物心がついたのと同時に、俺は前世の記憶とやらも同時に取り戻した。
よく聞くこのテの与太話だと、物心つく前に前世の記憶を持っていて、成長と同時に消えていくのがセオリーだが、俺の場合は逆で、人間性を獲得していくのと同時に、前世の自分がどうだったかをはっきりと思い出していった。
どうも、前世の俺は人間ではなかったらしい。
姿かたちは人間の男で、その面差しには片田舎の奇跡と呼ばれた美少年の面影が十二分にあったわけだが、その正体は「日本刀」で、もっというなら「付喪神」で、戦うための武器として存在しているものだった。
前世、というわりにその舞台は今現在の時代よりもっとずっと先の、SF映画の世界観に近かった。自動車が空を飛んだとか、ヒト型のロボット兵器が宇宙で戦っているかは定かでないが、少なくともごく一定の条件下での時空移動は可能だった。
そして武器として戦う俺の敵は、歴史を変えようとする謎の勢力、「時歴史修正主義者」。俺たち「刀剣男士」は主である「審神者」とともに、劣勢ながら歴史を守る戦いに身を投じていた。
前世の記憶とやらの断片が完璧に完成したのは、齢十四のとき。
この頃になると俺は、かつての仲間たちのことも、戦ってきた戦場も、「刀剣男士」大般若長光としての記憶をすべて取り戻した。まあ、すべてとは言っても細部まで詳細に覚えているわけでなく、おおざっぱな流れを概要として認識しているという感じで。記憶というよりは、記録と言った方が正しいかもしれない。
しかしその味気のない記録の中にも鮮明に残っているのが、主のことだった。俺を顕現させた、俺の最期の主。刀だった頃にも何人もの、しかも名だたる権力者の主に可愛がられた身ではあったが、肉体を得てから仕える主というのはまた特別で、しかもそれが刃生のなかではあまり馴染みのなかった女の主だったから、思い入れもより一層強かったと思う。
審神者というのは一般には、神の声を聴き民衆に伝える巫のことだが、俺の仕えた審神者とは、物の心を励起する技を持った刀剣男士の棟梁だった。ほんの小娘の時代に本丸にやってきた主は、長らく審神者を続け歴史修正主義者たちと戦い――最期は、敵の襲撃を受けてあっけなく死んだ。拠点となる本丸に攻め込まれ、桁外れの物量で推されたのだった。奮戦の甲斐なく落城し、その戦いで俺も命を落とした。
俺と主は特別な関係――では、決してなかった。
一時期そうなりかけたこともあったが、結果的には深部にまで踏み込まずに終わった。俺は主のことを特別だと思っていたが、おそらくそれは俺だけでない。俺が、肉体を得て初めての主を特別に感じたように、他の奴らにとってもその感覚は同じだったはずだ。そんなのが百以上。あまりにもライバルが多すぎる。
抜け駆けでもしなければ主にとって唯一無二の存在になることは不可能だったが、不思議とそれはしなかった。命を預け合うかけがえのない仲間を出し抜くのもナンだったし、なにより――彼女がそれを望まなかった。
彼女のひどく心が弱ったところに、一度だけ俺はつけ入るように踏み込んだことがあった。卑怯な手だ。まさしく抜け駆けだ。訂正する、一度だけしたことがある。
弱り切っていつになく頼りなく、はかなく、今にも折れそうな女の体を掻き抱いて、俺はどこかの伊達男みたいな甘い言葉を吐いた。鋼鉄の精神を持っているように見えた彼女も、さすがにこの時は揺らいだ。刀剣男士の主という矜持と責務をすて、ただの一人の女に成り下がろうとしていた。
俺の悪魔のささやきに体の半分くらい飲み込まれて、しかしどうにか自力で底なし沼から這い上がって、泥だらけの姿で自立して、逆境を乗り越えていったのだ。悪い悪魔を足場にして。
そして次に顔を合わせた時にはなにもなかったかのように、主ですがなにか? という顔付きで一部の隙もなく高潔な雰囲気を醸し出していた。そうなるともう、俺にも他の奴らにも手出しできなかった。
最初で最後の機会をものにできなくて、悔しくも情けなくもあったが、不思議と未練はなかった。真実、心底から魂の奥底から――いい女だなと思った。この女のためなら何でもできると、冗談ではなく本気でそう思った。
だから本丸が壊滅寸前の時、俺たちはどうにかして主だけでも逃がそうとしていた。何の因果か運命か、はたまた必然か、俺が主の最期の守り刀となって。残りひとつとなった脱出路を目指していると、最後の敵のお出ましだった。
敵と切り結ぶ俺をよそに、主は脱出路に向かって駆け込んだ。普通こういう時、あなたを置いて行けない! 俺に構わず行け! っていうやり取りがあってもおかしくないが、そこはさすがの彼女だ。一切なんのためらいもなく俺を置いて逃げた。そうして脱出ゲートが閉まる直前、俺の方を見て――声なんか聞こえなかった。けれども唇の動きは、愛の言葉を紡いでいたんだ。愛してる、なんてそんな柄じゃねえくせに。
