三、
今クールのぎすぎすチームの損耗は、任務の難易度に反して重大といえるほどで、刀装全破壊はもちろん、負傷の程度も中傷~重傷と恐るべき結果だった。
そういうわけで、手入れは壮絶を極めた。
「つっっっ………………かれた」
無人になった手入部屋の一室で、審神者は壁に背中を預けて声を上げた。連続した重傷者六口の手入れは、いかにタフネスを誇る審神者といえど、真っ白に燃え尽きるほどだった。
もちろん、重傷者の手入れに体力を使ったというのはある。しかしそれ以上に、冷え切った部隊の空気が最悪で、ともすれば一触触発という刀剣男士たちをとりなすため、気力までも大幅に使い切ったためだ。
「ぎすぎすチームの手入れ……ほんとやだ……」
出陣直後、あるいは負傷した者というのは、ただでさえも気が立っている場合が多い。それなのに、そもそもが『ぎすぎす』した隊員たちだから、手入れ待ちの間も絶え間なく不穏な空気が漂い、審神者は気が気ではなかった。
しかし、終わった。否、あと数戦残っているが、今日のところは終わった、それで良しとする。
奥に戻って、シャワーを浴びて寝よう。否、今日は疲れているからゆっくりと湯につかって……。面倒だから、大浴場を使おうか。
そんなことを考えていると、手入部屋の戸がすーっと開いた。
一拍遅れで顔を上げると、そこに鶴丸国永が立っている。今回のぎすぎすチームの一員で、手入れは随分前に終わったはずだ。
「鶴丸ー、どした?」
なにか用だろうかと声をかけると、鶴丸はとことこと寄ってきて、審神者の隣に腰かけた。
「疲れたか?」
「まあ、それなりに。まだ戻ってなかったの?」
「君に聞いてほしいことがあってな」
残っていたのか、わざわざやって来たのか。どちらにせよご苦労なことだと思い、審神者はゆっくりと彼の方に向き直る。
「なにさ。聞かせてごらんよ」
鷹揚に審神者が言うと、鶴丸はこわばった表情にほっと安堵をにじませて、見てくれ、と言い立ちあがった。袴の裾をめくると、膝を露出させる。
つい先刻まで激しく血が滴っていたそこは、すっかりと傷が消えて元通りになっている。もしかしてまだ傷が残っているのかと、審神者は目をこらした。
「俺の膝を見てくれ」
「うん」
「この膝小僧にな、顔が見えることが判明したんだ。それを君に見てほしかったんだ」
「へ?」
ちょっと興奮したように言う鶴丸に、審神者はぽかんとした。
目を凝らして膝を凝視する。――やせ細って骨ばった彼の膝関節、確かに、その陰影が顔に見えなくもない。
「顔……」
審神者がつぶやくと、鶴丸はだろう、と声を大きくした。
「こっちの顔はじいさんで、こっちの顔はばあさんだ。俺の膝に、じいさんとばあさんがいる。すごくないか?!」
「えっ……あ……? はい……?」
「すごく……ないか?」
話についていけなくて、審神者は目をぱちぱちと瞬かせる。こいつは何を言っている……? 回らない頭に、疑問符が次々に打ち出される。
どこかしょんぼりとした鶴丸は、次に、じゃあ手だ、今度は手を審神者の顔めがけて突き出した。
「親指は、一家の大黒柱だな。家父長だ。人差し指は母だな。三人の子がいるんだ。長男、長女、次男。五人家族なんだ」
「えっ……」
訳の分からないことを、鶴丸は早口でペラペラと並べ立てる。その興奮しきった様子と、目の焦点が定まらない感じ。――じっくりと観察し、審神者はさっと血の気が覚める思いがした。
「名前は、父が直五郎、母が絹江、三人の子は……」
「鶴丸、ちょっと待ってね。一回、私の話を聞いてもらってもいい?」
努めて柔らかな口調で言うと、そっと鶴丸の手を取って握りこんだ。その手は、手入れ後と思えぬほどひんやりとして、冷めきっている。
