夏油傑離反回避ルートに入ります。 -7- - 3/3

 任務の報告書を閲覧し、そのすべてを確認した。私が知らないことも、知っていることも、すべてはそこにあって。
 自分があの場にいれば、なんてことはもう考えない。考えたって仕方ない、タラレバを考えたところで状況が良くなるわけでもなし。
 感傷は心の奥底に沈めて、次なる策に打って出るほかなかった。
 あと一年。――絶対に、これだけは外さない。そう、心に誓って。

 私は連休を利用して地元へと戻り、叔父の営む探偵事務所を訪れた。挨拶もそこそこに、応接スペースに用意されたお茶を無視して、叔父を会議室へと呼び出す。
 すすめられた椅子に座るの持たずして、机の上に封筒を置く。叔父は何も言わずにそれを受け取り、中を改めた。じっくりと目を通している間、私は向かいに座って読了を待つ。

「……これが、前に言ってた『依頼』かな」

 書類の上から、叔父が視線を向ける。

「私も自分なりに調べたけど、断片的にしか分からなくて……。その情報だけで、探せそう?」
「山深い山村で起こる怪異と、迫害される幼い双子の女の子。その母親もまた『怪異』の関係者で、おそらく鬼籍……。雪名、これだけじゃ難しいよ」

 叔父の難しい声を聞いて、私は椅子から飛びのき、床に正座した。

「難しいのは百も承知してる。依頼料も弾む。五百万……いや、一千万。すぐには難しいけど、一年後にはキャッシュで用意できると思う」

 一千万でも――足りないかもしれない。
 けれどももう、後がない。使える手段はまだある。それをフル活用してでも、成し遂げなければならない。

「雪名、」
「礼司さん、お願いします。お金なら払います」

 床に手を突いて、深々と身をかがめて冷たいそこに額をつける。こんなものはパフォーマンスに過ぎないと分かっている。けれども、それ以上の策が思いつかなかった。
 そのままの姿勢でいくらか時間が経った。
 はぁ……と深いため息が聞こえる。

「お金の問題じゃなくて……。ひとつ確認なんだけど」
「はい」
「それ、雪名に『危険』はないの? 少しでも雪名に危険が及ぶことであれば、私は協力できない」

 予想外の言葉を聞いて、私は一瞬フリーズした。

「え……?」
「だから、言葉の通り。雪名が危険になることなら、私は協力しない。というかできない。きっと全国規模の捜索となるなら、私だけじゃなくて兄さんの協力も必須だと思うから。兄さんが、みすみす娘に危険なことをさせるはずがないでしょう」
「……それって、」
「つまり、兄さんに言えないようなことであるなら、無理ってこと。そのへんはどうなの」
「いや……別にその……危険は、ない。全然。……お父さんの協力も……得られるのであれば、欲しい」

 もう一度、深いため息が吐き出される。叔父が書類をそっと机に置いた。座って、と促される。ほとんど茫然自失のまま、椅子に掛ける。

「そういうことなら、引き受けます。ただ、手付金は大まけに負けて、二百万。進捗によっては、その都度かさむかもしれないけど、いい?」
「三百出す! 早いなら早い方がいい!! 経費いるなら都度言って、消費者金融から借りてでも払う」
「未成年が借りれるわけないだろ」

 叔父は笑いつつ、事務員さんを呼んで契約書の類を一式持ってこさせた。そうして携帯電話を取り出し、会議室を出ていく。
 私は事務員さんにいわれる通りにペンを握って、書類に記入をする。
 ――これで一歩前進だ。
 枷場菜々子と美々子の捜索。叔父にはここを抑えてもらい、もう一つ――

「え、もう帰るの? 兄さんと会って行かないの?」
「お父さん、今日依頼してるでしょ? いい、飛行機に間に合わなくなるから」
「電話ぐらいしてあげてねぇ……?」

 じゃないと私が責められるから。空港までの車中、そんなやりとりをし、私は東京へと戻った。
 そうしてその足で向かったのは、この人のもと。

「やあ、遠野君。会うのは数か月ぶりかな?」

 本来、あでやかさとは対極にあるはずの黒装束。それをあでやかに着こなした魅惑の女性、一級術師の冥冥さん。
 一級術師に昇格する際、任務を共にした。その縁で連絡先をGETしたのだ。
 場所はホテルのラウンジ。
 彼女を待つ間、私はコーヒーだけでお腹がちゃぷちゃぷになっていた。

「今日は折り入って相談が……ということだが。羽振りがいいね、一級術師とはいえ学生の身分で、あんな手付金を」
「それはもう……あらゆる手段を使って工面しましたから」