その直後、脱出ゲートが派手に爆ぜた。ゲートとはいっても、本丸の外に連れて行ってくれる転移装置なんてもんじゃない、たんなる本丸外へ通じるだけの地下通路。敵がどうやってそれを感知したかは知らないが、ミサイル攻撃ってことはないだろうから、あらかじめ爆弾でも仕込んでたのか、あるいは、(中で敵と行き会ったのか)主が自爆装置を発動させたのか。どちらにせよ、主の死は間違いなかった。
そちらに気を取られるあまり、俺はあっけなく敵に討ち取られて死んだわけだが――最後の記憶の断片がかちりとはまった瞬間、俺は今度の人生における使命を明確に鮮烈に獲得した。
今生こそは彼女を幸せにする。
それまでは漫然と、顔がとびきり良いのをいいことに適当に生きてきたが、ただ顔がいいだけでは彼女を幸せにできまいと、遅ればせながら勉学に打ち込み、社会経験を積むことに邁進したのだった。
勉強はまあ……どう頑張ってもそこそこにしかならなかったが、抜群のルックスと人たらしの才能、神がかり的な博才は大いに役立った。大学生時代にデキる友人と起業して、数年後には年収で億単位稼ぐほどに上り詰め、彼女といつ再会してもいい身分になった。
けれども肝心の彼女と出会うことはなかった。
頑張りが足りないのかと様々な事業展開をし、さらに会社をデカくしてみたり、社会福祉事業にも手を出したりして、知名度を高めてみた。この気品あふれる顔立ちと抜群の経営手腕で、メディアには引っ張りだこだ。情報番組のコメンテーターに呼ばれたことも、バラエティ番組のセレブ特集に出たことも、さまざまなネット配信にさえ、ありとあらゆる媒体に顔を出した。
そうすればワンチャン、彼女の方から来てくれるのではないか、という下心もあった。というかそれ狙いでさえもあった。
「彼女はそんな性格だったかな? たとえ貧困にあえいでその日暮らしだとしても、かつての部下に情けを乞うなんて死んでも御免、ってひとだったと思うけれど」
舌鋒鋭い甥の言葉に、それもそうかと納得したが、だったらもっと早く言ってほしかった。ちなみに小竜は俺の姉の子であり、俺と同様前世の記憶を持っている。小竜もまた子供のころから前世の記憶に悩まされたらしく、そこで俺がよき相談役となって支えてきた。特にやつが大学の頃は俺のマンションに下宿させていたくらいで、小竜にとって俺は第二の父親とも呼べる存在かもしれない。
「……なにか今、イラっとしたんだけど」
モノローグまで敏感に感じ取る、霊感も強い頼もしい甥だ。
閑話休題。スタンド使いが惹かれ合うように、刀剣男士もまた惹かれ合うのか、俺の周囲には記憶の有無にかかわらずかつての仲間がちらほらいる。いまのところ面識があるのは、甥の小竜と俺のビジネスパートナー、大典太光世とその弟のソハヤくらいだ。
ここの四人とは記憶の共有をしたことがあるが、みんな記憶の程度にはばらつきがあった。小竜は俺の半分くらい覚えている印象で、三池の兄弟にいたってはなんとなく覚えている程度。
ちらほら巷で見かけるかつての仲間たちも、特に声をかけてくる様子もないところを見ると記憶がないのか――あったところで、前世は前世と割り切っているのか。寂寥感のこみあげるときもあるが、まあ、過去生を覚えているなんて存在自体がレアだ。そういうものと割り切るほかない。
「俺は成長するにしたがって、前世の記憶は薄れていった」
小竜などはそう話す。昔は頻繁に夢を見たが、もはや今では久しく見ないと。
「これはこうだったという、記録としての認識みたいなものはあるけど……。あなたのように事細かな記憶はないに等しい。おじさんは、過去にとらわれすぎているんじゃないかな」
その言葉には一理も二理もあるだろう。時は流れ、人は変わる。変わらざるを得ない。かつては俺を「おじさん」と呼ぶのを嫌がっていた小竜が、すんなりとそう呼べるというのは、そういうことなのだろう。
過去を向いているのは、俺だけだ。もしかしたら主も――。
それでも希望を捨てきれない。もはや特別な関係にならなくたっていい、彼女が幸せならばそれで。影からそっと見守るくらいは、許されたっていいはずだろう。彼女が俺を覚えていなかったとしても。ほかに思う男があったとして、家庭や子供があったとして、幸せならばそれでいい。
畜生、いつになったら会えるのやら。
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