明石と十一の曖昧な関係は、その後も続いていった。
進級すると奇跡的にふたりは同じクラスになり、しかも名簿順では男子の一番と女子の一番で席まで隣同士。
これはもういよいよ、乙女座……ではないものの、明石国行はセンチメンタルな運命を感じずにはいられなかった。
和泉守十一の朝は早い。遠くの学区から通っている彼女は、混雑を避けるために早めの電車で来るそうで、朝の登校はクラスでも大体一番乗りらしい。
明石は本来、低血圧で朝は弱く登校するぎりっぎりの時間まで眠っていたいタイプの人間だったが――そんな事情を知ったとなると、もう少しはよ起きてみよか……となるのだった。
「おはよーさん」
「あれ、明石」
珍しく早い時間に登校した明石を認めると、席について勉強をしていた十一が顔を上げて目を丸くした。
「おはよ。どうしたの、今日早いね? 天変地異の前触れ?」
「なんでやねん。たまには早起きすることもあるんですぅ」
なんてことをうそぶきながら、ちらりと彼女を盗み見る。十一は数学の参考書とノートを開いて自学していた。
「え、こんな朝はよから勉強? 自分は予習し忘れたんです?」
ちょっとおちょくってやろうくらいの気持ちで言ってのけると、
「んなわけないでしょ。家でも勉強して、学校でも勉強すんのよ。予備校通ってないうちは、自分でもこれくらいやらないと」
まさかの優等生まっしぐらな返答だった。
確かに和泉守十一、この新しいクラスでも昨年度から引き続き『優等生』で通っている。顔ヨシ、成績ヨシ、運動神経も抜群。性格は……ゴリゴリのオタクであることを抜きにすれば、他人に興味がないために(いい意味でも悪い意味でも)分け隔てがなく、姉御キャラとして慕われる存在だ。
対して明石は――。
そんなことを考えると、彼女にならってロッカーからそっと参考書を引っ張り出し、勉強に勤しんだものだった。
「おー、明石。久しぶりだな」
移動教室のさなか、よく知った声を聴いて明石は立ち止る。
決して低身長なわけではない明石をして見上げるほどの長身の持ち主は、御手杵だった。
「御手杵はん。どーもお元気そうで」
「俺はいつでも元気だよ。明石も元気そうだな。ってそういえば、お前どうしちまったんだよ? 遅刻常習だった明石が朝早く登校してるとか、放課後も残って勉強してるとか。篭手切は知った風な顔でなにも教えてくれねえし、村正は裸祭りとかわけわかんねえこと言ってるし」
裸祭りってなんやねん。思わず突っ込みかけたが、それ以上に、自分の行動が自分の知らぬところで噂になっている気まずさに辟易する。
「……みなさん噂話がお好きなことで」
「さえない顔だな。なんか悩みでもあんのか?」
――解決することを期待したわけではない。ただ、誰かに打ち明けたかっただけというか。
その日、明石は御手杵と篭手切を誘って少し遠めのファストフード店に繰り出した。少し遠めというのが味噌で、見知った人間に会話を聞かれるのを防ぐ意味合いがあった。
「どうもすいまっせん……。自分のためにわざわざ来ていただいて」
急遽呼び出された篭手切はしかし、いえいえ! と眩しい笑顔を振りまいた。
ただ話すだけなら御手杵だけでもよかったが、ほんの少しだけ助言らしいものが欲しい気持ちもあって、篭手切も呼んだというわけだった。
「御手杵はん、去年のその……。自分が御手杵はんの代打で合コンに出たこと、覚えてはります?」
明石の問いに、さっそくでっかいハンバーガーを頬張っていた御手杵は、おーと口を閉じたまま声だけ上げてうなずいた。咀嚼して飲み込むと、そういやそんなことあったな、と返ってくる。
「あのときは助かったぜ。でも大変だったろ? 明石、ああいうノリ苦手だもんな」
「いや……。それがその……」
「どうした?」
ふたりのやり取りを、篭手切はにこにこしながら聞いている。どうにもやりづらいが、ここは辛抱だ。
「……そこで知り合った……。と……和泉守はんと、仲良うなりましてん」
「へー。……和泉守って、あー。あの髪が長い子か。そういえば、あの子も来るって話だったか。意外だな、明石はああいうタイプの子は苦手だと思ってたのに」
「それが……。自分も驚くほどのどオタクで」
「へー! 人は見かけによらねえな。よかったな、付き合ってんのか?」
「っ……」
