美容室で髪のセットアップをしてもらっている最中に、本丸から知らせが入った。――出陣していた第二部隊が帰城、にっかり青江のみ帰城ならず、と。
上司に連絡してみるが、見合いの中止はできないと突っぱねられた。色をなくす審神者に、美容師はしきりと体調を気遣ったが、大丈夫ですと言うほかない。
着付けが終わった頃、上司と合流した。
「君のところは、刀剣破壊は初めてだったかな。しばらくはしんどいと思うけど、それはそれ。これはこれだから。厳しいこと言うようだけど、このお見合いには君の進退もかかってるからね。相手には絶対に失礼のないように」
かかってるのはてめえの出世だろ、という言葉を唇の裏で呟きながら、審神者は半ば呆然と上司に従った。
もはや何も考えられなかった。
少なくとも、それまでは多少なりとも見合いについては前向きに考えていた。それこそ、相手の好みをリサーチし、相手の好きそうな着物を見繕い、相手の好きそうな話題を用意するくらいには。
しかし、知らせを受けたその瞬間から、何もかもが砕けて吹っ飛んだ。――もはや、どうでもよかった。なにがどうなろうと、どうとでもなれと思ったほどに。
能面のような顔を貼り付けて、お見合い相手とお茶をして、話をして……。
そうしたとき、再び本丸から連絡が入った。
にっかり青江、別本丸経由で無事に帰城。
その瞬間、砕けてかなたに吹っ飛んでいったものが、まるで逆再生するように戻って元通りに構築された。
死んだ金魚のようだった審神者の目に、ハイライトが宿る。
そうした瞬間、審神者は登山の魅力について語っていたお見合い相手に、冷静に口をはさんだ。
「すみません。私、本丸に帰ります」
「え……?」
「本当に申し訳ありません。私、登山には興味がないし、家事も好きじゃないし、政府高官の奥さんとして大人しく収まっておける器じゃないんです。審神者は辛いししんどいし死にたくなるけど、それでも戦っていたい。たとえ辛くても、先が見えなくても、私の刀剣男士と戦っていきたいんです」
ぽかんとする男性を置いて、審神者は草履を脱ぎ捨て走り出した。裾をまくり、袖を帯につっこみ、頭の重い装飾を取って捨てて、無我夢中で走った。
「っお前、……!!」
上司の声が背後から聞こえたが、どうでもよかった。罵倒するような大声が聞こえたが、雑音としてしか処理されず、まったく問題にならなかった。
***
「青江っ……!!」
刀剣男士たちの輪の中に、彼の姿があった。ぎょっとする彼らも気にせず、審神者はその人だかりを強引に押しのけて進んでいく。
「主……」
その姿を認めると、青江は目を丸くして絶句した。周囲も同様に。
「青江……」
ふらふらとまるで幽鬼のようにやってきて、審神者が手を伸ばす。反射的に青江がその手を取る。そうしたとき、彼女はわっと声を上げて青江の胸に飛び込んでいった。
まるで、子どものように――。
声を上げて泣きじゃくる姿は、まさに圧巻だった。周囲の刀剣男士たちは、主のむき出しの感情というものを、これまで目にしたことがない。
彼女が全く冷血で無感動な人間とも思っていなかったが、人前で感情を爆発させるほど子どもじみた人とも、認識していなかった。そんな彼らにとって、身も世もなく泣きわめく主の姿など、予想だにしなかったのである。
しかも、その恰好も問題だった。
本日が、政府高官との見合いの日だと知っているのは、初期刀の蜂須賀虎徹だけ。そして、その蜂須賀は本日非常に厳しい戦を終えて帰ってきたばかりであり、今は手入部屋にある。――審神者に状況報告したのは、留守居の歌仙兼定だった。
どこからどう見ても高そうな着物を、しかし草履も履かずこれ以上ないほど着崩して、しかも髪も化粧もぐちゃぐちゃ。一部飛躍した思考回路を持つ者など、何らかの格式高い席に参加した主が、何らかの暴行でも受けて逃げ帰ってきたのか、とさえ勘繰っている始末だ。
呆然と審神者を見つめていた者たちが、今度は状況説明を求めるように、青江に向かう。――とはいえ、この視線は「お前が知ってるわけないよな」という性質のものだったのだが。
ここにはひとつの行き違いがあった。
青江は誤解した。もしかして、自分と主の仲を疑われているのではないか、と。
青江は彼女の見合いの日程がいつかまでは知らないが、見合いを受けるという事実だけは知っていたため、彼女の(乱れきってはいるが)ドレスアップした姿を見て、今日がその日だったのだと悟った。そうして同時に、彼女がそれをすっぽかしてきた(もしくは終わってすぐにやってきた、か)ということも。
見合いをするような相手がいる彼女が、ここまで取り乱して見せることを、なにか誤解されているのではないか――そうしてそれが、彼女の見合いへ不利に働くのではないか。
ごちゃごちゃと錆び付いたように動きの悪い脳みそが、ようやっとそんな理論を構築した。
「おやおや、熱烈な歓迎だ。しかしちょっと熱烈にすぎるかな?」
いつも通りの口調で言って、そっと審神者を引き離そうとするが――離れない。何度かそのやり取りを繰り返し、ようやっと離れたかと思えば、審神者は涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔で刀剣男士らの方に向け、大きくしゃくりあげた。