いつぞや、なんらかの拍子に彼の手を握ったとき、思ったよりも暖かくて驚いたことを審神者は覚えている。寒い日のことだった。暖かいのねと言った彼女に、鶴丸は心が冷たいのさ、なんて言って笑った。
審神者は鶴丸と向き合い、肩を優しくたたいた。こわばった顔に努めて笑顔を貼り付け、大丈夫だから、と温かい声をかける。
「変なことを聞くけど、ごめんね。手入れ明けで頭がぼけてるから、許して」
「なんだ、いきなり。何でも聞いてくれ」
「鶴丸、ここはどこか分かる?」
「本丸の手入部屋だ。どうした、主」
「今日が何月何日か教えて。最近働きづめで、日付感覚が危ういの」
審神者の胸が、ドキドキとはり裂けそうなほどに高鳴る。
真向いにいる鶴丸の目は爛々としている。それなのに、一向に焦点が合わない。――まさか、まさか。
「今日か? 確か、五月……四日だったかな。主、働きすぎだぜ。少しは休まねえと」
暦の上では、すでに八月を過ぎている。
一日二日というならまだしも、三ヶ月間――その記憶が抜け落ちているという計算になる。咄嗟に実験のことを聞こうとして、審神者は口をつぐんだ。
そうして、記憶を掘り起こす。
鶴丸の手入れ中、なにか変わったことはなかったか。そういえば、多弁だったかもしれない。疲れ切った表情とは裏腹に、手入部屋の灯りがどうとか布団がどうとか、ずっとまくし立てていた気がする。――思えば、その違和感に気づくべきだった。
ぞっとしながら、しかし審神者はそれ以上に確信が欲しくて、言葉を紡ぐ。
「鶴丸。昨日……は、何してた?」
「何……なにを、していたっけ」
瞬間、鶴丸の顔がこわばった。そこに明確な負の感情を読み取り、審神者はすべてを察した。異様な興奮、視覚的幻覚、健忘……彼の精神が明らかな異常をきたしているのは明白だ。
瞬間、審神者は大丈夫! と声を上げて目の前の体を抱きしめた。
「ごめんごめん、なんでもない。思い出さなくていいよー、大丈夫だから」
ぽんぽんと背中を撫でさする。その間、鶴丸は凍り付いたように微動だにしなかった。
***
医務室のベッドに鶴丸を横たわらせると、審神者はあの手この手で鶴丸を寝かしつけた。体を温め、手を握り、極めつけに焚いた鎮静の香が効いたのか、ほどなくして鶴丸は目を閉じ、完全に眠った。
それを見届けると、審神者は深いため息をついてうなだれた。
自分も隣のベッドに横になると――大きな舌打ちが、意図せず唇から零れ落ちる。静寂に包まれた闇に、乾いた音はひときわ大きく響いた。
今クールでの鶴丸の部隊編成は、巴形薙刀、姫鶴一文字、歌仙兼定、宗三左文字、薬研藤四郎だった。――この編成で、出陣で、一体どういったやり取りがあったのかは、発言ログなどを確認せねば分からない。しかし一期が、彼女の助言に忠実に従ったのだけは分かった。
「……なんで鶴丸が……」
鶴丸国永は、決してメンタルが弱い刀剣男士ではない。
むしろ、古参であり様々な修羅場を乗り越えてきた、頼れる存在だ。
過去、自身の主の死に立ち会うこともあったし、何万もの無辜の民を死に追いやる任務でさえ、無事に成し遂げた経歴がある。刀剣男士の中でも、鶴丸がいるならと精神的な支柱にさえなりうる存在だった。
まさか、そんな彼が――。しかも、今回の研究には「ぜひとも」と名乗りを上げ、協力してくれた彼が。
「なんでよ……」
審神者は腕で目元を覆った。分からない。鶴丸国永ともあろうものが、精神を病むほどの状況に陥ったというのだろうか。一体なにがあった。一体どうしてこうなった。
鉛のように重い体が、まるで沼に沈み込むようにして、暗く冷たい眠りの淵へと落ち込んでいく。
生きながらに埋葬されるかのような、息苦しさと恐怖と焦燥。ひどい後悔と後味の悪さが、ずんと胸にのしかかり、――夢見は最悪だった。
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