spoil

 四つ時を少し過ぎたころ、屋外の喫煙所でソハヤはタバコを咥えてぼんやりとしていた。
 設定上そうなっているのか、立地が山間だかなのか、本丸は真夏でも陽が落ちれば過ごしやすい。そうでなくとも本日は内勤で、日中はずっと冷房の効いた詰所でデスクワークに勤しんでいたから、外の空気に触れてやっと人心地ついたような気になった。
 軽く放心しているのは、それほど仕事が忙しかったからだ。
 課内でちょっとしたトラブルが起きて、管理職の立場にあるソハヤはその処理に追われていた。動き回るのは他の者がやってくれたが、その代わりに膨大な量のデータの確認や訂正をする傍ら、進捗状況を見てはその都度指示を出し直して舵取りをしてと、頭がパンクしそうな一日だった。
 しかし抜群のチームワークと優秀な個々刃の能力のおかげで、どうにかその日一日で挽回することができた、すべての業務が終わったのがつい先ほどで、腹が減ったと食堂へ雪崩れ込む課員たちをしり目に、ソハヤは喫煙所に足を運び、こうやって煙を吸って癒されていたわけだった。
 もちろん腹も減っているが、それよりは一服つきたかった。煙草を吸わない課員からすると、そうしたソハヤの行動はまったく不可解に映るらしいが、そうなってしまったのだからどうすることもできない。度し難いなとは思いつつ改める気もない。そんな思いが自重の笑みとして出力された次の瞬間、
『推して参る!!』
 爆発的な声と共に喫煙所の外からそんな声が聞こえた。よく透る女性の声は、この場合本丸の主以外にない。こんな時間にでけぇ声だなと呆れつつも、それよりも嬉しさの方が勝って笑みがこぼれた。
「推して参んなよ、静かに休憩させてくれ」
 紫煙を吐きながら言うと、開け放たれていたドアの隙間から、審神者はじーっと注意深く中を窺ってみせる。偵察だろう。ソハヤの態度次第では、すみませんでした……と直角に頭を下げて引き下がりそうだ。
 ウザ絡みする割には変に気の小さいところがあるもので。それには及ばないとばかりに自分の隣を叩いて促すと、審神者は今度は普通にやってきてソハヤの隣に腰かけた。
「一服?」
 問いかけると、彼女はかぶりを振った。
「一服つけるソハヤで眼福しにきた」
 ふふんとばかりにイキった表情で返した審神者に、ソハヤは悔しいけどちょっと笑ってしまう。やかましいわ。そんな思いを込めて、行儀よく座った彼女との距離を詰めてやる。灰が落ちないようにタバコは少し離して。じーっと見ながらタバコを吸ってやると、ほええ……と彼女は感嘆の声を上げ口元を手で覆って感動を噛みしめた。
「かっけやべかっけ。満場一致で世界文化遺産登録!」
「そうかい、そりゃ重畳。眼福か?」
「Of course!」
 そう言って元気に拳を天に向かって突き上げたかと思えば、瞬時にそうじゃなくて、と彼女は急に声のトーンを下げてきた。「今日はずいぶんと大変だったみたいで」
 ねぎらうようでありながら、言葉尻や目つきに若干探るような色が見え隠れする。ソハヤの反応から、踏み込んでほしくない話題だと判断すれば「疲れてるみたいだし、早く休んでね」と当たり障りなくスルーするだろう、大丈夫と判断すれば踏み込んでくるだろう。
 やさしさというか思慮深さというか。ある種の自信のなさも含まれるかもしれないが、そこには確実にソハヤを思う気持ちが存在して、ついついそれに甘えたくなる。
 勝手に自己完結してこの場からいなくならないように――。ソハヤは彼女の手を握り締めた。突然の触れ合いに審神者は軽く目を見開いたが、そこで変にふざけることもせず神妙そうにしてみせた。
「お疲れさま。みんな頑張ったね、長義もよくこんな短時間で治めたってびっくりしてたよ。さすがソハヤ」
「愚にもつかない凡ミスだよ。手前のケツを手前で拭いただけのことだ」
 反射的に口から零れ落ちたのは、どうにもねじ曲がった言葉だった。
「あんたの手を煩わせることがなくてよかったぜ」
 確かに自分も課員も全員が百二十パーセント頑張ったと胸を張って言えるが――。なんとなく素直になれないのは、前代未聞のやらかしだったために非常にばつが悪かったから。
 ニヒルな態度をとるソハヤに、審神者はどこか困ったように微苦笑をうかべた。――そういう顔をさせるつもりはなくて、さらにばつが悪くなる。カッコ悪いことこの上ない。
 無意識にため息がこぼれ落ちる。肩をあたたかくポンと叩かれて、「でっかいため息」と苦笑交じりに指摘されて、思いがけなくそうしたことに気づく。はっとして目をしばたくと、審神者は再度お疲れさまと労って、握り締めたままだった手の甲を、もう一方の手でそっと撫でた。
 その温かさがたまらなくて、タバコを灰皿に押しつけると思わず彼女の腰を抱き寄せる。
「っ」
 さすがに空気を読んだのか、審神者は変な声は出さなかった。その代わりに、おずおずとソハヤの背中に腕を回し、よしよしとばかりに頭を撫でた。
 不慣れそうな手つき。けれどもあたたかくて優しくて心に染み入る。彼女の匂いという匂いを、肺腑いっぱいにソハヤは吸い込んだ。
「……悪い。八つ当たりだな」
 どうしようもなく情けない声で詫びるが、
「とうとう、八つ当たられる存在にまでなったか。嬉しい」
 彼女の返答はどこまでも的外れだ。愛しかないのだが、用法用量を間違えると大事故を引き起こしかねない。
「全肯定すんなよ、駄目になる」
 どの口が言うのだというつっこみは置いておく。哀願にも似たソハヤの言葉に、審神者がハッハッハと乾いた笑いで返したことには――。
「いいんじゃない? 私なしでは生きられないようになればいい」
 とろけるほどに甘美な響きに、ソハヤは一言、こえー女と呟いた。

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