現代編 4 - 3/5

 深夜二時。識の業務用の端末に、短いメッセージが届く。

『研究予定の変更について』

明日(■/■)の術式解析に関し、以下の通り日程および内容の調整が入りましたのでご確認ください。

――――
■変更点
・測定項目の追加(呪力代謝モニタリング、反応時間評価)
・実験開始時刻前倒し(9:00 → 7:30)
・終了予定時刻の未定化
・担当研究員の一部入れ替え

 ……中略……

・体調が万全であること
・必要があれば宿泊室の利用も可能であることをご留意ください。

なお、詳細の説明は当日現地にて行います。
何卒ご協力のほどよろしくお願いいたします。

――
研究棟・術式解析班

 アルコールのせいか、ぼんやりと目を覚ました識は無意識に携帯を手に取って文面を流し読みする。
「なんかめんどくさー……」
 小さく呟き、携帯を枕元に放り投げる。
 瞬間、何かが脳内でズキンとうずく。――黒い靄と、なんらかの予兆。
 二度寝しようと思ったのに、変に目が冴えてしまう。
 妙な胸騒ぎを覚えて、個人用の携帯端末を手に取る。画面が光ると、ロック画面に未読のメッセージが数件。家入、五条、……それから夏油。
 家入と五条からは、途中で抜けたことに関する謝罪(五条からは『今お楽しみ中~? どうなったか根掘り葉掘り聞かせてね♡』という下世話な確認)が。夏油からは――今日の感想とお礼、温かくして寝るようにという優しい言葉。
 それだけで胸があたたかくなり、それだけで飽き足らず、ぎゅっと奥底が締め付けられるような感覚に包まれる。
「……がんばろ」
 そっと既読をつけて、それぞれに返信を送る。
 夏油への返信だけ、倍以上の時間がかかったのはいうまでもない。
 ――一瞬感じたノイズについては、つとめて忘れることにした。

 

