現代編 2 - 2/4

 場所は、個人経営の居酒屋。
 カウンターとテーブル席、そして奥にはお座敷。夏油らの席は、最奥の座敷席だった。
 週末ということもあってか、店内は客であふれかえり、熱気さえただよっている。店を覗いた客に、店主が断りを入れる風景さえ見られたものだ。
「おっせーな、識」
 五条がスマートホンの時計を何度も見ながら、何度も言う。とはいえ、集合時間からはまだ十分と経過していない。まあまあとなだめる夏油に、家入が「あ、識から」と通知画面を見て声を上げた。
「『もう着きます』だって。珍しいね、あの子が遅刻するの。そして、五条が先に着いてるのも」
 にんまりとした家入の言葉に、五条は一瞬目をまばたいた。
「っ……責めるほどではない遅刻癖は、僕の特権だっつーの」
「いや、君にもそんな特権はないが」
 夏油が極めて冷静なつっこみを入れた時、ガラガラと店の戸が開く音が妙に印象的に耳に入った。
「あの、家入で予約してた……」
「奥の席です! 一名様ごらいてーん!!」
 バイトの軽やかな声に、店主・店員たちがいらっしゃいませと元気に呼応する。視線をやった先、戸口でびくりとしている識が目に入って夏油は思わず微笑んだ。
「おっせーよ識! こっちこっち!!」
 そんな店員たちにも負けないくらいの声量で五条が呼ぶと、よく通るその声に、店内は一瞬ぴたりと静まり返った。識当人も目を丸くしている。鳩が豆鉄砲を食らったような表情に、夏油はくすりと笑い声をこぼした。
「悟……声が大きいよ」
「んだよ、静まり返って。ほら識ちゃーん、みんな待ってるよ~おいでおいで~」
 五条が猫なで声を出すと、識は一拍遅れて奥へと向かって歩み寄ってきた。――彼女がすぐ近くにまで来て、夏油はかすかに目を見開いた。
「みんな、ごめん!! 電車乗り遅れちゃった」
 座敷に上がってきながら、手を合わせて謝る識を、こっちこっちと家入が呼ぶ。識はコートをハンガーにかけると、夏油の正面に座った。
「飲み物……の前に。髪、可愛いじゃん」
 ドリンクメニューを渡しながら言った家入に、識は、えーとはにかんで見せる。いつもは癖一つないストレートの髪が、今はふわりと巻かれて軽やかだ。
「巻いてきた?」
「うん、二時間かかった~」
 家入に向かって識がブイサインを出すと、五条がにんまりと意地悪く笑ってみせる。
「識、ぶきっちょだもんな。お粧しして遅刻してりゃ、世話ねえわ」
「なにさー難しいんだよ?! ちょいちょいちょいってすればいいだけのメンズには……あ、いや、そうでもないか……」
 ムキになって言い返そうとした識だが、長髪の夏油と目が合い、一瞬でその言葉を飲みこんだ。
 瞬間、どっと横から胸のあたりを肘でつつかれ、夏油はむせそうになる。
「な、傑!」
 無言のつっこみだけでなく、言葉でも促してくる五条に、夏油はハッとした。
 まじまじと彼女を見る。――巻いた髪も、いつもより気合を入れたアイメイクも、可愛らしい口紅の色も、そうして件のコートも。
「ああ。……よく似合ってる」
「っえ……あ、ありがと……。とととっ、強めのお酒がいいかな?!」
 夏油の言葉に、識は挙動不審になっていきなり話題を変える。
「あんた、酒弱いんだからダメ」
 すぐさま家入が却下を出すと、
「じゃ、コーラにでもしとく? すみませーん、コーラひとつ、」
 五条が自分と同じものを注文しようとし、
「コークハイ! コークハイ追加で! なるべく強く!!」
 識が無理矢理自我を押し通し、
「薄目で。この子弱いんで」
 しかし家入に完璧に阻止された。

 

