出陣に重役会議に接待(受ける側)に……分刻みのスケジュールをこなす審神者・雪待、ついにイライラの限界突破と相成った。
「クソッタレなんでアタシばっかこんな忙しいのよ~~~ッ! もうやめ! しばらく引きこもる、あとはあんたたちでよきにはからえ!」
邪魔したら打ち首! と厳しく言いつけ自室にこもろうとする主を引き留めたのは、この大本丸の古参も古参、初鍛刀の前田藤四郎だった。
「お客様がいらっしゃってますが」
「客なんざ知らん! 邪魔するなら客人もろとも、」
「左様ですか。久方ぶりに師弟水入らずの時間をと思ったのですが、主君はお疲れのようなので、僕たちのほうで饗応させていただきますね」
それでは、と一礼して下がろうとする前田の外套をむんずとつかむと、弟子って! と雪待は鋭い声で問うた。前田は後ろを振り向かず、口元をほころばせる。
「秋月殿です」
「通してよし!」
間髪入れずぴしゃりと号令がかかると、かしこまりましたと前田は恭しく頭を下げた。
雪待がやってきたのは執務室。
弟子とはいえ客人を執務室に案内するとは――なんて、彼女は思わない。気の利いた近侍のすることだ、客間でなくあえて執務室に呼んだということは、なんらかの事情あってのことと分かっているからだ。
そこは、愛弟子にとっても馴染みの深いところだ。師匠が執務を執る傍ら、弟子はここで学んでいた。
「アポなし訪問とはやってくれるじゃない」
開口一番雪待が声をかけると、弟子はハッと顔をあげてそちらの方を見た。瞬間、すっ転ばんばかりの勢いで立ちあがったのを、雪待は笑って座りなさいよと言いつける。
「それとも出戻り? 仕事肩代わりしてくれるんなら、やぶさかでもないわよ」
いたずらっぽく言ってやると、弟子はどこか安堵したように、しかし苦く笑ってみせる。
「私に先生の肩代わりはできませんよ。すみません、予告もなしに訪ねてしまって」
「ここはあんたの古巣。予告もなにも、家出先に選んでもいいくらいよ。で、どしたの」
応接セットのソファ、弟子の向かいにゆったりと腰を下ろしながら問う。秋月は師の顔を一度まじまじと見つめてから、視線を落とした。
わずかに沈黙が流れたが、急かさずに雪待は話し出すのを待つ。折り目正しいこの弟子が、アポイントメントなしにいきなり訪れた時点で、なにかあったことは予測できている。黙して待つのみだ。
「……こんなことで時間を取らせてしまって、本当に申し訳なく思います。でも私、分からなくなって」
審神者というのは、悩み多き職業だと彼女自身理解しているし、実感している。新人審神者が思い悩むことといえば――正しい歴史とは何かとか、歴史を守ることの意義とか、そういったことだろうか。
かつての講義でもさんざんやり合った話題ではあるが、実際に審神者として采配を振るうとなると違うだろう。いいわなんでもどんと来いよと、雪待は頼もしく弟子の出方を待った。
幾許かの逡巡を経て――秋月が口を開く。
「刀剣男士が審神者を慕うのは、その本性が道具ゆえ必然の性質だと」
そのように教えた。刀剣男士とは、という講義で雪待が教えた文言そのままだ。
「審神者にとって刀剣男士はたくさんいても、刀剣男士にとっての審神者はひとりしかいない。……だから、平等に。なるだけ待遇に差をつけてはならないのだと、学びました」
その通り。――黙ってうなずきながら、しかし、雪待はなにがしかの予感を覚えずにはいられない。
「しかし世間には、審神者と刀剣男士が恋仲になる本丸もあります。実際にこの目で見ました。それは……それは、許されることなのでしょうか」
「あんた、……」
雪待はまじまじと弟子を見た。
思いつめたその眼差しは、いまにもはちきれんばかりの激情をたたえている。
感情豊かなわりに、そういった方面での生々しさがまるでない、高潔とさえいえるほど清らかな少女だった。彼女の知る限りでは。
しかし今、見違えるほどに鮮烈な感情をにじませた姿に、雪待は驚嘆を覚えるとともに――嬉しいような、いくらか寂しいような心持ちになった。
場違いであるとは、分かっている。
「……もしかして、刀剣男士に恋をした?」
柔らかな口調で雪待が問うと、秋月はびくりとどこか怯えたようにしてみせる。そうして、唇を震わせながら、分かりませんと譫言のように返す。
「分からないんです。……でも、違うんです。他の刀剣男士に対して、あんなふうに思わない。でもそれは、……初期刀だから、特別なのか。全然、分からなくて」
黙り込んでしまった弟子に合わせ、雪待はずいぶん長いこと待った。それでも言葉が出ないところを見て、紅に彩られた唇をゆったりと開く。
「初期刀……陸奥守だったかしら」
「……はい」
「陸奥守とほかの刀剣男士に抱く感情が、違う。それに戸惑ってるのね」
復唱する師に、秋月は声もなくうなずいた。