「っみんな……ごめん……」
放っておけば膝から崩れ落ちてしまいそうなくらいの弱々しさで、審神者は詫びる。一体何事か、と集まった刀剣男士たちは目を皿にして主の様子を見つめている。
青江も同様だった。これから一体何が始まるのか、彼にもなにも分からなかった。
ぐずぐずと鼻をすすり、しゃくりあげ、審神者はどうにかこうにか言の葉を紡ごうとする。その姿はもう、いっそのこと哀れでさえあった。
「今日、ほんとはお見合いで……。政府高官とお見合いで……。この縁談がうまくいったら、きっと、審神者としての地位も上がって……。変な任務とかこないし……みんなもっと、楽に……。でも、……」
ひくひくと審神者がしゃくりあげると、誰かが頑張れ! と支援の声を上げた。それに励まされて、彼女は大きく頷いた。
「ででっでも……。私、審神者で……平等で、なきゃいけない……立場なのに……。青江のこと、好きでぇ……審神者にあるまじき……身勝……手……。私情で、見合い切り上げて……。もしかしたら、今後、不利な任務とか……くるかもで……」
そこまで言ってしまうと、審神者は膝から崩れ落ちて号泣した。
その瞬間、最前列にいた次郎太刀が青江に向かって、殺傷力さえ有してそうな鋭い視線を送り、彼女を支えろと威嚇してくる。青江は迅速に彼女の体を抱きかかえ、肩のあたりを撫でていたわった。
刀剣男士一同困惑し驚愕していたものの、――
「ぅおおおおおおめでとう主!!」
加州清光の絶叫が、彼らを覚醒させる。
「仕事一筋で戦が恋人かと思ってたけど、ちゃんと人並にそういう欲求あったんだね! 全然そういうのありだと思う!!」
「不利な任務だァ? 上等じゃねえの。むしろ受けて立ってやるよ」
加州の声に、同田貫が呼応する。この場合、純粋に高難度任務を求めているだけであったが、それがその他刀剣男士たちにも広がった。
「恋に仕事に生きるので必死! よっ、主ますますいい女じゃーん! よし、酒だ酒持ってこい!!」
「祭りだな、祭りなんだな?! 血がたぎるぜ!」
「鳴狐もわたくしも全力で応援いたします所存! ややっめでたい~!!」
「主が人妻だー!!」
「脱ぎまショウ!!」
「脱ぐな!」
「今日は御馳走を作らなきゃだね……本当によかった」
「自分、食べる専門なんで」
「国行ー働け」
「祝い酒だろうがなんだろうが、飲めるならそれでいいさ」
皆の盛り上がりが最高潮に達すると、加州が鋭く指笛を鳴らした。
「っていうことなんで、撤収ー! 祝い酒!!」
号令をかけると、審神者と青江を残してみな蜘蛛の子を散らすように散開していった。
そして、ふたり以外の誰もいなくなった。
「……これ、大丈夫なのかな」
ぽつりと青江が漏らすと、審神者は着物の袖に鼻を当て、盛大に鼻を噛んだ。見るからに値打ちものだと分かる生地である。青江は絶句したのち、え、大丈夫……? と本気で気遣った。
「こんな縁起の悪い着物、即刻捨てるから」
審神者は鼻声で答えると、すくっと立ち上がった。うつむき気味である。
「まあその……そういう、ことだから」
ぶっきらぼうに、開き直ったように、彼女はそれだけ言った。
青江は考えた。考え込んだ。――無数の情報がちらばっていて、それに意味を持たせようと演算に演算を重ねるが、なかなか完結しない。情報も感情も、なにひとつとして統制が取れず、極度の混乱状態を呈している。
しかしそんな中、青江はひとつひとつ根気よく情報を拾い出していき、情報処理を図ろうとした。
ひとまず、彼女のお見合いは失敗したということ。
彼女自身が、青江との関係をみんなに打ち明けたということ。
その結果、どうやら宴が開かれそうな雰囲気であるということ。
――ここに来るまで、青江には様々な感情があった。あった。ありすぎた。自分でも心を決めかねるくらいに。
死を覚悟したと思ったのに、あっさりとそれを覆され。
保護された本丸では、手入れを受けたばかりでなく呑気にお茶まで一服馳走になった。(そこの一文字則宗から、審神者との仲についてを何やかやと聞かれた)
そうして自分の本丸に帰ってきたら、ほどなくして彼女が現れ。
……こんな状況に、なって。
現状は理解したものの、やはり感情を決めかねている始末だった。
「……やっぱり、呆れた?」
沈黙をどう解釈したのか、審神者が問いかけてくる。それもそうだよね、と彼女は自嘲気味に笑ってみせた。
「もう終わりにしようとか言ったの、私の方だもの。未練がましい。やっぱ宴はやめてって言ってくる」
そう言って走り出そうとしたのを、青江が引き止める。
事ここに至って、腹が決まった。――おそらく、あの時からすでに、決まり切っていたのだと思う。彼女の告白を受け入れた、あの時から。
「ひとまずは、こう言うべきかな。『ただいま、主』そして、次はこうだ。『僕も君のことを愛している』抑えが利かないほどにね」
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