あまりにも率直すぎる御手杵の言に、危うくオレンジジュースを吹き出しかけた明石である。大丈夫ですか、とすかさず篭手切が明石の背中を叩いてなだめる。
ひとしきりむせた後、
「問題は、そこですわ」
明石は頭を抱えながら吐き出した。
「……彼女が自分のことどう思うてはるのか、いっこうに読めへんのですわ」
「ふーん?」
御手杵、急にトーンダウンした。明らかに、これは俺の領分じゃねえなと理解した雰囲気だった。
そうするとここから、篭手切江のターン。
「朝に夕に、お二人の仲睦まじい噂は聞き及んでいますから。てっきりもうお付き合いされているものかと思っていたけど、違ったんですね」
「ここここ……告白、とか、してへんし。……変わったのは、自分の成績が上がったことくらいや……」
朝早く登校すれば、彼女が勉強している。その横で手持無沙汰にするのもなんだから、明石もまた同様に勉強をする。
放課後だってそうだ。本当は残って勉強などしたくないが、彼女が残るし――それに、勉強が終わったあとに「小腹が空いたよね」なんて言って買い食いしたりする(そしてオタトーーークをする)、その流れが最高なのだからやめられない。
その結果、下の中くらいだった明石の成績は一気に伸び、二者面談では「お前どうした?」と言われるほどになった。
また、十一と接するうちにその他の女子に対する警戒心も薄れた結果、ほんのりと人当たりが良くなったらしく、飛躍的に明石の女子人気が上がったという事実も存在する。(これに関して当人は無自覚であるが)
「彼女に影響されて勉強するようになった結果、ですね。素晴らしい、愛ですね愛」
「茶化さんといてえな。ほんまに困ってるんやで」
「ごめんなさい。でも、関係性を発展させたいなら明石さんの気持ちを正直に打ち明けるほかないと思いますよ」
「っそんなこと、出来たらやってますぅ。それがでけへんのが問題なんやないかい……」
「いない歴=の明石さんには難しいですよね。しかも一歩間違えると、これまでの関係性まで崩れてしまう可能性が大ですから」
「怖いこと言わんといてーな!」
「どうやら私が仕入れた情報によると、」
篭手切は眼鏡をくいっと押し上げてできるデータキャラを演出してみせる。一体いつそんな情報仕入れたんだと思わなくもないが、少なくともこの場で一番の情報通だろう彼に頼るしかないのは事実だ。
「和泉守十一さん、今年に入ってから上級生、下級生含め三人の男子生徒から告白されたそうです」
「いつの間に……」
驚愕する明石のとなりで、
「思ったよりすくねーのな」
御手杵がのほほんと呟いた。
然り。篭手切が頷く。
「高身長美人の上に優等生ですから、高嶺の花が過ぎるということでしょうね。ちなみに昨年度は八人。いずれもすべて悉く断っているそうで。今でこそ明石さんと付き合ってる説がありますが、その前も、他校に彼氏いる説が流れていたくらいです」
「……実は?」
「残念ながらそこまでは。しかしここで、ひとつ興味深い情報を入手しました」
「な、なんですの」
「和泉守さん、三姉弟の末っ子なんですって。正確には姉と、双子の兄がいるそうで」
一体それがどう興味深いのか。明石はなんだなんだとハラハラしながら聞いている。
情報通・篭手切はかく語りき――。
「お姉さんもお兄さんも、地元では名前を知らない人間がいないくらい有名らしいですよ。お姉さんは身長一八〇に近い長身の美人で、文武両道、中学・高校と生徒会長を務めた人望の持ち主。全国模試で何位に入ったとか、剣道では部を全国制覇に導いたとか」
「ま、漫画ですやん……」
「で、お兄さんの方もすごいんです。こっちは身長一八〇越えのモデル体型で、学業はアレだけど運動神経抜群。お姉さんと武功を競い合うように切磋琢磨し合い、すでに剣道部期待のホープとして名高い存在。すごいのは剣道だけでなく、助っ人で出た野球の地区予選で見事勝利に貢献したりと伝説があるみたいで。とにかく愛嬌のある闊達な快男児で、老若男女問わず絶大な人気を誇るそうですよ」
「いや漫画」
「そんな三姉弟の近所に、まるで王子様みたいに立ち振る舞い完璧な世話焼きの幼馴染がいるという噂まで聞きました」
「もうなんもつっこまへん」
そもそも十一本人が高嶺の花だというのに、さらにその上がおったんかい。どこからどう見ても少女漫画の設定みたいな彼女の身辺に、明石は口を噤むしかなかった。