「初期刀だから特別なのか、恋をしたから特別に感じるのか。その違いが判らない。あるいは……刀剣男士が向ける主への好意を、はき違えてるんじゃないか。そう考えて、恥ずかしいとか情けないとか、そんな風に思ってたりする?」
あえて当人が口に出さなかったことを、雪待は残酷にも浮き彫りにした。秋月は一瞬眉根をぎゅっと寄せ、恥じ入るようにうつむく。
「……迷惑な話じゃないですか。そんなつもりがないのに、勘違いされて、手前勝手な好意を向けられるなん、」
「テェイ!」
自嘲気味に語る秋月の語尾が、軽快な雪待の気合の声にかき消される。筋骨隆々で太ましい師の腕が伸びて、弟子の頬をむぎゅっとばかりにつかんだのだ。見るからにタコ口になった秋月が、呆然とする。
「……はにふんへふは(なにすんですか)」
「秋の字! ネガティブ思考は悪って、アタシ最初に教えたわよね。本当はげんこつ打ち落としてやりたかったけど、さすがに空気読んだわよ」
ぐっともう一方の手がこぶしを握りこむと、手の甲にもりもりと血管が浮かび上がり――げんこつとやらの威力が想像される。秋月は我知らず怯えた。
「まったく……。三年も修行してちったあ利口になったかと思えば、お馬鹿さんのままね。本当なら自分で考えろって蹴りだしてやりたいとこだけど、今日は気分がいいから、特別に手厚いフォローをくれてやるわよ」
雪待はそっと手を離した。そうして、息つく間もなく次の言葉を繰り出していく。
「刀剣男士が審神者に優しい? そんなん当たり前、古今東西絶対にそう。これはもう真理よ。だってあいつら道具なんだもん、主を蔑ろになんてできないわよ。でも、だからなに? 好意を向けられたから好きになる、当り前じゃない。そんなつもりなかったのにぃ~? そんなつもりがないって誰が決めたのよ。少なくともあんたの妄想でしょ。それに大体ねえ、憎からず思ってる主から好意を向けられたら、その時点で向こういい感じになるわよ」
「……ならなかったら?」
眉をハの字にして問うた弟子を、師はまっすぐ見つめた。そうして大真面目な顔で、
「まあ……その時はその時ね」
断言した。秋月が落胆するのも待たず、矢継ぎ早に次の言葉が飛び出す。
「そういうこともあるわよ。でも、そんなのもやっぱり古今東西どっこにでもある話。もちろん、失恋したら慰めてやるわよ。泊まり込みでいらっしゃい、三日三晩パーティして憂さ晴らしさせたげるから」
酒に料理、その他もろもろの楽しい催し。絶対に飽きさせないわよ、と雪待は言う。さらに雪待節は続く。
「大体、審神者と刀剣男士、突き詰めてみれば男と女。それくらいのことでしかないのよ。そんな、今にも思いつめて死にそうな顔なんて、しなくていいの。ま、あんたは初恋もまだのピュアピュア乙女だから、しょうがないんだろうけど……。それはそうとして、堅物通り越してそういうの興味ないんじゃ? って思ってたあんたが、ちゃんと恋愛に開眼したのはうれしい限りね。今日暇? 泊ってく? パジャマパーティしましょ」
ずいずいと迫ってくる師匠に、秋月はしばしぽかんとした。随分ながいこと放心していたが、本丸に連絡しとくわよ、という声を聞いて我に返った。
「っ……あ、ありがとうございます! なんというか……目からうろこでした」
呆然としたように秋月がつぶやくと、雪待はばちんと特大のウインクを投げてみせる。
「ま、恋愛のことならこの雪待先生に任せなさぁい。さ! 今宵は宴よ」
「あっ……! いえ! 今日のところはお暇致します。いきなり押しかけて、本当に申し訳ありませんでした」
「なによ、悪いと思ってるなら付き合いなさいよ。あんたの甘酸っぱい初恋の話、アタシに聞かせなさい」
「っそれはあの、今度……!」
じとっとした視線を向ける師に、秋月はたじたじになりながら及び腰になる。そんなとき、まるで機を見計らったかのように執務室へ来訪者が。
「主君、時の政府から火急の要件が入りました」
前田藤四郎が、かつての見習いにそっと目配せをする。それを受けて、秋月はさっと立ちあがって今一度頭を下げた。そうして、前田に助けられながら執務室を辞す。
「先生! 本日はご高説賜り、まことにありがとうございました」
「っなによ、アンタらグルなの?!」
こうなったら、政府の役人なんかいじめてやるんだから~! 吠える師の声を聞きながら、秋月は己が本丸を目指した。
――目が覚めるような思いがした。
『そんなこと』と言ってもらえて、悩んでいるのが馬鹿らしくなった。あるいは、全幅の信頼を寄せる人から背中を押されて、思っても見ないほど勇気づけられたというのもある。
そういった意味で、この人選はまことに最適であったようだ。
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