現代編 2 - 3/4

「で、どうなの」
 夏油が出て行ったあとすぐ、まずは家入がぶっこんだ。
「え?」
 いきなり問われた識は、目を丸くして親友を見つめる。目を瞬いて、きょとんとして。
 くるんと上がったまつ毛が、ぱちぱちと音を立てそう。アルコールのせいか、ちょっとだけ潤んだ瞳が、無自覚にしかし全力で信頼の情を向けてくる。
 この、疑うことを知らない目つき。――可愛いな、と家入は思う。術師にしておくには、ちょっともったいないくらいの真人間だ。
「付き合ってんの、って聞いてんの」
 直接的な言葉を出したのは、五条だった。
「えっっ」
 確定的な問いかけに、識はぎょっとし――それから、顔を赤く染めた。慌てふためきながら、手をバタバタと動かしてみせる。
「っっな、なん、なんなの二人とも?! え、つき、付き合うってそんな……えっ、だっだ、誰と、」
「傑以外に誰がいんの?」
 五条までもが参戦する。
 名前を聞いた瞬間、識はひゃーと裏声で悲鳴を上げた。
「研究室に箱詰めで、出会いなんてないでしょ。調べはついてる」
 だから吐け、と家入がずいと迫る。
 テーブルをはさんで五条も。
 同級生二人の圧に負けて、ひええ……と識は小さく鳴き、観念したようにうつむいた。
「……ないよ、そんなの。あるわけない」
「告白はまだ、と」
「告白なんて。……見てるだけで、いいもん」
 識が消え入りそうな声で言うと、ふたりは顔を見合わせた。そうしてそれぞれが、なんとも言えない――表情になる。それは、確信であり憐憫であり、鬱積でもある。
 そんな友人の反応には気付かず、識は指先をもじもじといじりながら言葉をつづけた。
「だって傑くんが忙しいの、分かってるから。……それに彼、真面目でしょ。もしかしたら思い悩ませちゃうかも。どんな風にフッたら傷つけないかとか……。そんなことで、煩わせたくなくて」
「いやお前、傑が識のこと、」
 五条が思わず言葉を挟みそうになるのを、正面から家入が膝のあたりを蹴って黙らせる。
 びくりと体を震わせた五条を不思議そうにしながらも、識は苦く笑ってみせた。
「っていうのは……建前で。えへへ。ぶっちゃけ、太刀打ちできる気がしないんだ。傑くん、ほんっとーにモテるじゃない? 周りに綺麗な人可愛い子、いっぱいいるんだもん。ただの同級生ってだけじゃ、ムリムリ」
 手を振ってみせる識に、家入は何かを言いかけて、飲んだ。
「……私は、識が一番可愛いと思うけど」
 ぽつりとこぼすと、識はそれを拾って目を輝かせる。
「硝子ちゃん好き♡」
 無理に明るく言って抱き着いた識に、家入は音にならない溜息を吐いた。そうして、バッグを漁る。
「ごめん。タバコ」
 シガレットケースを手に取ると、識は心得たように家入を解放する。――ケースの贈り主は、識だ。
 本数が減りますようにと、五本しか入らないものを選んでくれた。

 

 どうしてああなんだろう。
 家入は靴を履いて、通路を歩きながら心の底からそう思う。いつだってそうだ。――傍目にも、あんなに思い合ってるのが分かるのに、どうしてすれ違うんだか。
 不思議でならない。ふたりとも、超がつくほど真面目で誠実で、お互いがお互いを唯一無二の存在だと認識している。
 まるでガラス細工を大事にするように、あるいは、傷ついた小鳥を慰撫するように。ひどく儚く尊いものに接するような態度――だからこそ、心は一定の距離から近づかないのだろうか。
 店を出ると、ちょうど夏油が電話を終えたところだった。
「なに、仕事?」
 家入が問うと、夏油は苦笑を浮かべてみせた。
「ああ、ちょっとな。しかし呼び出しは回避した」
 褒めてくれとでも言うような態度に、家入も目元を細める。
「やるじゃん。あんたが行ったら、識、泣くよ」
 タバコに火をつけながら言った家入に、
「硝子も悟もいるだろう」
 夏油は返した。
「……それ、本気で言ってる?」
 家入が声を低くすると、夏油は何も言わない。出方を伺うように。それを感じて、――つくづくずるい男だと家入は思う。
 そう、他の人間に対してはこういうところがあるのに、識には誠実さしかみせない。自覚なしでやってるなら、もはや重症だ。家入は心底から呆れた。
「学生の時から通算十年、うじうじうじうじ。あの子も大概だと思ってたけど、原因はあんたの煮え切らない態度か。その気がないなら、さっさとあの子を解放してやれば」
「……なんのことだか」
 ややあってから夏油は静かに返す。
 しかし家入は、逃げ場を与えなかった。
「引導を渡せってこと。思わせぶりなんだよ、いちいち。態度も表情も、やることなすこと全部」
 家入はわざと副流煙を夏油に向けた。夏油は目を見開いて、愕然としてみせる。
「思わせぶりなんて、……。そんなこと、」
「ないとは言わせない。駄々洩れなんだよ、識に対する『好き』がさ」
 率直な言葉に、夏油は肩を揺すってさえみせる。その反応がおもしろくて、もう少しだけ揶揄ってやりたい気もしたが、家入はそれを抑え込んだ。
「ねえ夏油、気づいてる? あんた、識と話すときだけ声も表情も特別優しいんだよ」
 ずばっと切り込むような指摘に、夏油は言葉を失う。家入はさらに追い打ちをかけた。
「でもね、あの子はそれだけじゃ気づかない。傑くんは誰にでも優しいから、で終わり。そこに特別な感情があるなんて、微塵も思わない」
 そもそも――家入は思う。
 秋月識は自己評価が低い。それが後天的に培われてしまったものであることを、家入は知っている。
 高専入学当初は、そうではなかったのだ。しかし彼女の持つ術式の特異性と、その扱いの難しさ、……そうして取り巻く窮屈な環境が、卑屈な感情を植え付けた。
 夏油傑が、それをどうにかしたいと思って動いていることも、分かっている。どれほど強い思いに裏打ちされているのかも。……だからこそ、思うのだ。
 どこか気まずい表情でいる夏油に、家入はまっすぐな視線を向けた。
「思ってるだけじゃ届かない。うかうかしてると、変なのにかっさらわれるよ。あの子、押しに弱いから。そうでなくとも、……希少な術式なんだから。変なところに目ェつけられたら、血筋を残すためだけに、」
「硝子、」
 食い気味に夏油が口を挟んだ。「……それ以上はやめてくれ」
 静かな瞳だが、しかしそこには、怖いほどの激情が滲んでいる。もしも「それ以上」が起きてしまえば、特級呪術師は特級呪詛師にジョブチェンジするだろう。
 そうして、それは家入にも五条にも、誰にも止められない。
 いい目するじゃん。
 家入は口に出さずに呟いた。そこに虚勢がないとは言い切れない。――事実、夏油の目は怖かった。
「そんなこと、絶対にさせない。……しかし、なかなかどうして」
 冷酷な口調が、一変する。「同級生の言葉というのはキツイね」
 苦笑交じりの言葉に、家入は目を丸くし、ついで声を上げて笑った。
「外事室の副室長ともなれば、キツイこと言う人間も少ないでしょ」
「そうだな。忠告は心して聞くさ」
「で、どうする?」
 唐突な家入の言葉に、夏油は疑問符を並べた。

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