時に愛は - 3/6

 その日の晩、青江はずいぶんと長いこと審神者の寝顔を眺めていた。
 よく眠れるという昼間に聞かれた言葉の通り、審神者は日に日に寝入るまでの時間が短くなり、今では寝床について十分もしないうちに、規則正しい寝息を立て始めるようになった。その日も、横になってほどなくして彼女が寝入ったのが分かったが、どうしても離れがたく、今に至る。
 月が高く上った頃、さすがにこれ以上は不躾かと思い、ようやっと青江は思い腰を上げかけた。
「     」
 そうした瞬間、まるで呼び止めるように審神者の声が夜の闇に漏れ出た。言の葉と一緒にこぼれ落ちたのは、透明の雫。
 おかあさん、と。その唇は、その声は、その名を呼んだ。
 青江の知らないもの、絶対に知りえないもの。しかしそれでも、それを彼女がいかに大事にいとしく思っているのかは、なんとなくわかった。
 それと同時に――青江は、審神者の孤独を知った。今まで全く思いもしないことだった。彼女の周りは常にだれかしらの姿があって、にぎやかだったから。
 しかし、よくよく考えてみれば、この此岸と彼岸のはざまにある本丸で、ヒトなるものは彼女のみ。彼女が刀剣男士のことを理解しえないと同様に、刀剣男士も人間のことを理解しきれない部分がある。
 さらに、彼女は主だ。「主」というものを知らぬなりに、見よう見まねで主たろうと必死であり、それゆえに「主」というものの特性にも気づいてしまった。主というのは、孤独であるということに。
 そうしてさらに、さらに、もうひとつ理解したことがある。
 なぜ、そうなのかが分かった。
 眠る前のひと時を共にいてほしいと願った、彼女の心。――夜、静寂の闇に包まれるその時間が、彼女がもっとも孤独を感じるときなのだろう。だから、誰かにそばにいてほしかった。
 そんな彼女の心に触れた瞬間、青江はたまらなくなった。たまらなく――いとしくて、切なくて、しょうがなかった。

 

***

 

