さんざっぱら篭手切からレクチャーしてもらったものの、明石は十一の前で結局なにひとつ披露せずに日々が過ぎて行った。
気づけば夏も終わって秋が近づき、生徒たちは学園祭の準備に取り掛かっていた。
特に二学年生の学祭にかける意気込みは並々ならぬものがあり、明石達のクラスも同様に皆々が燃えていた。三年生にもなれば受験で忙しく学園祭はほぼノータッチとなるため、最後の学祭とばかりに打ち込むものが多かったのだ。
明石のクラスでは、巨大モザイクアートとチュロスのお店を出展することとなっている。
チュロスの方は、家庭科部所属のクラスメイトが作った可愛い制服を着て売り子をすることになっているが――明石が一番制服を着てほしかった十一は、モザイクアートのリーダーに手を挙げ、抽選であぶれた者たちを引っ張ったものだ(パパっと設計図を作ってしまった手腕もまた見事だった)。
夏休みから始まったモザイクアートづくりも、もうそろそろ終わりを迎える。忙しい部活動生たちに代わって放課後に頑張るのは、明石ら帰宅部の面々だった。
机を脇に寄せて、それぞれが散らばって厳密に区枠分けされた発泡スチロールに、指示の通りに爪楊枝を刺していく。
この日は特に参加者が少なく、陽が落ちる頃になると教室に残っているのは明石と十一の二人きりになってしまった。
もしかしてもしかすると、これって千載一遇のチャンス……?
明石はひとりそう考えて悶々とする。今こそ篭手切の教えを実践するときか。いやしかしそんな勇気は……。もだもだとしていると、
「もうそろそろ、終わるね」
十一がぽつりとつぶやいた。思わずそちらの方を振り向いて、明石はぎょっと息をのんだ。
その声色、横顔がなぜだかとてつもなく寂しく物悲しく見えたから。しばし息をするのも忘れて見とれてしまったほどに。
「十一はんのリーダーシップのおかげで、なにひとつ揉めることなく終わりそうですな。さすがやで」
「褒めてもなにも出ないけど」
「でも実際そうですやん。設計図から割り振りまでぜーんぶ一人でこなしてもうて、自分ら染めて刺しただけや」
「それこそ私一人じゃできないし、……実際、設計図や割り振りは、姉に手伝ってもらったしね」
姉。――そういえば、ウルトラハイスペックな姉がいる(そして兄も)という話は篭手切から聞かされていた。
しかし明石は素知らぬ口で、お姉さんいてはるんと食いついてみせる。
「十一はんのお姉さんなら、やっぱりハイスペックなんやろな」
「私なんて足元にもおよばねーわ。美人だし、頭いいし、身長高いし、剣道……どころか大学で始めたフェンシングでも期待されてるし。オタクは姉からの影響なんだけど、姉は界隈でも有名人だしね」
どこか暗い口調で言った十一に、明石はかすかに目を見開いた。まさか姉と不仲なのだろうか。否、そんな風には聞こえなかったが。しかしなにか引っかかる物言いに、一体なんだと明石はハラハラする。
「お姉さんと二人姉妹なん?」
「実は双子の兄もいる。こいつもまーまーハイスペックよ。成績は私の方がいいんだけど、あいつは字頭がいい。私くらい勉強すれば多分楽に抜いていくんだと思う。愛嬌もあるしね、嫌味がなくて誰からも好かれる。そんな奴よ」
「……仲、悪いんです?」
思わず口をついて出てしまった質問に、彼女は微苦笑を浮かべてかぶりを振った。
「いんや。そりゃ、双子の方とは毎日蹴り合ってるけど、嫌い合ってるわけじゃない。姉のことは大好きだし、尊敬してる。でもさー。なんていうか」
そこで言葉を止めて、彼女はぼんやりと虚空を仰いだ。
しばし沈黙が流れる。
「……なんていうか?」
沈黙に耐えきれず明石が復唱すると、十一はへらっと笑ってみせた。
「私、小さい頃は姉や兄に守られて引っ込み思案の冴えない子どもだったのよ。んで昔々、法事の席だったかな。親戚から『上二人の出涸らし』って言われてるのを聞いちゃってさ」
え、殺そか? 明石は名前も顔も知らない彼女の親戚に、ストレートな殺意を抱いた。十一はんが出涸らしなら、お前らは産廃じゃボケ。死ねばよろし。
殺意をみなぎらせる明石の横で、十一はつづけた。
「でもそれがいやだったから、ふたりに負けないようにって頑張ったの。勉強も、運動も。人前に立つのだってね。だけど、どう頑張っても姉ほどいい成績は取れないし、兼定……双子なんだけど、こいつほど人から好かれる才能もなくて。上二人と同じく剣道もやってたんだけど、小学生にして練習のし過ぎで疲労骨折しちゃって。向いてねーなって思ってやめたの」
うまくいかない、と彼女は言う。
そんな十一の寂しげなたたずまいを見て、明石は己の愚かさを自覚して死にたくなった。――ハイスペックな兄姉に囲まれ理想が高くなったとか、それが原因で恋愛経験が足りてないとか。問題はそんな単純なものではなさそうだ。
明石には兄弟がいない。年の離れた従弟はいるが、だいぶん離れているから比較されたことは一度もなく、彼女のような思いをしたことが皆無だった。
だからこそ、かける言葉がない。なにひとつ考え付かない。
凍り付いたように沈黙するしかできない明石を察したのか、十一はごめんごめんと軽く詫びた。
「これが終わったら受験近づくなー、大学入試でもプレッシャーかけられるのかなーって思ったら、気が滅入っちゃって。ごめん、本当につまらない話をしたよ。忘れて」
そんなことない、ほかでもないあんたが一番素敵や。あんたがええんや。
とでも言えたならよかったのかもしれないが、生憎と明石にはそんな勇気もすけこましスキルもない。
十一はんもいろいろ大変なんやなぁ……。
と思い直すとともに、
守ってあげたい……。
という淡い思いが、明石の中に芽生えた瞬間でもあった。そしてそれは二度目の恋心。
「またきみ~に~恋してる~……」
明石は帰りしな、切なさ満載の歌詞を口ずさみ、胸を掻きむしられる思いがしたのだった。
つづく
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