出会って二秒でプロポーズ - 6/13

破(三)、

 新幹線のトイレの中、便座に腰かけてうなだれること十数分――。上からも下からも、出せるものをあらかた出しきってしまい、いまにも脱水寸前。正直やばいと思っているところに、控えめにドアがノックされた。
『主、大丈夫ですか?』
 さすがに長いこと席を立っていたため、心配になったのか様子を見に来てくれたらしい。愛すべきわが夫。いや、まだ届けを出していないため法的にはそうではないが、すでに心の中では絶対運命配偶者。
「だい……大丈夫」
 返事をしてみたものの、その声は自分でも驚くほどかすれて弱弱しく、どう聞いても大丈夫のそれではなかった。ドアの向こうでは、しばしの沈黙。
 心配した彼に乗務員を呼ばれてはまずい。出るものが何もないことを再三確認し、手を洗ってからふらふらとトイレを出た。
「ぅおっ」
「大丈夫ですか」
 ドアのすぐ前に控えていた村正に驚き、よろめいたところを抱きとめられる。こんなに青白くなって……と村正は心配そうにするが、よろめいたのは驚いたからであって、足腰が立たなくなるほど体調が悪いわけではない。ただ単に、
「緊張するゥ~~~」
 というわけだ。分厚い胸板に顔をうずめてしがみつき、か弱いふりをすると、村正はゆっくりと温かく背中を撫でてなだめてくれた。
 か弱い乙女ぶっていると、耳のすぐ上でクスリと笑うような声が聞こえる。え、笑った? この状況で。
「あなたでも緊張することがあるんデスね」
 冗談めかした口調に、なによそれと下からねめつける。こっちはそれどころじゃないくらいに、苦しんでいるわけだが。
「するに決まってんでしょ。あんたとちがって、私は普通の人間なんだから」
「そうですか? 出会って二秒でプロポーズを決めたひとのセリフとは思えませんね」
「逃れられぬ運命との邂逅を前に、人は無力なのさ」
「冗談を言えるくらいにはなりましたね。座席に戻りマスか?」
「もうちょっといちゃいちゃしてから」
 思いっきり村正にしがみつくと、村正も仕方ありませんねぇみたいな反応でゆったりと抱きかえしてくれた。これは吐き気も吹っ飛ぶ。新幹線のトイレ前ということも忘れて、ノリノリでキス待ち顔など作った日には、
「あっ……」
 ドアの開閉音と共にそんな声が聞こえて、慌ただしく去って行く人の気配がした。相手の顔がこちらから見えていないだけ幸いだが、それでも誰かに見られたという事実はいかんともしがたい。めっちゃ恥ずかしい。
「公共の場でしたね」
 村正の声で深く恥じ入り反省し、迅速に座席に戻ることとした。
 気を取り直して。
「でもやっぱ緊張する~~~」
 前のめりになってうなだれると、でしたら、と控えめな村正の声がかけられる。「今回はやめておきますか?」
 何を隠そう、本日は村正のご家族へ結婚の挨拶をしに行く。彼のご両親は次男坊に事業を引き継ぎ、現在は南国の離島(夫婦の出会いの地らしい)住まいをされているのだが、わざわざこの日のために本州に渡り、挨拶を受けてくださるわけだ。
 村正が独り身で恋人もいないことは知っていたらしいが、疑ったり深く追求したりすることなく、手離しで喜び賛同してくれたとか。
 彼曰く、弟と違って自分は人間的な営みを全く期待されておらず、健康に生きてくれさえすればいいと願われているほどなので、結婚は望外の悦びだろう、とのこと。
 ちなみに弟――桑名くんは、すでに結婚して子どももいるらしい。絶対いいパパしてるんだろうな、容易に想像ができるというもの。
 だとしても。
「緊張するんだよ……!! 親に挨拶とか初めてだし……ああもうどうしよ」
 頭を抱える私を、撫でてくれる村正の手が温かい。
「ワタシもです。確かに、逆だったらと考えるとそうでショウね。自分の家族だから大丈夫と思っていても、こればかりは。心中お察しします」
「でーもー、村正はさぁ……。結局は過去の仲間なわけだから、そんなに怖いことなんてないでしょ。私とは土俵が違う」
「相手が誰にせよ、大事な娘や妹をいきなり奪っていくわけですから。一発殴られるくらいの覚悟はありマスよ」
「いやいや、そんなことするような親でも兄でもないよ。めっちゃイージーだって」
「どうでしょう。かつての仲間といえば、私の弟もいとこもあなたのかつての部下に変わりありません。蜻蛉切も桑名も、あなたのことを話したら手離しで喜んでくれました。万が一、いえ億が一両親が難色を示したとしても、ふたりが援護射撃してくれるはずです」
「やっぱ難色を示すよね?! こんないきなりの結婚!」
「もののたとえなのデスが……。言わなければよかった」

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