 五条悟、夏油傑、家入硝子、そして秋月識。
 四人は同級生であり、かけがえのない仲間だった。ともに学び、ともに遊び、任務では背中を預け合った戦友でもある。
『私も、傑くんたちみたいに立派な術師になれるかな』
 体術訓練のあと、識が漏らした言葉は、いまだに夏油の胸に残っている。――術師として大成することを、彼女は望んでいたはずなのに。
 呪術界は、万年人手不足だ。
 長らく続く不景気や、多様化する社会と変容する価値観。そうして、不安定で変わりゆく社会や相次ぐ自然災害を背景に、人々の負の感情はとどまるところを知らない。
 それに伴い、呪霊の数は年々増加の一途を辿っている。その陰で暗躍する呪詛師もまた、同様に――。
 そうなると、しわ寄せが行くのはいつだって現場だ。
 術師はいくらいても足りない。だからこそ、呪霊を払える術式を持たない家入を除いて、本来なら識も現場で術師として活躍するのが筋だった。
 しかし、識の希少な術式を管理しようとする向きが、上層部にある。それが、彼女の術師としての活動を阻んでいるという現状がある。
 その理不尽さが、夏油傑には許せない。だからこそ、変えたいと思ったのだ。

 

「それにしても、悟くんが先生か~」
 感慨深い声を上げて識が言うと、五条は親指を立ててみせた。
「こんなグッドルッキングガイが担任とか、嬉しいっしょ?」
「女の子多いの?」
 無邪気な識の質問に、
「いや、ひとり。……しかも、キャーキャー言う感じじゃないな」
 五条はしらっと答えた。識は笑う。
「でも、ふざけてばっかりで授業になる?」
「なんでふざけてばっかりが前提なんだよ」
 唇をとがらせ気味に言う五条に、識はだって想像つかないもんと軽く返した。
「先生だったら、……それこそ、傑くんの方が向いてそう」
 そう言って識は夏油の方を向く。夏油は自分の名前が出たことに、軽く目を見開いた。
「そうかな」
「うん。だって傑くんは、私の呪力操作や近接格闘の先生だもん」
 はにかんだ識に、夏油も薄く笑う。――確かに、そんなこともあった。
「俺だって教えたろーが」
 そこに五条が割り込んでくると、
「悟くんは何言ってるか分かんなかったよ。硝子ちゃんの『ひゅーん、ひょい』と同じレベル」
 識の苦言に、隣で家入が笑う。
「でも五条は、自分には反転術式が使えるようになったね。ひゅーん、ひょいだったでしょ」
「まっ、そんなとこだな。識は修行が足りねえ」
 五条がフンッと鼻で笑うと、識は傑くん~と泣きついてきた。
「反転術式持ちは意地悪だねっ! 意地悪じゃないと使えないんじゃないかな!」
「そうかもしれない。呪力を反転させるんだから、清らかな心では持ちえないのかもしれないな」
 夏油が援護すると、家入はわざとらしくムッとした表情を作って、もう治してやんねーとうそぶいた。ご慈悲を~と識がしなだれかかる。抱き着いて戯れる友人に、家入は唇の端を緩めてみせた。
 そんな中、ふと――識の瞳が夏油に向く。
 不意に向けられると、ドキリとするのが彼女の目だ。因果を読み解く目。――それは、ひとの本質さえも見定めているかのよう。
 単純に、綺麗な目元だからというのもあろうが。
「傑くんだってそうだよ」
 識は、まっすぐに夏油を見ながら言った。
「まさか、外事室とは思わなかった」
「だね。夏油、政治とか腹の探り合いとか好きじゃないでしょ。外事室なんて、政治に膝までつかったような部署なのに」
 家入は同調するが、しかしその口調や表情には、どこかしら見透かしたような雰囲気がある。家入は続ける。
「なんで?」
 まるで、逃げることは許さないとでも言うような口調に、夏油は口をつぐんだ。ドキリと心臓が大きく跳ね上がったのを感じる。――家入は、否、五条も。きっと気づいている。夏油が政治に踏み込んだわけを。
「確かにそう~! ねえねえ、なんで?」
 識だけが、知らない。知らないだけに、無邪気なまでに知りたがる。
「……それは、」
 答えようとしたとき、夏油のスマートホンが静かに振動した。不意に視線を落とすと、画面には『室長補佐』の文字が。面倒なにおいをかぎ取って、夏油は一旦は黙殺した。
 しかし、いつまでたってもバイブレーションが止まない。
「すまない、ちょっと外す。みんなは飲んでてくれ」
 苦々しい気持ちで携帯を袖口に隠して席を立つと、逃げるのかーと家入のやる気のない声が飛ぶ。逃げる意味合いがあったのも事実だ。
 店の外に出ると、夏油はげんなりとした気持ちで電話に出た。

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