時に愛は - 4/6

 それが契機だった。――それ以後、徐々にふたりのふれあいは多くなっていった。
 最初は布団の端に寄っていた審神者が、青江のそば近くか、腕の中で眠るようになった。手をつないで寝ることもある。眠る前に二人で月を眺める、――座るふたりの体は腕なり腰なりがぴったりと触れる距離で。
 それは、誰の目もない奥でのみの接触だったはずだが、いつしかそれが、中奥でも起こるようになった。

 

 ――審神者が誰と連れ立っていようが、誰も気にも留めないし、なんとも思わない。今日は青江なのか、と思う程度で。それくらい、彼女の周囲には常に誰かしらがいるのだから。

 ふたりはとぼとぼとした足取りで、何万という百合の中を歩いている。色とりどりの百合は、しかしどこか薄暗い景色と相まって、どこか妖艶な雰囲気を漂わせる。独特の香りが、それを際立たせるようで。
 審神者は立ち止まり、青江の白装束をするりと指でつまんだ。
「花粉、ついてる」
 濃い黄色の模様が、幾重にも流れて白装束を染め上げている。野生だからね、と青江はひっそりと答えた。
「僕がこれを運んだら、ミツバチ替わりになるかな」
「受粉させてあげてるんだ。助かるんじゃない?」
 くつりとこぼれた笑みの無防備さに、青江は思わず手を伸ばした。するりと頬を撫でると、ぴくりと審神者が顔を上げる。
「ミツバチなら、甘い香りに誘われてしまうねぇ」
「っ……青江、」
 拒否の言葉を紡ぎそうなさまが憎らしくて、強く抱きしめる。そうするとたやすく口をつぐんでしまうことを、青江は知っている。しがみつくようにした審神者を、青江は白装束で覆うように隠してしまう。
「誰も見てなんかいないさ」
「でも……」
「いやなら、しない」
 頬に手を当て、唇が触れそうなほどの距離で囁く。そんな言い方をされると彼女が断れないのも、青江は知っている。観念したように目の前の瞳が閉じられた。
 ――ひめごとが増えた、と青江は思う。しっとりとした唇の柔さを堪能し、しばしそれに耽溺する。しかし、隠さねばならないことなのだろうか、という問いも同時に存在する。
 審神者と刀剣男士が恋愛関係になることは、特別禁じられていない。推奨もされていないが。本丸によっては、審神者と刀剣男士が恋仲であることを公表しているところもあるというし、そういうところも少なくはない。演練などで見かけると、そういうのは顕著にわかるものだ。
 しかし最初、審神者は言った。本当は言うつもりはなかった、許されることではないと分かっている、と。実情を彼女が知らないわけではなかろうが、少なくともそれが信条なのだろう。
 実際、審神者と青江の関係はどこまでも秘匿されている。本当は、昼日中から誰の目があるとも限らぬ場所で、こんなことをすべきではないと、分かっている。分かっているのに、近頃抑えが利かなくなっているのを、青江は自覚していた。
 しかし、そうであるなら罪の半分は彼女にもある。――青江が触れるのを、彼女は拒まない。おずおずと受け入れたかと思えば、あるいは、おっかなびっくりと青江に触れようとさえする。
 今だってそうだ。結局彼女は青江の唇を受け入れ、長い長い口づけの後、大層熱っぽい吐息をこぼして青江にしなだれかかってきた。たまらない。
 もう一度頬を撫でてやると、億劫そうに顔を上げた。とろけたような瞳に、期待の色が見え隠れしている。きっと隠すつもりもないのだろう。次の瞬間、仕掛けてきたのは彼女の方だった。

 

***

 

 ――遅かれ早かれ、こうなることは決まっていたように思われる。
 その時、青江はたまたま戦から帰城してさほど時間がたっておらず、大層気が高ぶっていた。生きるか死ぬかの瀬戸際。ぎりぎりで超えた死線。アドレナリンの放出はいまだ衰えず、興奮はいつまでも引かなかった。
「……青江が無事でよかった……」
 自分の生存に安堵し、ようやっと呼吸を思い出したような。吐き出された吐息の最後を聞き届けるまでもなく、青江はその体を組み敷いていた。
 彼女は驚いたように目を見開いただけだった。
 嫌なら逃げるように、青江は言った。今からとてもひどいことをするから、と。それに対する審神者の答え。
 言葉はなかった。ふっと持ち上がった手が、するりと青江の頬を撫でた。頬というより、もはや唇の横。その思わせぶりな仕草こそが、答えだった。
 ――止まらなかったし、止めることなどできなかった。
 本能のままに、細い身体を掻き抱いた。何度も何度も、求めた。求めあった。その果てに、つかの間――ほんのつかの間、ひとつになる喜びを知った。しかしそれが覚めると、ふたりを隔てる体の不自由さを忌々しく思い、幻のような一瞬が狂おしくなる。
 そうして、その一瞬のために、何度となくお互いを貪った。
 特に理由などなかった。目と目が合ったから、手が触れ合ったから、雨が降っているから、梟が鳴いたから。そこに、互いがあるから。

