夏油傑離反回避ルートに入ります。 -7- - 2/3

 といって、私もしぶとい。完全にあきらめたわけではなかった。
 泣き腫らした目で登場した私に、岩清水さんはだいぶん心配してくれたが――いやもう、覚悟はとっくに完了している。
 最短で済ませて高専へ戻ろう。そう画策する私は、これ以上なく燃えていた。
 そう、普通の調査であれば――半月やひと月かかるかもしれない。しかしこの因果律を観測する目。私にはこれがあるのだから、調査にかかる時間は、大幅に短縮できるはず。
 あとは、最短で呪霊の祓除を済ませるだけ。
 しかし、これが大誤算だった。
 いわくつきの土地に、いわくつきの呪霊。……問題の成り立ちも、起こりうる未来も、対処方法も。すべて分かる。すべて見える。しかし――。

「マヨイガ……厄介だ……」

 牧歌的な風景を前に、私は座り込んだ。
 任務概要は、以下の通りだ。
 岩手県のとある山間部、山菜取りや林業関係者の行方不明が断続的に発生。
 事件が起きた際の共通項目は、単独行動・天候良好・地図や無線ともに問題なし・遺体はなく痕跡もほぼないという点。
 高専の判断としては、高く見積もって中級呪霊の可能性だが、調査次第では準一級認定あり。……だから、私が行くことになった。
 行方不明の頻発する地点から山へと分け入ると、すぐに正体が分かった。
 マヨイガ。さすがはこの地方らしい呪霊だ。
 突如として山の中に現れる「家」。いかにも田舎の大きな屋敷で、誰もいない。しかし妙に居心地がいい。人の気配があるのに、誰もいない。
 生還者もいる。彼らは口々にこう言うそうだ。

『(マヨイガは)怖くなかった。むしろ落ち着いた』
『帰ろうと思ったのに、なぜか足が動かなかった』

 因果律の線に『潜った』結果、分かった。むしろ、この術式なしでは、絶対に判明しないものだったとも言える。
 呪霊の正体は、土地でも祠でも呪物でもなんでもない――状況が作り出したものだった。
 疲れたから、少し休もうと思った。
 霧が出たから、晴れるまで待機しようと思った。
 ――引き返せば、助かるのに。あえてその選択をせず、先延ばしにした。結果として帰ることができずに、死亡した。
 あの時引き返していれば。判断を誤った。そうした後悔や自責の念が積み重なり、呪霊化したものだ。
 自殺者や他殺者、様々な怨念から生まれる呪霊とは全く異なる、初めて見るタイプの呪霊だ。
 だから、呪霊は一定の場所にとどまらない。
 この山に根を張っているわけでも、祠に縛られているわけでもない。
 ――正確には、「留まる」という選択を、常に先送りにし続けている。
 人が道に迷うのではない。迷うべき地点で、引き返すという判断を、しないだけだ。
 因果律の線をなぞると、それがよく分かる。
 この呪霊は、何かを「引き寄せて」はいない。足を止めた人間に対して、「まだ大丈夫だ」と囁き続けているだけだ。
 霧は、すぐ晴れるはずだった。
 体力も、まだ残っていた。
 日没まで、時間はあった。
 ――帰れると思った。もう少し休んでから、動こうと思った。
 どれも、間違いではない。どれも合理的だ。だからこそ、人は立ち止まる。
 この呪霊が生まれるのは、そこから先だ。
 引き返さなかった結果、帰れなくなったと理解した瞬間。選ばなかったという事実が、選択だったと気づいたとき。
 その遅れが、後悔に変わる。
 ――あの時、戻っていれば。
 ――判断を誤った。
 その思考が、呪力として残る。強い怨みでも、怒りでもない。
 ただ、「終わらなかった判断」だけが、山の中を彷徨い続ける。
 マヨイガは、人を襲わない。呪霊自身にも、明確な悪意はない。
 それでも人は死ぬ。
 判断を保留したまま、時間を失い、体力を失い、最後には――選ぶ力そのものを失う。
 居心地がいいのは、そのためだ。
 ここにいれば、決めなくていい。動かなくていい。今すぐ結論を出さなくても、責められない。
 この呪霊は、人を襲わない。
 だからこそ、人は死ぬ。「殺す」のではなく、決断を奪うのだ。

「……どうやって払うんだ、これ」

 その対策が、一向に思い浮かばなかった。
 出くわしたマヨイガは、まったく弱い手応えのない「線」をしていた。これを払ったところで、なにも問題は解決しない。
 これを払っても、また別の誰かが「引き返さない」判断をする状況が発生すれば、別のマヨイガが出現し、取り込んでしまう。
 かといって――。
 この呪霊が発生する大本、判断遅延を生む線――これは生死を分ける線だから、ここを断ち切るとなると、その代償はどストレートに「死」だ。
 のどかな、田舎の、大きな屋敷。私はそこへと足を踏み入れる。
 人の気配が、ある。けれども誰もいない。畳のにおい、土間の香り、作り立ての食事が膳に乗っていて美味しいそう。……とても、居心地がいい。
 畳の上に寝ころんで、目を閉じた。
 そっと腰に手を伸ばし、短刀を鞘から払う。脆い「線」をすっと切ると、ぐにゃりと空間が歪んで――泣き出しそうな空が、視界いっぱいに広がった。
 結局。……どう転んだって覆せないことが、世の中にはある。
 むっくりと体を起こして、私は山を下りた。

 出張に来て、半月後のことだった。
 夏油傑から、電話が入ったのは。もしかしてなにか起きたのかと、泡を食って携帯を取ると。

『今、沖縄にいるんだ』

 彼は穏やかな声でそう告げた。――沖縄。これで、はっきりと概要がつかめた。
 ならば――。震えそうになる声を、懸命に飲み込んで。相槌を打った。

「いいね。青い海、青い空。こっちはなんか、どんよりした空だよ」
『岩手だったね。任務の方はどう?』
「……全然。ちょっと特殊な呪霊で、解決に時間がかかりそう」

 きっと、高専に帰り着くころには――。
 ぐっとこぶしを握り締めて、心を静める。気取られるな。

『難しい任務なんだね。こっちは明日、高専に戻るよ』
「そっか。……夏油君、」

 今は、辛くなんてないよね。きっと。でもこの後。

『……雪名?』
「いや、ちょっとホームシック。高専が懐かしくて」
『意外とそういうところ、繊細だよね。硝子が待ってるよ』
「うん、……早く帰りたい。夏油君、……頑張ってね」
『ああ。雪名も』

 本当に、他愛のないやり取りだった。
 電話を切ったあと、嗚咽が漏れるほど泣いた。
 なんでこんなに、息が苦しいんだろう。
 ――けれども、腹は決まった。
 一応、第二、第三の策はぼやっと練ってある。あとはそれに賭けるばかりだ。

 そうして。
 最高に冴えた――とは全く言い難い、泥臭い対策を考え突いたのは、本当に、きっかりその半月後だった。

 無論、高専では星漿体護衛の任務に失敗し――
 私が戻った頃、五条悟は現代最強の呪術師として覚醒し、その隣で夏油傑は。
 明らかに、「線」の色を濁らせていた。

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