時に愛は - 2/6

 眠る前のひと時だけでいい。
 寝入るまでのつかの間の時間、傍にいてほしい。眠ったのを見届けたなら、あとは部屋に戻ってもらって構わない。――審神者が望んだのは、ただそれだけのことだった。

 自分のことを好きだと言った彼女の姿、目に焼き付いて離れない。まるで、魂の底から思いのたけを引きずり出すような、そんな切ないほどの愛の告白だった。
 きっと、思いが受け入れられなければ彼女は死んでしまうのではないか――青江は漠然とそう思った。
 証拠はなにもないのだけれど、強い確信だけがあった。そうしてその次に、失うには惜しい主だと思った。どうすべきか。逡巡したのは時間にしては一瞬だが、彼の胸中では永遠かに思われる一瞬だった。
 彼女と青江の心は同じではない。青江は審神者をどこまでも主としてしか見てはおらず、「主」とか「審神者」以外の彼女を求めたこともない。そんな自分が、血を吐くような彼女の思いに、どんなふうに応えられるというのか。
 しかし――青江は、目の前の女が脆く柔いことをよく知っている。柔らかさは、硬く尖った己らの刃を優しく包み込んでくれるが、すべてことごとくを包み込めるわけではない。
 それなのに、無理をしてでもひとりですべてを背負おうとする。百口に近い刀剣男士たちの刃生を背負おうと、躍起になってあがいている。きっと、耐え切れないことの方が多いのだと思う。凡人でしかない彼女が、ひとりで背負いきれるものではない。気を抜いた瞬間に垣間見える険しい目つきや、泣きそうな横顔が、何よりの証拠ではないか。
 いつ壊れてもおかしくないし、あるいは、すでにどこか壊れているのではないか、と思う時がある。顕現された頃はよく見られていた、屈託のない笑顔も笑い声も、ここ数年はまったくない。――青江は、彼女の無防備なほどの笑顔が好きだった。
 そこまで考えたとき、青江に選択の余地はなかった。しかしそれでも、無責任なことは言えなかった。それゆえ、まことに卑怯ではあるが、その先の判断を彼女にゆだねた。
 そうして彼女が求めたのは、ただ一つ。眠る前にそばにいてほしいということ。
 正直なところ、青江は拍子抜けした。あれほど思いつめた告白だったのだから、もしかしたら「この思いごと我が身を、」と生殺与奪の権を握らされるのでは(決して与えるではない)ないか、とさえ一瞬のうちに考えたほどだった。

 

 今、青江は目を閉じる審神者の隣に肘枕をついて、仰臥する彼女の横顔を見つめている。
 もしも、殺してくれと頼まれた場合、自分はどうしただろう。
 何度となく、そうして毎晩のようにそんなことを考えてみたが、答えは当然のように出なかった。
 なにをするわけでもなく、ただただ審神者の寝息を数え――ほどなくして、彼女の眠ったことを悟る。そうすればあとは、気配を殺して立ち去るだけだ。
 ただそれだけのことで、彼女の役に立っているのだろうか。青江は一度立ち止まって、審神者を振り返ってみた。
 暗い室内でも、夜目の利く目は眠る姿を克明に映し出すことができる。死んだように眠る女の姿に、すこしだけ動揺して、近寄っては口元に手を当てる。かすかに吐息が感じられる。生きている。
 非常に儚く映る姿に、後ろ髪をひかれる思いで青江は自室へと戻った。

 

***

 

