「悟くん、週末だよ。忘れてないよね。硝子ちゃんも来るよ」
「忘れてねーって。お前こそ、実験入った~とか言ってぬけんなよ? 朝まで帰さねえからな。俺とデュエットだかんな」
「えー。悟くん急にハモリパート変えてくるからやだー。どっちも歌えないよ」
「なーんでだよ、練習しとけ」
「あ、ほらほら。言ってるうちに、きれいな紅葉が見えてきた~」
二人、立ち止まる。視線の先には、鮮やかな銀杏並木が。
風に吹かれて舞い落ちる葉を目で追い、二人はしばし沈黙した。
学生時代も、こうやってここを通ったことを、覚えている。
『銀杏だ~! すごーい、でっかい!! 硝子ちゃんあれ、すごいよ~』
『識、前見ないと転ぶよ』
『よっしゃ、銀杏の木まで競争! 負けたらシッペ!』
『うわいやだー! ああああ、残酷なコンパスの差が如実に!!』
『悟、識、気を付けて。雌株は実が、……』
『くっっっっさ!!』
『……遅かったか』
銀杏も紅葉も桜も。いつまでも変わらない。今も、あの時も。しかし今は、何もかもが変わった。
高専、行政棟、医務棟、そして研究棟。
すべて高専内の敷地で完結してはいるが、それぞれが、学生時代のように毎日顔を合わせることなんてできない。
識は立ち止まり、遠い目をして風にゆれる黄色を眺めた。
「……悟くんは、昔に戻りたいなーって思うこと、ある?」
ぼんやりとして見つめる彼女の横顔を、五条悟は見つめる。――そのまま、背景に同化して消えてなくなってしまいそうな。言いようもない儚さと透明さが、識にはある。
青く透き通るような無限の瞳で、五条はかつての級友を映し出す。呪力の流れ、質、すべてが情報として映し出される。
しかし十年経っても、彼女の術式だけは、五条悟をもってしても解明できないものがある。その不明さが、彼女の存在の不安定さを際立たせるようで。
そこにいるのに、いないような。
いつの間にか消えてしまいそうな――。
「……っと。どうしたの?」
思わず五条は手を伸ばし、識の腕をつかんでいた。驚いたような反応を見て、咄嗟に謝り、手を放す。
「識は? そう思うの」
「……どうだろ、分かんない」
「なんだそれ」
「だって、覚えてないもん」
――因果律改変という術式の代償は、術者の記憶だ。
五条が覚えていることを、彼女が覚えていない。
夏油が、家入が、みんなが覚えていることを、彼女だけが覚えていない。そういうことが、ザラにある。
「でもね、感情は残るから」
そう言った識の笑顔は、まるで無色透明。感情の輪郭だけを残したような空虚な笑みが、胸を締め付ける。
それに気づかぬふりをして、五条はよかったじゃん、とうそぶいた。
「感情も残んねーじゃ、味気ねえよな」
ぽつりとこぼした五条に、識はまじまじとその顔を見つめて――嬉しそうに笑った。
「ありがと、悟くん。たまにはいいこと言うね」
「たまにはじゃねーだろ。いつもいいこと言ってるよ」
「余計なことしか言わないじゃん」
「んなこと言うとな、通りもん没収するぞ」
「やだー。そんなけち臭いことしないでよ、五条家のご当主ともあろうお方が」
風が吹く。
葉が散る。
葉が落ちて、冬になり――こうしてまた、季節が過ぎ去っていく。一年が、終わる。年を重ねて、……。
これから先、何と出会い、何を見て、何を考え、何を思い……そうして、何を忘れていくのだろう。
残る感情は、なんだろう。
秋の名残が散り行くさまを見つめながら、識は思った。
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