 これには聞くも涙、語るも涙の金策談があったわけだが、それは一旦置いておく。
 本題に入ろうか、という言葉を受けてそれに従う。

「冥さんには、情報を集めていただきたいんです。……零落した『産土神』による被害を受けているであろう、地域。被害の内容。どういった信仰があるのか」
「場所は?」
「……それが、分からなくて」
「なるほど。だとすると、成功報酬は莫大なものになるだろうけれど、大丈夫かい」
「こう見えて、ギャンブル激つよでして」
「未成年ができるギャンブルが、この法治国家にあったかな」
「冥さん、それは野暮というものですよ」

 呪術師をやっていると、どうしたって裏社会とつながることがある。資金調達の必要性は早期から感じていたから、そこはフル活用させてもらった。正直恐ろしくはあったが、やくざよりも呪霊のほうが怖い! 精神で乗り切った。
 高専に入学して、二年。競馬、競輪、競艇……果てには、表に出せない賭け事にまで手を出した。そうやって貯めに貯めた貯金を、一気に開放するときが今だ。
 因果律を観測する、目。
 見えた瞬間、勝負はもう終わっている。術式を使えば、どれが当たるのか、どうすれば勝てるのか容易に分かる。
 ――本来、こんなことに術式を使うのは甚だ気が引けた。
 一切の努力をせずに、莫大な大金が手に入るというのは多少怖かったが――なりふり構っていられなかった。
 手段はどうでもいい。私が欲しいのは結果だけだ。
 どうせ手元には残らないし、ご先祖様、ごめん!

「なるほど」

 にんまりとした冥さんは、上品にコーヒーカップを持ち上げた。そんな所作まで優雅で美しい。見惚れる私に、彼女はすっと冷徹な視線を向けた。

「その依頼、承るよ。……これからも、君とはいいビジネスパートナーでいたいね」
「もちろん! あ、この後お食事でも、」
「別途依頼料がかかるけど、それでも?」
「……遠慮しておきます。それでは、どうぞよしなに」

 破格の手付金を払った上に彼女の胃を満足させるとなると、破産してしまう。そこは涙を呑んで差し戻し、私は高専の寮へと戻り、その日は早々と眠った。

 その、翌日のこと。

「えーっと……。三限目は結界術応用か」

 次の授業まで、一コマ空き時間がある。すかさず演習場へ繰り出そうとした、その時だった。

「雪名、」

 後ろから声をかけられた。振り返ると、少し遠くから夏油が走ってくるのが見えた。
 すぐそばまで駆け寄って来た彼は、少し見ない間に――もう少し背が伸びて、少しやつれて見えた。

「夏油君。どうしたの?」

 なにか火急の用事か。見上げた私に、彼は疲れた顔でほんの少し微苦笑してみせた。

「いや、急ぎの用じゃないけど。……出ていくのが見えたから」
「あー。空き時間だから、ちょっと術式の訓練を……と思ってたところ」
「……そうか」

 反応が少しだけ遅れる。ほんの少しだけ、落胆したような声だった。――なるべく今は、と思っていたのだけれど。
 大型犬がしょんぼりしたみたいな姿に、ヤワなハートが絶えられなくなる。

「んだけど……。まあ、マストではないかな」

 ちらりと付け加えると、彼が顔を上げたのが分かった。

「……少し、話せないかな」
「おうよ。じゃ、ジュースおごって」

 少し先の――自動販売機を指さすと、ようやくほっとしたように。彼は笑った。
 自販機横のベンチに腰掛ける。飲み口をきれいに拭き上げてから、プルタブを起こす。
 くすりと隣で笑う声が聞こえて、飲みながら視線を向ける。

「雪名、そういうところ几帳面だよね」
「あ、飲み口? 母の受け売り」
「几帳面なお母さんなんだ」
「いや、全然。ただその、……医療従事者で。そういうとこには細かいの。誰が触ったか分からないし、もしかしたらゴキブリが這いずったあとかも。自販機ってさ、ゴキちゃんの巣窟っていうじゃん」
「それを聞くと、拭かずにはいられないね」

 彼もまた飲み口をハンカチで拭いてから、プルタブを起こした。あ、硝子も好むというなる缶コーヒー。
 ふたりして缶を傾けて、飲む。静かな時間が過ぎた。

「……雪名、疲れてないかい?」

 ごくりと。嚥下の合間に、ぽつりとした問いがもたらされる。

「体はまあ、……元気かな」
「心は」
「まあ、……そうだね。やれることを、精一杯やってる。夏油君は、……」
「そういえば、岩手での任務。かなり難しいものだったらしいね」

