コミュニケーションエラーの弊害/おかわり - 1/9

 今まで生きてきた中で一番楽しかった――などと言ってしまえば、これまでの人生がいかにも悲惨であったような印象を与えるが、無論そうではなく、それほど大げさなことを考えてしまうくらい、とにかく楽しいひと時だったのだ。
 その日は念願かなって、ソハヤとともに彼の贔屓にしている猫カフェを訪れた。彼の馴染みである鈴――いつぞやは恋敵と思ってうっすら憎悪さえした――は、前評判通りの美人……もとい美猫であり、つやつやの毛並みはまるでオニキスかブラックダイアモンドかという輝きを持ち、しなやかな肢体が軽やかに動くさまはいかにも優雅で舞を見ているよう。金色の瞳はツンと気高く取り澄まし、極めつけはその鳴き声、名は体を表すという言葉通り、玲瓏な鈴の音そのものだった。
「んぎゃわいいぃいいいい……!!」
 審神者はひっくり返らんばかりの興奮っぷりを示し、しかし大声でネコチャンたちを驚かせることがないよう、ひどく押し殺した吐息のみの声で吠え、狂ったように写真を撮りまくった。
 キャストのネコチャンたちはどの子も個性があって、とにかく可愛らしく愛おしく狂おしかった。その愛らしさと尊さのために、体の疲れと心の澱が、すっかりと洗い流され清められた気分にさえなったものだ。
 次に立ち寄った普通のカフェで、端末の画像フォルダを眺めている時でさえ、いまだに夢心地だった。どの子も可愛かったが、特にお気に入りなのはノルウェージャンフォレストキャットのリンくん。ドーンと構えた大物然とした姿が印象的で、興奮しまくる審神者をものともせず、最初から最後まで膝の上から退かなかった猛者だ。可愛いなぁ、可愛いなぁ。画像を見つめながらにやにやしていたところ、――ふっと笑う声を聞いて顔を上げる。無論、今の状況でそんな声を上げる者といえば、向かいの席に座ったソハヤノツルキ以外になかった。
 目が合うと、彼は笑い交じりに悪い悪いと軽快に詫びる。
「気に入ったか?」
「気に入っ……たなどという言葉では到底表せないほどの楽しい時間でした……。楽園というか極楽というか桃源郷というか……ありがとう……」
「俺も楽しかったぜ」
 審神者のどこかオタク臭い賛美の言葉に、ソハヤはニヤリとして自分の端末の画面を提示した。なんだろう、とのぞき込んでアッと声が出る。そこに映っていたのは、大興奮でネコチャンたちにカメラを向ける審神者の姿であった。次、とソハヤが指示すると音声認証で画面がスワイプし、今度は動画が映し出される。
『んぎゃわわわわわ~! きゃわいいですねきゃわいいですねきゃわいいですね! この国の宝!! はぁ~もうどの子も天使のようにかわいいですね~!!』
 次、次、次。ソハヤの指示に従って、端末は審神者の恥ずかしいばかりの画像を次々に画面に映し出していった。ソハヤはそれをじっくりと見つめ、唇の端に笑みをたたえて目を細めてみせる。
「猫。好きなんだな。今日一日でそれがよく分かったぜ」
「あ、はいぃ……」
「今まで特にそういった話は聞いたことがなかったから、」
 そこまで言いさしてから、ソハヤがちらりと視線を向ける。その先にどんな言葉が続くのか、分からない。嘘をついているとでも思われていたのか、とドギマギしかけるが、それも一瞬のことだった。
「てっきり、俺と一緒に行きたくてあんな風に言ったのかと期待したんだけどな」
「えっ……」
「むしろ俺よりも猫好きって感じだな」
 いたずらっぽく笑うソハヤに、――結局審神者はドギマギさせられるところとなった。興奮して我を忘れてしまうほどに大好きなネコチャン、しかしそれ以上に大好きなのがあなたです、などとは多分一生口にすることはできないだろう。
 意気地のない審神者は真っ赤になったまま、あう、とか、ほえ、とか間抜けな声を出したが、次の瞬間、にわかに勇気を振り絞った。
「っいやそれは……! それ、もあるけど……」
「お、そう言ってくれるかい? なんにせよ、今日は連れてきてよかったよ」
 屈託なく笑うソハヤから更にときめきのクリーンヒットをもらい、ううう、と審神者は胸を押さえた。悪い顔をしたかと思えば、次の瞬間少年みたいに笑ってみせたり。そのギャップがたまらないのである。これ以上好きになることはない、と思うほど心底から惚れぬいていたが、限界は容易に突破してしまった。

送信中です

×

※コメントは最大10000文字、100回まで送信できます

送信中です送信しました!