「……あの時の答えは、もらえないのだろうか」
 執務室から漏れ聞こえた硬い声に、青江はドキリとして立ち止まった。
 答えとは一体。それもこの声の、雰囲気の、張り詰めたことといったら。一瞬にしてディープなものを想像して、軽く固まってしまう。気配も息もすべて押し殺した青江を隠蔽するように、庭で小鳥が囀っている。
 いつもはにぎやかな執務室も、その日はやけに静かだった。
「つまり、……あれかな」
 ゆっくりと審神者が言の葉を紡いだ。
「この戦いの正当性について?」
 返事はなかったが、そうだな、と彼女が呟いたので相手は頷くなりして肯定を示したのだろう。
 なんだそういうことか、と安堵した己の存在に青江は気づく。
「私は、正しい歴史を誰が決めてるのかは知らない。そして、私にそれを知るすべはない。だから、今まで学んできた歴史が、出版物や博物館に収蔵されている資料に見られる『歴史』が、正しいものだと認識して、それを守るために戦ってる」
「それが、正しい歴史ではないのだとしたら?」
「そしたら、私たちが歴史修正主義者ってことになるね。でも、それは向こうにとっても同じことが言える。やっぱり、戦争というものの性質上、正義とは勝利の上に成り立つものなんだと思う。勝って正当性を掴み取るしかない」
 相手が何も答えないため、つかの間、沈黙が流れた。それを断ち切ったのは審神者である。
「私にとっては、天皇、貴族、武家と政権が移り変わっていった日本が正しい歴史だし、織田信長は本能寺で死んで、家康が江戸幕府を作って、西郷さんと勝先生の交渉の末に、江戸城の無血開城が果たされ幕府が終わった。その結果として、今がある。それを踏みにじるということは、そこで頑張った人たちを踏みにじることでもあるし、それからつながる未来で生きる人たちの幸せを壊すのも、間違いだと思う。なんたって、私はそれらの歴史の上で生きる人間だから。自分や、自分の大切な人たちの幸せを守るために戦うっていうのは、私的にはありかなと思う。そのために私は審神者になった。……それじゃあ、理由にならないかな」
 審神者の問いかけに、ややあってからその相手――水心子正秀は、いや、と返事をした。
「守るべきもののために戦うというのは、当然のことだ。守りたいという気持ちに限りはない。わが主よ、あなたが何を守りたいのかがよく分かった。そうして私も、……そのためになら、命を懸けたいと思う」
「ありがとう」
「不躾な問いかけをして、申し訳なかった。しかし真摯に答えてもらえて嬉しかった。こちらこそ礼を言う」
「ううん。こっちも、理解してもらえてうれしかったよ。ありがとうね」
 そんな会話が聞こえて、青江は数瞬考えた。身を隠すべきか、何事もなかったかのように振舞うべきか。しかしその判断を下す前に、水心子は小走りで執務室を飛び出してきた。
「っ……!!」
 廊下に立った青江と数メートル隔てて対峙する格好となり、彼は驚いたように息をのみ、たたらを踏んだ。――装束のせいで口元まで隠されてはいるが、かすかに覗く目元が、ほんのりと赤い。そこに見え隠れする感情に、なんと名前を付けるべきか。
「っ……し、失礼する……」
 水心子はすれ違い際に小さく頭を下げて、青江の横をすり抜けていった。そんな彼の後ろ姿を一度目で追ってから、執務室へと歩を進める。
「やあ、今日はひとりかい?」
 あけ放たれた障子からひょっこりと顔を覗かせて問いかけると、審神者は座椅子に腰かけたまま、視線だけ上げてみせた。
「水心子がちょっと席を外してるから、ひとりになっちゃった」
「近侍だったかな」
「そう」
「……随分と、みずみずしい問答をしていたようだ」
 青江の言葉に、審神者はハッと目を見開いて顔を上げた。
「聞いてたの?」
「聞こえてしまったんだ、すまないことに」
「……恥ずかしいなぁ」
 審神者はかすかに眉を寄せて、頬杖で口元を隠した。伏し目がちの目元にほんのりと照れの色が見え隠れして、青江はくつりとかすかに笑う。
「何のために戦う、か。……確か、和泉守君とも膝を割って話したことがあったよね」
「あれは私が最底辺まで落ちてる時だったから、色々とミスも多くて、あんたやる気あんのかよ! って怒鳴られたのが初めだったな。今思い出しても恥ずかしい。こんなことを指摘される審神者なんて、私くらいなものだよ」
「でもそれがあったから、彼は君の一番の理解者になりえた」
「話しやすいんだよね、和泉守。性格もカラッとしてるから、なにかあっても引きずらないというか。とても気持よく付き合えるのがいい」
「へぇ、ずいぶん褒めるんだね。彼のこと」
 特に何の含みもなく、青江は素直な感想を漏らした。すると審神者はぎょっとしたように目を見開き、ちらりと青江を盗み見る。どこか遠慮するような、相手の出方をうかがうような雰囲気がそこにあった。
 なにか弁解をしてくれるのだろうか。しかし、青江の期待を余所に審神者が振ったのはまるで別の話題だった。
「青江は最近、どうですか?」
「どうっていうと」
「楽しい? つらい?」
 こういった問いかけというのは、審神者は他の刀剣男士にもよくするものだった。なにか困っていることはないか、一緒に解決できることはないか。――そうやって主に気にかけられるのが嬉しいから、彼女の周りには常に刀剣男士がいる。
 しかしそれが、ある時無性に鼻につくようになった。
 審神者は刀剣男士に対してそのように問うが、彼女自身が楽しいことも辛いことも、なにひとつ言ってはくれない。それというのは、たいへん不平等なことのように思われた。
「僕のことより。君はどうなんだい?」
 青江が変化球で返して見せると、審神者はぱちぱちとせわしなく瞬きをしてみせ、それから少しだけ口元をほころばせた。
「夜は、大変よく眠れます」
「夜だけ?」
「昼間に寝てたら、職務怠慢だよ」
「少しくらい怠けても、罰は当たらないと思うけれどねぇ。ほら、今日はこんなに気持ちのいい日和だ。縁側でお昼寝なんてしたら、きっと気持ちがいいと思うよ」
 青江が廊下に座って自分の膝をポンと叩いて見せると、審神者は耐え切れないようにくすくすと笑みを漏らした。
「そんなところ、戻ってきた水心子に見られたら怒られちゃうよ。わが主はなんて怠け者なんだっ! って」
「じゃあ彼も一緒に寝ようと懐柔すればいい。僕は得意だよ、言葉巧みに誘導するのは」
「えー、水心子相手にそれができたら、青江のこと一生尊敬するな」
「じゃあ任せてもらおうか」
 笑い声が止んだ頃、しずしずと水心子が戻ってきて、それで束の間の時間は終わった。
 水心子に見えない位置から、小さくひらひらと振られた掌が――いつまでも青江の心に残って、その接地面をじんわりと温かくするようだった。

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