役人の伝手を頼って弟子入りした本丸で、熱血スパルタ師匠にみっちりとしごかれること三年。
「あんたはこのアタシ直々の――それも数少ない弟子のひとりなんだからね。幹部候補生学校(おんしつ)でぬるま湯につかっていた連中どもとは、鍛え方が違うんだってことを見せつけておやりなさい」
弟子入りした経緯を知る師匠から、そのような激励を受けて、彼女は喜び勇んで本丸入りした。
担当官とともに入城した本丸は、師匠の城郭規模のそれと違い、小規模な武家屋敷程度の広さしかなさそうだ。下っ端のうちはこんなものなのだろうかと物珍しそうに眺める審神者に、担当官はくつりと軽く笑い声を漏らす。
「お師匠様の本丸みたいに広くなくて、がっかりされましたか?」
おだやかに問いかける担当官に、新人審神者はいえ、と慌ててかぶりを振った。
「先生はなにかと特別なのだと聞き及んでいます。でも、それも先生の実力や影響力を考えれば当然で……。私のような未熟者が、あのような待遇を受けられるなどとは、思ってもみないことです」
真面目に返す審神者に、担当官はさらに笑いを深くする。
「本丸は、呪術と科学が組み合わさった複雑なテクノロジーによって成立する、いわば仮想空間のようなものです。今はこの程度の広さですが、刀剣男士の所属数に合わせて、敷地や建物が自然と増えていくはずですよ」
「自然と?」
「ええ、自然と。昨日まではなかったのに、とか、部屋を出たらいきなり、とか。そのような報告を聞いています」
「不思議ですねぇ……」
なんの変哲もなさそうな天井を眺めてぽかんとする審神者に、担当官は目を細めるばかりだ。
「雪待さんのところはすでに完成しきっていますから、あれ以上本丸が大幅に変化するということはないでしょうね。そうか、ああいう完成形態に慣れていると、このデフォルト状態の本丸は却って珍しく見えるのか」
そこで一旦言葉を区切ると、担当官はよしと立ち止まって呟いた。
「予定変更です。チュートリアルはスキップする予定でしたが、やはり、基本通りにいきましょう。こんのすけ、」
担当官が名を呼ぶと、どこからともなく、見慣れた管狐が姿を現した。
「審神者様へ本丸の案内を頼む」
「かしこまりました。はじめまして、私は『こんのすけ』と申します。案内人を務めさせて頂きますので、以後お見知り置きを」
ぺこりと丁寧に頭を下げる管狐に向かって、審神者もまたそれに倣う。そんな微笑ましいやり取りが終えると、担当官は立ち止まって一人と一匹を見送った。
「あ、」
前を通り過ぎようとしたところ、審神者が振り返って担当官を見る。彼はゆっくりと手を振った。
「本丸に慣れるまでは、こんのすけと……あとは初期刀や初鍛刀の刀とお過ごしください。戦闘に慣れたころに、また窺いますね。それでは私はここで」
そう言って担当官が去る。
本丸にたったひとり取り残され、審神者は言いようのない寂寥感を覚えた。今、ここから新たな生活がはじまる。それは幼い頃から焦がれ、強く待ち望んだものであったが、同時に、さまざまなものとの別離でもある。
瞬間、胸の内に去来したものがある。漠然と思い浮かんだ、幼き日の思い出。祖父母のやさしさに、ぬくもり。子ども時代の懐かしい記憶。退屈で平凡な――しかし、かけがえもなく愛おしい日常。
戦いのなかに身を投じるということは、これまでのすべてを捨てる覚悟を持たねばならない。齢十八にも満たない彼女に、師匠が発した第一声がこれだった。三年という修行の日々の中で、その覚悟を十分に持ったつもりだったのに。
手に持った一口が、言いようもなく重く感じる。審神者として主として、すべての重責がそこにあるかのように。しかし、それを選んだのは己だ。再度己に言い聞かせ、審神者は奥歯を強くかんだ。
すがるようにぎゅっと刀を握りしめて胸に抱くと、審神者は前を向いた。長い廊下を歩き出す。
儀式の間へ入ると、こんのすけに促されるままに目釘を抜き、柄や鍔、鎺といった装具を取り払う。最後に本体を鞘から払って、祭壇へと奉納する。
顕現――。
それ自体は初めてではないが、それでも、自分自身の刀……それも初期刀ともなれば、審神者の緊張も並大抵ではない。見えない霊力を注ぎ込み、祈る。声が、聞こえたような。
はっとした瞬間、ふわりとどこからともなく起こった風が、前髪を揺らす。舞い散る花びら。それは実体なく板張りに落ちる前に霞と消える。金色の粒子が凝集して形作った、ひとつの存在。
審神者はそれにくぎ付けになった。
閉ざされていた瞼がゆっくりと開き、焔色の瞳がこちらを向く。目があったと同時に、いよいよ彼女の体は、指先ひとつまともに動かすことができなくなる。
おそらく、相手が審神者を認識した。と、同時にニッと力強い笑みを浮かべる。
「わしは陸奥守吉行じゃ。せっかくこがな所に来たがやき、世界を掴むぜよ!」
――まるで、と審神者は思う。太陽みたい。
薄暗かったそこが、冗談ぬきで明るくなったように錯覚し、彼女は茫然と目を丸くしている。
師の元で修行をしていたころから、初期刀は彼がいいと思っていた。明るく朗らかな笑顔で、みなを勇気づけてくれるのではないかと。漠然とそんなことを考えていた。
「どーいたどういた。鳩が豆鉄砲くろうたみたいな顔、しちゅうぜよ」
ど正面から顔を覗き込まれ、その近さと唐突さに驚愕した審神者が、声もなく後ろにのけぞると。ひっくり返らんばかりの勢いに、陸奥守は声をあげて笑った。
「なっはっは、元気な主じゃな~! えいえい、はねっ返り娘くらいがわしも張り合いがあってえい。改めて、陸奥守吉行じゃ。よろしゅうたのむ」
目を細めたくなるくらい、まぶしい笑顔だ――。やはり自身の選択は間違いではなかったのだと、審神者は確信し、手を差し伸べた。
「審神者名は秋月(しゅうげつ)と申し上げる。三年間みっちりと修行してきたから、ずぶの素人よりは、審神者というものを分かってるつもり。こちらこそ、よろしくお願いします」
審神者が気負ってそんなことを言うと、陸奥守はうれしそうにその手を取る。ぐっと、力強く握り返した。
それが嬉しくて、審神者もまた握る力をさらに振り絞る。
「頼もしいのう。おおぅ、握力もしょうまっこと強いぜよ。楽しみじゃな~!」
かくして、新人審神者と初期刀の物語は始まりを迎えた。
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