 突如として彼の口調が変わった。触れられたくないことだったのだと悟り、話題に乗る。

「うん。かなり」
「マヨイガだったとか。家が出るの?」
「そう。襲ってはこないけど、入り込んで油断すると出れなくなる。私も入った」
「……危なくなかった?」
「いや、一切。ここから出るんだっていう強い意思があれば、心地のよい家があるだけだった。ただ、そこにあるマヨイガを断っても、元を断たないと何度でも出る。そういうやつ」
「難しいね……。じゃあその元を断ったわけか」
「いや、断ってない。ていうか断てなかった」
「それは……厄介だ。その大元って、一体」
「『まだ帰らなくていいかな』っていうように、判断を先送りにさせる呪霊……っていうと分かるかな。帰れなかった人の後悔が、呪霊になってた。それが一人や二人じゃないから。私の火力じゃ到底無理で……正直、君や五条君の火力でもどうかなってレベル」
「じゃあ、どうやって解決したの」
「正確には、呪霊が出ないようにする対策を徹底させた」
「呪霊が出る条件って?」
「日没や雨、霧……。戻ろうと思えば、戻れる。でもあと少し大丈夫かな? そう思わせないようにする、というか。迷うと、出るのよ。マヨイガが」
「なるほど……」
「んで、山に入る時は、日没前には必ず引き返すとか、分岐があれば絶対にどっちかを選んで、休憩しない。休憩しやすいスポットを全部洗いだして、結界を張ったりもした。休めないようにね」
「それって、大変だったろ」
「大変だった。まあ、そんなに大きな山じゃなかったから……どうにかって感じ。でもおかげでひと月かかった。あとは、集落で放送を流してもらうことにした。正午、十五時、十七時。これを聞いて、ちゃんと山から帰りなさいよっていう」
「……根本の解決はできなかったんだね」
「そう。……正解が分かっていても、どうしても人は迷うから」

 もう、あの手の任務には出たくない。
 そんなことをぼんやりと思っていると、

「……辛くなかった?」

 かすかな声で、彼が問う。――そこに含まれたものが、なんとなく分かってしまう。

「辛かったよ。……いい案は浮かばないし、脚は棒になるし、熊とかイノシシとか出たらどうしようって怖かったし。でも、……やれることはやった」
「強いね、雪名は」
「強くない。……諦めが、上手なだけ」
「諦めか……。どうやったら、その境地に達せる?」
「私は、積み重ねがあるから。たくさんチャレンジして、失敗したり成功したりして。でも、全部にベストを尽くすようにした。全力で挑んで無理なら、もうしょうがない。次善策に全ベット」
「……雪名らしい」

 こんなこと――きっと、今の彼に言うべきではない。
 でも、私はそれ以外の答えを持っていない。だからといって耳あたりのいい言葉で濁すのも、なにか違う。
 責任は持つ。絶対に――彼を孤独にさせない。させたくない。

「ごめんね、これはおせっかい。……一般的に、男性は辛くても苦しくても、それを表出させるのが苦手な傾向にあるという。ジェンダーとか、そもそも言語化が苦手とか。でもね、吐き出せ。まるっと全部、洗い流せ」

 ひゅっと、息を飲む音が聞こえた、気がする。けれども、続く言葉はない。だから私は、つづけた。

「飲み込んでも、私は助けられない。……でも、吐き出してくれたら。なにかできる……かもしれない」

 言い切った瞬間、ひたりと彼の側に置いていた手が、温かいものに包まれる。――思考が、途切れた。
 自分の手をそれごと覆い隠すような、大きな手。彼の、手だった。そうと認識した瞬間、皮膚の内側が焼けるように熱く感じた。
 思わず息を飲む。……しかし、そこから伝わる熱と、かすかな震えが、すさまじい感情を揺り動かした。
 つい――もう一方の手が、動いた。

「夏油君、頑張らなくていい。ひとりじゃないからね」

 ぽんぽんと広い肩を叩くと、夏油はゆっくりと顔を上げ――するりと手を離した。

「……どこまでも、雪名らしい」

 ありがとう。
 そう言って彼はベンチから立ちあがり、去って行った。
 鎮まれ、鎮まりたまえわが鼓動よ。……右手の熱は、彼がいなくなってなお、手の甲に残り続けた。

 ――ちなみに。自室に戻ってからのこと。

「説教くせぇ~……。あぁ~……んなこと言わなきゃよかった……」

 羞恥心で床を転がりまわったのは、言うまでもない。

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