。彼女が隣にいたら、どんな反応を示しただろう。
悟なら、なんと返しただろう。
考える。――ふと、脳裏によぎったのは。黙って俯いている彼女。気づかわしげな表情で、しかし何も言わない。
それはきっと、……私の返答を待つための沈黙で。
悟なら、笑って否定しただろう。
しかし、その笑いの奥にある本音を、私は知っている。
気づかされた。
『みんな、いるからね。ひとりじゃないんだよ』
あの日、今にも崩れてしまいそうな彼女が、伝えてくれた言葉。
短くて、どこまでもありふれて――使い古されたようなそれは、不思議なことに。常に私の中に残り続けた。
あんなにも距離が開いてしまったと思っていた――遠くに行ってしまったと思っていた、悟が。そばにいて。
どこか違うところに立っていると思っていた硝子もまた、近くにいて。
傑、と呼ばれるたび。夏油、と呼ばれるたびに。
常に私のことを案じ続けてくれていたという事実を、知った。
『でもね、吐き出せ。まるっと全部、洗い流せ』
――言わなきゃなにも、分からない。
これもまた、彼女の受け売りだ。
どうしようもないことを言語化して、何になる。そんなことに時間を割くよりも、どうすれば状況をよりよい者に出来るか、考えることが重要だと。……そう思っていたが。
彼女の言葉に救いを求め、私は――『あの日』以来くすぶって、停滞して、心の中に溜まっていた澱を。
すべて、悟に打ち明けた。
「……おま」
悟は私の途方もない考えに言葉を失い、そうして深々と溜息を吐いた。
「まあ、……気持ちは分からんでもねえかもなぁ」
「肯定するのか?」
「いや……そこまでは。でも、お前がそこまで考えるってことは、よっぽど追い詰められてたってことだろ」
「その、ようだ。……とにかく苦しかった。行き場のない感情がせめぎ合って、しかし、術師として非術師を守らなければならないと……。まるでそれこそが呪いであるかのように、私の心をむしばんでいた」
非術師を皆殺しにして、術師だけの世界を――呪霊の生まれない世界を作る。
そんな馬鹿げた妄言に、悟は苦笑するばかりだった。
「お前さ、つくづく真面目だよな」
「……それが取り柄だと思ってるよ」
「でもそれでお前が壊れてちゃ、意味ねーじゃん」
「意味、……ね。それってそんなに重要か?」
悟はこの流れに、気づいただろうか。
私の問いに彼は顔をしかめて、にらみつけた。
「ったりめえだろ。本気で言ってんのかよ」
本気で怒ったように、悟は言う。
その言葉だけで、十分だった。
「まあ……そうだね。私がいなくなったら、君の尻ぬぐいをする人間がいなくなる。雪名も硝子もドライだからね。『お前が悪い』と却って説教でもされるのがオチだな」
「あいつら容赦ねえからな。……だからマジで、傑は壊れんなよ」
「そうするよ」
悟は一瞬天を仰いで、――まあ、と付け加えた。
「どうしようもなく許せないことがあって、……それでも耐えられねえってなって」
そこで悟は言葉を区切った。
一息。――笑うようにかすかな吐息を、漏らして言った。
「『もしも』の時は、付き合ってやるよ」
「悟、……」
「俺とお前ならできんだろ」
最強だからな、と。
悟はこだわりのない笑顔で言って、私の頭をぐしゃぐしゃにした。
「悟……。セットがぐちゃぐちゃだ」
「結び直せばよくね? あ、俺が結んでやろっか」
「断る」
わざと不服そうな声を出して。落ちてきた前髪を後ろへと撫でつけながら、一度、天を仰ぐ。
いつの間にか、セミの鳴く声も聞こえなくなった。朝晩が少しだけ冷え込むようになった。
――秋の訪れを感じさせるうろこ雲が広がる空が、どこまでも続いている。季節が、流れていく。
雪名。――何度となく呼んだその名を、胸中で呟いた。
君の言ったとおりだった。私はひとりではないし、……世界は、こんなにも美しかった。
大事なことに気づかせてくれた君に、心からの感謝と、親愛を。
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