夏油傑離反回避ルートに入ります。 -10- 前編 - 2/3

『全人類が術師になれば、呪いは生まれない』

 九十九由基の放った言葉が、耳の奥にこびりついて離れなかった。
 非術師を守るべきものと考え、そのように振舞ってきた。尊いと、思ってきた。しかしその守るべき『弱者』が見せるのは、おぞましいばかりの醜悪さ。分かっていたはずなのに。
 守るべきとする自分と、排除すべきとする自分。
 そのいずれを本音にするか、決めるのは自分次第。
 心が――揺らいだのは、確かだった。

 どうして、と思った。
 こういう時に、雪名がそばにいない。彼女が隣にいたら、どんな反応を示しただろう。
 悟なら、なんと返しただろう。
 考える。――ふと、脳裏によぎったのは。黙って俯いている彼女。気づかわしげな表情で、しかし何も言わない。
 それはきっと、……私の返答を待つための沈黙で。
 悟なら、笑って否定しただろう。
 しかし、その笑いの奥にある本音を、私は知っている。

 気づかされた。

『みんな、いるからね。ひとりじゃないんだよ』

 あの日、今にも崩れてしまいそうな彼女が、伝えてくれた言葉。
 短くて、どこまでもありふれて――使い古されたようなそれは、不思議なことに。常に私の中に残り続けた。
 あんなにも距離が開いてしまったと思っていた――遠くに行ってしまったと思っていた、悟が。そばにいて。
 どこか違うところに立っていると思っていた硝子もまた、近くにいて。
 傑、と呼ばれるたび。夏油、と呼ばれるたびに。
 常に私のことを案じ続けてくれていたという事実を、知った。

『でもね、吐き出せ。まるっと全部、洗い流せ』

 ――言わなきゃなにも、分からない。
 これもまた、彼女の受け売りだ。
 どうしようもないことを言語化して、何になる。そんなことに時間を割くよりも、どうすれば状況をよりよい者に出来るか、考えることが重要だと。……そう思っていたが。
 彼女の言葉に救いを求め、私は――『あの日』以来くすぶって、停滞して、心の中に溜まっていた澱を。
 すべて、悟に打ち明けた。

「……おま」

 悟は私の途方もない考えに言葉を失い、そうして深々と溜息を吐いた。

「まあ、……気持ちは分からんでもねえかもなぁ」
「肯定するのか?」
「いや……そこまでは。でも、お前がそこまで考えるってことは、よっぽど追い詰められてたってことだろ」
「その、ようだ。……とにかく苦しかった。行き場のない感情がせめぎ合って、しかし、術師として非術師を守らなければならないと……。まるでそれこそが呪いであるかのように、私の心をむしばんでいた」

 非術師を皆殺しにして、術師だけの世界を――呪霊の生まれない世界を作る。
 そんな馬鹿げた妄言に、悟は苦笑するばかりだった。

「お前さ、つくづく真面目だよな」
「……それが取り柄だと思ってるよ」
「でもそれでお前が壊れてちゃ、意味ねーじゃん」
「意味、……ね。それってそんなに重要か?」

 悟はこの流れに、気づいただろうか。
 私の問いに彼は顔をしかめて、にらみつけた。

「ったりめえだろ。本気で言ってんのかよ」

 本気で怒ったように、悟は言う。
 その言葉だけで、十分だった。

「まあ……そうだね。私がいなくなったら、君の尻ぬぐいをする人間がいなくなる。雪名も硝子もドライだからね。『お前が悪い』と却って説教でもされるのがオチだな」
「あいつら容赦ねえからな。……だからマジで、傑は壊れんなよ」
「そうするよ」

 悟は一瞬天を仰いで、――まあ、と付け加えた。

「どうしようもなく許せないことがあって、……それでも耐えられねえってなって」

 そこで悟は言葉を区切った。
 一息。――笑うようにかすかな吐息を、漏らして言った。

「『もしも』の時は、付き合ってやるよ」
「悟、……」
「俺とお前ならできんだろ」

 最強だからな、と。
 悟はこだわりのない笑顔で言って、私の頭をぐしゃぐしゃにした。

「悟……。セットがぐちゃぐちゃだ」
「結び直せばよくね? あ、俺が結んでやろっか」
「断る」

 わざと不服そうな声を出して。落ちてきた前髪を後ろへと撫でつけながら、一度、天を仰ぐ。
 いつの間にか、セミの鳴く声も聞こえなくなった。朝晩が少しだけ冷え込むようになった。
 ――秋の訪れを感じさせるうろこ雲が広がる空が、どこまでも続いている。季節が、流れていく。

 雪名。――何度となく呼んだその名を、胸中で呟いた。

 君の言ったとおりだった。私はひとりではないし、……世界は、こんなにも美しかった。
 大事なことに気づかせてくれた君に、心からの感謝と、親愛を。

送信中です

×

※コメントは最大10000文字、100回まで送信できます

送信中です送信しました!