二日目は初日と同様、つつがなく終わった。
そうして迎えた三日目――ちょっとした出来事があった。
出陣後の部隊の手入れは、これまでも立ち会ったことがある。これまでと違ったのは、今回の出陣が、特にシリアス極まりない任務だったということ。
舞台となるのは、慶長五年九月――関ヶ原の戦いと、戦後処理。
任務の概要はこうだ。関ヶ原での決着がついたのち、小早川、脇坂ら五武将が佐和山城攻略に乗り出すが、ここに時間遡行軍の介入があって、佐和山城は陥落しなかった。
そこで刀剣男士たちは、佐和山城内に侵入し、城内を攪乱。石田正継らを自刃にみせかけて殺害し、陥落せしめたというもの。
その部隊長は、石田正宗。石田三成とは切っても切れぬ深い所縁を持つ刀だ。
手入れはいつも通り重傷者の順で行われ、最後に部隊長の石田正宗となった。
石田は言葉少なく、沈痛そうな面持ちで手入部屋に入ってきた。待ち構えていた審神者もまた、二言三言言葉を交わしただけで、あとは黙々と手入れに打ち込んだ。
道誉はその様を、手入部屋の隅で眺めている。
横になっていいよという審神者に固辞して、石田は張り詰めた表情のまま座って待っている。まるで、死刑宣告を待つ囚人のような顔つきで。
「これで一通りは終了です。あとはゆっくり休んで」
審神者が声をかけると、石田は硬い表情と声のまま了承の意を返した。
しばらく、ふたりの間に重い沈黙が落ちる。
石田が顔を上げ、審神者を見つめる。意を汲んで立ちあがろうとしたとき、彼女の手が道誉に向かってすっと上がり、掌を押し出すような仕草を取った。
明確な意思表示を受けて、道誉は予定通り音もなく手入部屋を出た。そうして気配を殺して主を待つ。
『……お疲れ様』
手入部屋の障子戸は、防音性が低い。押し殺した声だが、刀剣男士たる道誉の耳には中の声がよく聞こえた。
主の穏やかな声がしたあと、随分経ってから、ぽつりぽつりと石田が語り始める。戦場の様子。何を考え、どう行動したか。審神者はゆったりと相槌を打ちながら、穏やかに聞いているようだ。
石田の声が止む。
しばらくの沈黙ののち、
『……しんどかったね』
ひどくやさしい、慈しみ深い声が、いたわるような響きをもって鼓膜をなでた。かすかな物音。なんとなく、主が石田に触れたような気配だと道誉は察した。
次の瞬間、
『っ……』
かすかな、夜の沈黙に書き消えてしまいそうな嗚咽がひとつ、漏れた。そうして静かな衣擦れの音。
道誉は目を閉じる――。想像の中で、審神者が石田の体を抱き留めた。
言葉はない。きっと、やさしく慈しみ深い腕が彼を慰撫し、いたわっているのだろう。背中をさすっているだろうか。頭を撫でているだろうか。
主の胸の中というのはどんなものであろうか。
道誉は考えを巡らせ、置物のようにその場に座していた。
どれほどの時間が経っただろう。
虫の声も聞こえなくなったほどに夜が更けた時、すーっと静かに手入部屋の戸が開いた。出てきたのは、審神者だった。
彼女は道誉を認めると、声もなく行こう、と促す。それに倣って、彼はまた空気さえ動かさぬほど静かな動きで立ちあがり、主のあとへと続く。
しばらく歩き、手入部屋から十分離れたところで、審神者がぽつりと口を開いた。
「やっぱり、元の主関連の任務はつらいよね」
ひとりごちるような、しかし、聞いてほしくてたまらないといった響きをたたえた、もの悲しい声だった。
道誉は歩きながら、前を行く審神者のつむじを見下ろした。うなだれたような、しおれたような。平素元気で溌剌といった印象があるだけに、その姿が新鮮だった。
なんと返すべきなのか。道誉は考え、うなずいた。
「心があればこそ」
短い回答に、そうだね、と審神者は沈んだトーンで返した。
「まあそれでも……送り出した私が言えることじゃ、ないんだろうけど」
「後悔しているのかい?」
道誉の問いに、審神者は立ち止まった。そうして振り返り、まっすぐに彼を見返す。
「後悔はしない。決めたのは、私だから」
「それでも後ろめたさはある、と」
「……心はままならないものですね。心がなければ、マシンのように何事も冷静に合理的に判断できるんだろうけど」
「しかし、心無い主には誰もついていかないだろうな」
道誉は殊更小さく見える主の肩に、手を乗せた。想像以上に小さく細い肩関節だ。肩幅いっぱいに、道誉の手のひらが乗るほどに。
しかしその双肩に、戦う者の、責任者として主としての使命が乗っている。この、頼りない肩に。そう思ったとき、道誉はなんとなしに――哀れなものだと思わずにいられなかった。
そうしたとき。
「それもそうですね。心があるから、……ともに背負える」
審神者は道誉の目を見て、はっきりと言った。
「私は血を流さないのだから、せめて、あなた方の苦しみや業は、背負わねばならない。それが、主としての責務だから」
ありがとう。審神者はどこか泣きそうな顔で微笑んで、踵を返した。彼女が歩き出したことで、道誉の手が外れる。ぬくもりが、軟さが、去っていく。
それを感じた時、道誉は漠然と思った。離したくない、と。
しかしその意に反して、彼女は去っていく。背筋はすっと伸びて前を見据え、その歩みには少しの迷いもない。主としての矜持や、管理者としての責任感の強さが、厳然としてそこにある。
訂正。たった今考えたことを、真向から否定せねばならなかった。
哀れなど、失礼にもほどがある。主として管理者として、彼女は自立し、必死に歯を食いしばり、押し流そうとする奔流に爪を立てている。その姿は気高く、美しい。だからこそ、悲しいのだけれども。
そんな相反する感情のせめぎ合いが、心のうちを激しくかき乱す。
にわかに心のうちにこみ上げたなにか――それがなんなのか、道誉一文字にはまだ、見当もつかない。
ただ、――道誉は手を握りしめる。
彼女のぬくもりだけは、いつまでも掌に残るようで。それが、なかなか忘れられなかった。
※コメントは最大10000文字、100回まで送信できます