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 いつの世にも、どこの世界にも。無責任な親というのは存在する。
 この場合彼女の両親――特に母親がそうで。当初の取り決めでは双子の姉は父が、妹は母が引き取って養育することになっていたのだが、
「子どもっていろいろ大変なんでしょ? やっぱりわたしには無理かも」
 という理由で、生後間もない我が子を手放そうとした。
 一般社会では眉を顰められるような行為だが、殊、審神者という特殊な界隈に至っては、案外とこれがまかり通ってしまう。
 そもそも、この両親自体が婚姻関係にはなかった。霊力豊富な審神者という存在を次代に残すため、時の政府が推奨したプロジェクト――『次世代育成対策』に従っただけで。政府が見繕った霊力の相性が良いパートナーと、人工授精で子を成したに過ぎない。
 時の政府としては、審神者となりうる次世代を生み出すことを最優先事項としている。そのため、子の養育については手厚い保障が用意されており、審神者の手元で育てる場合は、専属の保育士や医療スタッフ、教育機関との連携まで完備されている。
 反対に、審神者の手元で育てられない場合は、時の政府が設けた厳格な審査を経て、養子縁組が行われる。養親の条件は厳しく、歴史防衛という特殊な使命に理解を示し、なおかつ経済的にも子の将来に不安のない家庭に限られるというもの。
 さまざまなお膳立てはあったものの、彼女の母親は気まぐれに自身の手元で養育すると決め、そうして、産んだ直後にあっさりとそれを翻した。時の政府に連絡し、やっぱり養親を探してください――となるはずだったが、それに大反対したのが母方の祖父母だった。孫が可哀そうだ、というひどく感情的な理由で。
 先述の通り、審神者次世代の養親になるための審査は極めて厳しいが、血縁者、それも祖父母との養子縁組となれば話は別だ。この場合、経済的に厳しければ時の政府から援助もあった。
 こうして実祖父母との養子縁組はつつがなく成立したものの、そこに至るまでに盛大な親子喧嘩が勃発した。否、喧嘩とも言えない一方的なもので、なんて無責任なと激怒する祖父母とは対照的に、生母ときたら、なんでそんなに怒ってるの? とばかりにどこまでも淡泊だった。
 これにより、親子の間に深い溝が生まれたのは言うまでもない。それが決定的なものとなったのは、子が七つになる年のことだった。
 七五三。帯解きの儀こそは彼女の母親も同席を、ということで一年前から綿密な準備が進められていたが、当日になって、
「大事な会議が入ったから無理になった」
 と、たった一言の連絡を寄越し、あっさり欠席した。
「お母さん、どうして来ないの?」
 しくしくと泣く孫をいたく不憫に思った祖父母は、薄情な娘に絶縁状を突き付けた。それ以来、実母の話題は家庭内で禁句となり、いつしか『殉職した』ことにされていた。
 こうして複雑な経緯を抱えながらも、祖父母の愛を一身に受け、子は何不自由なく――しかし、実母については何も知らず育っていった。
 しかし、子が小学校に上がっていくらか経つと、状況が変わった。
 『時の政府』の『担当者』だと名乗る大人が、定期的に家を訪ねるようになったのだ。これは、母子の関係が断絶していることを把握した政府側が、将来、審神者となりうる子どもを見守るため、定期面談が必要と判断したことによる。
 面談の内容は他愛のないものだった。
「学校で何の勉強をしていますか? 得意な教科はありますか?」
 とか、
「お友達と仲良くやっていますか?」
 とか。
 祖父母たっての希望で、実母とそれにまつわる(審神者に関する)話題は避けられたが、子が尋ねる分には問題なかった。
「おじいちゃんもおばあちゃんも話してはくれないんですけど、お母さんは審神者だったんでしょう? 審神者って、どんなお仕事ですか」
 純真無垢な子の問いに、担当者は目を細めながら審神者について語って聞かせた。とはいえ、審神者になるよう強く勧めることはなく、「この子がその気になったら、」と柔らかな姿勢を崩さなかった。
 そうして祖父母の知らぬ間に、子は審神者という存在に強く惹かれていった。政府担当者も興味を示すならと、惜しみなく情報を与えた。
 やがて子は、競争倍率こそ高いが授業料も生活費もすべて国が負担する、審神者の幹部候補生学校への進学を目標に据え、努力を重ねた。祖父母は苦い顔をしながらも、表向きはそれとなく応援してくれた。
 しかし、受験の直前になって祖父母は反対の意思を突きつけた。
 神棚に置いてあったはずの受験票が、ない。
「おばあちゃん、私の受験票知らない?!」
 泡を食って探す孫を横目に、祖母は顔を背けている。
「ねえ、おじいちゃん!!」
 縋りつく孫に、祖父は難しい顔をして――言った。
「やっぱり、幹部候補生学校の受験はやめよう」
 その瞬間、彼女の脳裏にひとつの記憶がフラッシュバックした。
 幼き日。すがすがしい秋口の朝。綺麗な着物に着替えて、髪を結ってもらって、あとは実母の到着を待つばかりとなったとき。
『やっぱり、今日はじいちゃんとばあちゃんと行こう』
 そう言って、祖父母に手を引かれて行った神社。ついに現れなかった母。
 ――まるで、と彼女は思う。軽率に約束を破る。実母と同じではないか。
 子の失望は深く、受験は白紙になった。諦めきれない彼女は担当者に相談し、「あなたの実力なら来年受験しても必ず合格する。自分も一緒に説得する」と励まされた。
 しかしまた土壇場で裏切られるのではないかという不信感は消えず、子は家を出る決意を固めた。
 一人暮らしのための保証人になってくれないか――そう懇願した子に、担当者は別の道を提示する。
「少し回り道になりますが、将来的には幹部への道も開ける方法があります」
 それというのは、本丸での住み込み修行だった。
 幹部候補生学校が二年で卒業できるのに対し、住み込みは推薦を得られるまでの年数が読めない。見込みがなければ一生推薦をもらえないこともある。しかし担当者は、これまでの努力を見て「最短で推薦を得られる」と踏んでいた。
 こうして、政府担当者の紹介――ここに至るまでに実母の仲介が存在しているのだが、それを知るのは随分と後のことになる――により、少々いわくつきの本丸での修行生活が幕を開けた。

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