 休日明け。
 実験の日程変更に伴い、無駄に早起きした識は、普段よりもかなり早めに出勤した。
 ゲートの前でセンサーにICリストバンドをかざすが、何度もエラーになる。
「あれー? バーコード薄れたかな? 磁器とんだ?」
 ぶつぶつ言いながら、インターホンで管理者へ連絡する。ほどなくして当直の管理者が走ってきた。
「すみませ~ん。休日中に機器の入れ替えがありまして、それで」
「そうだったんですね」
 この場合、もっと上の技術管理者まで連絡すべきか。そう思ったとき、また別の人間が走ってきた。白衣姿の、若手研究員のひとりだった。
「秋月さんすみません! リストバンド、更新です」
 そう言って、若手研究員は新しいリストバンドを提示した。元のリストバンドより色の濃い、少し分厚いもの。うっすらとバーコードと識別番号が見える。
 黙って左の手首を差し出すと、研究員はそれを外し、新しいものと付け替えた。どこか硬質で重い、二重のロック構造。つけた瞬間――今までにない感覚が手首から広がる。
 重さはさほど変わらない。材質はもっと丈夫になったという印象がある。しかし従来にない――冷たく異質な感覚。
「これ……なんか、今までのと違いますね」
 識は首をひねりながらリストバンドに触れる。肌馴染みが悪いということはないのに、どうにも違和感が強い。
「センサーが変わったので。私たちも一新したんですよ」
 そう言って研究員が示したリストバンドも、素材自体は同じものだ。色は違う。――これは以前から同じだ。識は、研究員でありながら『被験者』でもある。その違いが色に反映されている。
「今度のセンサーは、生体データのリアルタイム同期が早くて、エラー補正が自動なんですよ。心拍とか微弱電流の乱れでも判定しちゃう旧式と違って、『個体識別のズレを起こさない』 のが売りらしくて」
 研究員は興奮気味にペラペラと話す。
「あー……なるほど。精度が上がったんですね?」
 が、識に至っては詳細まではピンとこないでいる。しかしそれに気づかず、研究員は最新のテクノロジーにお熱だ。
 話半分に、識は相槌を打ちながらリストバンドをセンサーに近づけた。認証が済むとゲートが開く。
「あ、あと。皮膚下の水分量とか微細な電位変化に反応するらしくて、気温の変化や汗でも誤作動しないらしいです。ぶっちゃけると、なんだか私も最初は使うのが怖かったんですけどね」
「ですねー」
「まあ、セキュリティ強化の一環らしくて。現場は大変ですけど……」
 建物の中へと入ると、数人の作業服姿の男性がいるのが目に留まる。業者と思しき男性陣は、重そうな段ボールの箱をカートに乗せてよどみなく進んでいく。段ボールには、『精密機器』の文字。
「新しい機材ですか?」
 識が目ざとく気づいて研究員に聞くと、そうなんです! と研究員はまた得意げに語りだす。
「今回の実験、解析の精度を上げるために、『リアルタイム干渉測定装置』っていうのが増設されたんですよ。呪力の揺らぎとか、反応の遅延とかを秒単位で拾えるやつで……」
「へぇ〜そんなのあるんですね」
「はい。干渉した瞬間の『因果の偏差』をより細かく記録できるらしくて。秋月さんみたいに、反応パターンが複雑な術式の人だとデータ量が尋常じゃないから、旧式じゃ処理落ちするって、主任がずっと文句言ってたんですよ」
「処理落ち……。なんかゲームみたいですね」
「ほんとそれです。でも今回の新機材は、負荷分散の自動化もできるそうなので……。秋月さんの疲労も、多少は軽くなるはずですよ!」
「……だといいなぁ」
「あと、これは僕らもよく分かってないんですけど……。『長時間測定を前提にした構造』になってるらしくて。冷却系統がやけに立派なんですよね。そんなに連続稼働する必要ある? て感じなんですけど」
 明るく言った研究員に、識はちょっとだけ顔をしかめる。
「え〜、こわ。そんな長くやるつもりなのかな。やだな」
「いやいや、さすがにそれは無いですよ! 主任も『今回は短時間で済ませる』って言ってましたし。あ、これ言わない方がよかったかな……。あ、じゃあこの辺で」
 そうしたときロッカールームにまで行きつき、研究員と別れる。リストバンドをかざすと、センサーが認証し、ドアロックが解除される。
「……なんか今日、線が汚いな」
 足元に、無数の線が見える。――ほかの人間には見えない、秋月識にのみ視認できる、因果の線。
 自身からそれ以外へ、それ以外からそれ以外へ無数に伸びる線は、いつもより複雑で、いつもよりよどんで汚く見える。
 そうしたとき、夜中に感じた違和感を思い出す。
 こういった直感レベルの予兆が、いままで外れた経験というのが残念ながらない。にわかに不安が噴き出して、着替えようとした識の手が止まる。
 漠然とした不安と恐怖。その源が、たった今しがた装着されたばかりのリストバンドに集約されている。手首にまとわりつく、黒い線。黒は――悪意や凶兆と結びついている。
 ここに居てはいけない。
 魂レベルの警鐘が聞こえた気がする。それに伴い、ドキドキと心臓も早鐘を打つ。怖い、それなのに理由がつかめない。不安だけが募っていく。
 逃げたい。
 そう思った瞬間、ポケットに入れていた携帯のバイブレーションが作動する。はっとして手に取ると、ロック画面には『夏油傑』の文字。
『おはよう。
実験の内容が一部変更されるという通達があった。
拘束時間も長くなりそうだが、無理はせずに。
体調に異変があればすぐに言うこと。
なにかあればすぐに向かう。』
 端的だが、言葉の端々にあたたかみと優しさを感じる、いつもの文面。夏油傑というものをまっすぐに表した言の葉に、識は心の底から安堵した。
 外事室にも共有されているというなら、きっと、想像しているような恐ろしい事態にはならないはず。
 携帯端末を抱きしめるように両手で包み込むと、識はしばらくそのまま立ち尽くした。
 きっと、大丈夫。なにかあれば、彼がすぐに駆け付けてくれる。
 今までもそうだったように、これからも。
 不安も恐怖もゼロにはならない。何もかもかなぐり捨てて逃げ出したい。それほどまでに、怖い。
 けれども――夏油がいるなら、それですべてが大丈夫だと思えた。思いたかった。
 正体不明の恐怖と焦燥。それらすべてを飲み込んで、識は白衣に袖を通した。

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