 本当にこれでいいのだろうか、と青江は思う。

 刹那的な行為に、どれほどの意味があるのか。何かを疎かにしているわけではない、何かを犠牲にしているわけではない。しかしそれでも、これが健全なことであるとは全く思えない。
 彼女の秘めた部分まで暴いてしまったような、そんな罪悪感がある。これが真に彼女が望んだことなのか。これが彼女にしてあげたかったことなのか。分からないのだ。
 といって――終わりにしろと言われて、終わりに出来るものではない。
 なぜならもう、――。

 

 目が覚めると、もはや見慣れた奥の天井があった。青江の左腕を枕にして、審神者が寝息を立てている。
 首を動かすと、その瞬間彼女が目を見開いた。狸寝入りだったのかもしれない。
 びっくりした、と言葉を紡ぐより先に審神者の唇が動いた。
「もう、終わりにしようか」
 ポツリとした声で、しかしはっきりとした響きを持って彼女が言う。縁談を勧められているのだ、と他人事のように審神者が言ったのを、青江は他人事のように聞いていた。
「相手は政府の役人で、期待の若手。いい血筋のひとで、上にも顔が利くんですって。今後私に来るだろう縁談の中でも、これ以上はないってくらいの好条件なの。その人と結婚したら、審神者の中での私の地位は確実に上がるから、変な任務は回されなくなると思う」
「それって、」
 青江が口をはさむと、審神者はゆっくりと視線を合わせた。たとえばそこに、悲壮感だとか嫌悪感だとか――そういった感情が見え隠れしたのなら。
 ここまで感情が高ぶることはなかったのかもしれない、と青江は思う。瞬間的に、彼の心のうちは燃えるようにカッとしていた。
「僕たちのためかい?」
「ううん、自分のため」
 そこにあるのは、純然たる諦観。
 悲壮感も嫌悪感もなければ、拒絶も絶望もなく、ただただ死を受け入れる敬虔な殉教者のごとき眼差しがそこにあって、青江を静かに見つめていた。
「しんどいの、私が。あなたたちが苦しいと、私も苦しい。自分の無力さに腹がって、死にたくなる」
「そんな……君はなにも、」
「そう、何もしてないから。血を流すのも傷つくのも、すべてはあなたたちだから。もうずっと、考えてた。どうしたらいいのか、って。一時期は、本当に、死ねば楽になれるのかもと考えてた。でも、あなたがいたから耐えられた」
 だったら、と青江は思う。このままそうしていればいい。
 けれども――彼女がそのようなあり方を望まないことは、青江自身がよく分かっていた。
「だからといって、こんな関係はいつまでも続けられない。前向きに考えたの。審神者の確保のためにも、子どもはいた方がいいし、結婚すればそういう面でもクリアできると思う。……まあ、そんな先まで戦いが続くなんて、思いたくないけれどね」
 絶対に覆せないと分かった。決意を固めた彼女を変えるすべを、青江は持たない。主たる彼女の決断に口をはさむことなどできないと、自身が一番よく分かっているはずなのに。
「……君は勝手だ」
 青江の口からこぼれたのは、純然たる恨み言だった。しかし軽い口調で平気なふりをしたのは、なけなしの矜持がそうさせたから。
 審神者は頷いた。
「本当にそう思う。私のわがままで青江を振り回して、……今更遅いけど、本当にごめんね。あなたの優しさに付け込んで、こんなところにまで連れてきてしまった」
 聞きたくなかった。否定してほしくなかった。
 まるで、今までのすべてが――掌も、額も、唇も、胸の温度も、交わした熱も、それらが全く許されざる過ちであったように、言わないでほしい。
「本当はね、あの時。宴会の後、執務室で声をかけられて、思わず好きだって言ってしまったとき。あなたに、どうしたらいいって問われた時に、私の立場からは『突き放して』と言うべきだった。でも、言えなかった。あなたが誠実で優しいのをいいことに、本当に厚かましいことを言って……恋人ごっこに付き合わせてしまった」
 耳をふさぐよりも先に、審神者は言った。
 好きだと言ったあのときと同じように、魂の奥底から引きずり出すような、切ないほどの口調で。
「……ごめん、終わりにしよう」
 青江には、分かったと答えるので精一杯だった。
 その後の記憶が、ぽっかりと彼から抜け落ちている。

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