「僕もここで寝ては駄目かな」
 審神者が床にはいる前、青江は神妙な顔を作って申し出た。彼女は目を見開いて固まっている。拒絶というよりは、純粋な驚きしか見えない。
 青江は駄目押しとばかりに、腕組みをしてさらに神妙な顔をみせた。
「いくら一人部屋とはいっても、夜中に誰とも会わないようコソコソと部屋に戻るのも、神経を使うんだよねぇ」
 ちらりと視線を向けると、審神者はしばらく目線を斜め下へ固定したまま、そうか……と呟いていたが、次の瞬間、土下座するみたいに深々と頭を下げた。
「それは……これまで、大変な労力を使わせていたようで、申し訳ない」
「別にそれくらいはいいけど、結局、どうなんだい?」
 催促すると、審神者はおずおずと頭を上げて、はい、とか細く呟いた。うつむき気味の顔が、ほんのりと赤く染まっているのが見える。
「お布団……来客用のがあるから、ちょっと待ってて、」
 腰を上げようとした彼女の手首を、青江は咄嗟に握って制した。
「布団ならここにあるけど」
「……えっ」
「僕たち、恋人同士だろう? 一緒に寝てはいけないということはないと思うけど」
 いやならしょうがないけど、といやらしく青江が付け加えると、審神者は激しいほどに首を振った。しかしそれでも、往生際が悪い。
「嫌じゃないんだけど、……でも、私、歯ぎしりするし」
「どうぞ」
「寝言もうるさいし」
「僕は戦士だからね、どんな環境でも眠れるようになってる。さすがに江の彼みたいに、水の中では寝たことはないけど、訓練すればいけると思う」
「あっあっでも……えっと、寝相もすごく悪い」
「よかったよ」
「……知らないくせに」
「知ってる。この前はずっといたから」
 審神者が再度大きく目を見開いた。だから、と青江は極めつけとばかりに踏み込んで、大きく距離を詰めた。
「そういうことだから、お邪魔するよ」
「……はい」
 そろりと伏せられた目元に、言いようもなく浮かんだのは鮮やかな恥じらい。それを目の当たりにすると、少し強引すぎたかなという反省も、青江のなかで雲散霧消していった。
 一組の布団の中、その持ち主である審神者は今にも布団からはみ出そうなほど端に寄っている。向けられた背中を、青江は肘を枕にしながら愉快そうに見つめた。
「……狭くない?」
 背中越しに、審神者がそんなことを聞いてくる。それはこちらのセリフだ、と思うと笑いがこみあげてきた。
「いや。僕よりは君が寒そうだけどねぇ。もう少しこっちにおいでよ」
「……暑くない?」
「今は特に。……まあ、激しい運動をしたらその限りではないけれど」
「っっ」
 ひゅっと息をのむ音が聞こえると同時に、目の前の背中がかちこちに固まった。面白いほどに。審神者は黙り込んで、答えもない。心なしか、布団の中の温度も上がった気がする。
 耐え切れず、青江の口から笑いがこぼれた。
「可愛いなぁ」
「っ……か、揶揄わないでいただきたぃ……」
「心配しなくても、なにもしないよ」
 笑い交じりの言葉に、目の前の背中が安堵のため息を吐いたのが分かる。そんな無防備さもたまらなく可愛い。
 ちょっとだけ身を乗り出して、耳元に顔を寄せる。
「もちろん、君が望むなら別だけど、」
「望みませんので!! ご心配なく!!」
 食い気味に返したかと思えば、審神者は耳を押さえて胎児のように体を丸めて、防御の姿勢に入ったのだった。
 三晩ほどの間、審神者は緊張して眠れなかったようだが、さすがに寝不足が続いて耐え切れなかったのか(彼女の性格上、夜に眠れなかったからと言って昼間うたた寝するタイプでもない)、四日目にはぐっすりと眠るようになった。
 そうして一度慣れると、彼女も結構図太かったのか、普通に眠れるようになった。
 ――眠るまでのつかの間、審神者は青江に可愛らしい顔を見せた。
 それは審神者としてではなく、一人の女としての。
「今日はねぇ、おやつに生クリーム大福が出た」
「美味しかった?」
「美味しかったよ。水心子が口の周りを真っ白にして食べてたのが、可愛すぎた」
「彼は結構無防備なところがあるよね」
「そうなの。とても可愛いの。でも、指摘したら照れちゃうかなぁ、照れるところもみたいけどなぁって思ったけど、私は優しいので、大福っておいしいけど口が汚れちゃうのが難点だね~って、水心子の方を見ずに言うにとどめた」
「ふふっ。彼の反応は?」
「何気ない感じで口元を触って、慌ててティッシュで拭いてた。可愛いが過ぎた」
「でもそういう君も、きっと口元が白かったんだろうね」
「まあね。山鳥毛から指摘されて、死ぬほど恥ずかしかったよ……」
 今日あった他愛もないことを話して、聞いて。
「青江はなにした? って今日は畑当番だったね。大包平とだったかな」
「そう。彼は本当に何事にも熱心だからね、僕まで首筋が真っ赤に日焼けしてしまったよ」
「青江もだけど、大包平も色白いもんね。焼けたら痛いでしょ?」
「お風呂の時にヒリヒリしたよ。でも、次の出陣までは日があるから、しばらくこんがり青江だね」
「こんがり……ふっふふ……ぐぐっ……」
「そんなに面白い?」
「真顔で言うから……なおさら……」
 眠るまでの一時だから、さほどながい時間ではない。しかしたったそれだけの短い時間が、一日の中で一等幸せだと感じる。
 これがいつまでも続けばいいのに、と青江は思う。そうして、自分だけでなく彼女もそう思っていてくれたらいい。否、彼女もそう思っているのではないか。何度も何度も瞬きを繰り返し、閉じかける瞼を何とか持ちあげようとする審神者を見ると、強く思う。
 無理はさせられないと思うが、無理をしても自分に付き合おうとしてくれる審神者を見ると、こらえがたいものがこみあげてきて、青江を突き動かした。
 思わず、抱きしめる。そうすると彼女は、わっと目を見開いた。
「えっ……ど、どしたの」
「早く眠れるおまじない、かな」
 二人とも寝過ごしたら大変だからね、と耳元で囁くと、審神者はぐうとかすかに唸った。
「……余計眠れないかも」
 ――確かにその翌日、審神者の寝覚めは悪かった。

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