「そして、ここからが私の考えた仮説なのですが、」
篭手切はここからが本番とばかりにずいと顔を寄せ、切り出そうとする。
「和泉守さんの恋愛遍歴が、まるっと謎に包まれているということの実態に迫ると。思うに、明石さんと同じなのではないでしょうか」
「オタク過ぎて2ch脳こじらせたのか?」
悪気なく言うのは御手杵である。
「そうではありません」
篭手切は御手杵の推測をばっさりと切り捨てて、自身の仮説とやらを披露した。
「つまり、明石さんと同じで恋愛経験自体に乏しいものと推測します。理由については分かりませんが……理想が高すぎるとか? まあ、こんなにハイスペックの兄姉と幼馴染に囲まれては、理想が高くなっても致し方ないでしょうが」
「だったらなおさら明石に勝ち目あるか?」
やはり悪気なく御手杵が言う。悪気がなければ許されるというものではない。
ズーンと分かりやすく打ちのめされる明石を前に、篭手切は若干渋い顔付きでどうでしょう、と唸る。そこは嘘でもあるって言ってほしい。明石の繊細な男心は一〇〇のダメージを受けた。
真っ白になって今にも風化しようとする明石に、灰になってる場合じゃありませんよ、と篭手切は叱咤激励を飛ばす。
「何にも染まっていないということは、これから何にでも染められるということです。時は今、ですよ明石さん。幸い、明石さんが彼氏と思われている現状、和泉守さんに粉をかけようとする輩は皆無です。なにはどうあれ明石さんはイケメン枠なんですから、そんじょそこらの男に負けるわけありません」
「でも彼女、美形は見慣れてんじゃねえのか?」
「それはそうです。しかし、普通のイケメンにはなくて明石さんにだけあるものがあるでしょう」
「眼鏡か?」
「彼女と似通ったオタク趣味ですよ」
篭手切はこの際御手杵を完全無視して明石だけに向き直り、言い切った。
「友達として距離を詰めつつ、自身を異性と認識させる。彼女いない歴=の明石さんには難しいかもしれませんが、これをやってのけなければ勝ち筋は見えてきませんよ。明石さん、和泉守さんとどうなりたいんですか」
いっそのこと熱血なノリで煽られて、明石もついつい、
「つ……付き合いたい!」
乗ってしまう。
よしきた! 篭手切は興奮気味にテーブルをたたいたかと思えば、――すっとその興奮を収め、テーブルの上に両肘をついて手を組み、鼻のあたりに当てた。なぜだか眼鏡のレンズが異様に反射し、目元が見えなくなる効果付きだ。
「そういうことなら、明石さんには立ち振る舞いを覚えてもらわなければならないようです」
「立ち振る舞い……ですか」
「友達だと思ってたアイツの意外な男っぽい姿にドキッ! とさせる魅惑のテクニックです」
「すげえな篭手切。言ってて恥ずかしくねーのか」
御手杵がひどくまっとうなつっこみを淹れると、篭手切は見たこともないくらい怖い顔を見せて、
「御手杵さん黙って! 明石さんは今、次なるステップに進もうとしてるんです。多少恥ずかしかろうと恥辱にまみれようと、超えてみせなければならない試練なんです!」
え、そんな恥ずかしいことさせられるん……?
明石は青ざめた。
「あ、いや自分は……」
「明石さん! ことは一刻を争いますよ⁈ 和泉守さんみたいな女性がいつまでも売れ残っているはずないでしょう‼ ぼやぼやしてたら、ぽっと出の男にかっさらわれるかもしれませんよ、それでもいいんですか‼」
「まあ、可能性として大いにありうるよな。ただでさえ電車で遠いところから通ってんだろ? 通学の間に目ェつけてる男もいるかもだし、これから予備校とかに通いだしたらさらに出会いも増えるだろうしな。大変だなー、明石」
まさかの御手杵から示唆された現実的な可能性に、明石は驚愕した。
「……せ、せめて誰にも見えへんところ……カラオケにでも……」
「臨むところです!」
「なんか面白そうだな。村正も呼ぶか」
勇気を出して提案した明石に、篭手切は掌にこぶしをうちつけてやる気を示し、御手杵は純粋に面白がった。
「呼ばんでええ‼」
そうして、篭手切江による魅惑のテクニック講座が始まる――。
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