ほんのちょっとがっかりしたが、しかし、総合的に見てみれば最高の一日だった。自室に戻ってのんびりしながら、審神者は今日を振り返ってそう思う。
ソハヤが審神者を撮っていたように――実は審神者もソハヤを一枚だけ隠し撮りした。あたかもソハヤの膝の上にいる鈴を撮ろうとしています、という体で彼を撮影したものだ。伏し目がちで猫を撫でているソハヤノツルキ。
画像を見つめてカッと窒息しかけ、ぱっと目をそらして呼吸を整え――恐る恐るまた画面を見つめ、うわあああと叫びながら目を逸らせない。かっこいいが過ぎる。画像にさえドキドキしながらひとり恥じらっていたところ、
『……なに一人で騒いでんだ?』
そんな声とともに、障子の向こうから声をかけられ、その声の主が画像の主であることを知り、慌てて端末をこたつの中に隠した。
「えっ……そ、ソハヤ?」
『入っていいか? って何回か声をかけたんだが。キャーキャー言ってて聞こえてなかったみたいだな』
呆れ交じりの笑い声を聞いて、審神者は慌てて立ち上がり障子を開いてソハヤを招き入れた。
「お、わざわざ悪いな」
そこまでしてもらわなくてもよかったんだが、と呟いた彼の姿を認めて、審神者は目を丸くした。
小旅行にでも行くのか? という荷物を抱えている。大容量のスポーツバッグを軽く膨らませたそれは、少なくとも二泊から三泊分くらいの分量がありそうだ。
「……旅行?」
呆然と審神者が呟くと、ソハヤは唇の端を吊り上げていたずらっぽい表情になる。
「ここにな」
ここ、と言いながら人差し指で下を指す。
その指の先を、律儀に頭まで下げて視線で追って――審神者はハッと顔を上げた。そんなまさか、そんな馬鹿な、いやでも、いやでも。
「っくくぉ、ここに、旅行?」
「駄目か? 泊まり込み」
「だ……駄目じゃないけど……ででで……でも、なんで?」
心臓が痛いほどに高鳴って、ふらふらとしながら審神者は問うた。衝撃が強すぎて、もはや喜びも興奮もなく呆然とするばかりだ。
「ゆっくり過ごしたいって言ったじゃねえか」
「言っ……たね」
正確には、急な仕事が入ることなくゆっくり過ごしたいね、ということだったのだが。
「三日分くらいの備えはあるから、それくらいは篭れるだろ。あんたと二人っきりでゆっくり過ごす正月、魅力的だな」
スポーツバッグの小ポケットから、これ見よがしに姿を主張するのは、コンドームの箱だ。シャレオツなパッケージに0.01の文字は、ソハヤ愛用のそれ。箱の形に盛り上がった部分をパンパン、と機嫌よく叩いて言うソハヤに、今度こそ審神者は声にならない悲鳴を上げた。
***
すでに本丸内には、審神者とソハヤノツルキのただならぬ関係について噂されていたが、本日の忘年会をもって、その事実は正式に公表されるところとなった。審神者とソハヤが連れ立って奥からやってきたところを見かけたのが、ヘリウムガス並みに口の軽い鯰尾藤四郎だったことが災いした結果である。また、宴席に皆々集まっていたことも相まって、一瞬で周知されるところとなった。
「主、やったじゃねえか!!」
と、いの一番に祝辞を述べに行ったのは和泉守兼定だった。
彼はいつぞやの、どう見ても修羅場としか言いようのない現場を目撃してからというもの、二人の関係について聞きたくて聞きたくて仕方がなかったのだ。それがこんな形で知ることになり、驚きもひとしおだったが、それ以上に喜ばしさのほうが大きかった。
本丸では古参の一口だが、刀剣の中では一番年若い彼は、審神者よりほかに兄貴ヅラ出来る者がいない。妹分の恋の成就に、男泣きに泣いて喜んだのだった。和泉守兼定、とかく気の良い刀なのである。
「主とソハヤの成婚を祝して、かんぱーい!!」
図らずも、忘年会とは名ばかりの祝いの宴となってしまった。
「ま、まだ結婚はしてませんけどォ?!」
真っ赤になって否定して回る審神者に、ソハヤはいつもの調子で、
「まだってことは、いつ娶らせてくれるんだ?」
「いいいい今のは言葉の綾で!」
彼女を翻弄する一方だった。
――まあそんな酒席であるからして、審神者は途中から不貞腐れ、一人で酒を飲んで飲んで飲まれて飲んだ。結果的にひどい酔っ払いになって、宴席を震撼させた。
「みんな好き~♡ ちゅーしよ~♡」
要するに、前後不覚なまでに泥酔し、立派なキス魔に仕上がっていたのである。
最初は可愛い可愛い短刀たちを順番に抱きしめたり抱っこしたりしていたが、その次に脇差――物吉を抱きしめた際、恥じらって可愛らしい反応をしたのに味を占め、猛烈にキスをせがんだことから始まった。
「主様、いけませんよ。主様にはソハヤさんがいるんですから」
「やー♡ でも物吉君可愛いから好き」
「主様~!」
無論物吉貞宗、そこは断固として断ったが、酔っ払いはそんなこと聞いちゃいない。体格的には、身長が高い分審神者のほうが勝っているが、刀剣男士である物吉にはそんなものは関係ない。本気を出さなくても押さえつけることなど簡単だが、主――ましてや女性――相手にそんなことをできない程度には、この刀は優しすぎた。
「主、迷惑だぞ」
しかしそこに初期刀の山姥切が来て、この優しすぎる刀は解放されたのである。
「いい加減にしろ。なんだその体たらくは」
しょっぱなからぴしゃりと厳しい言葉を投げかけられ、審神者はのろのろと初期刀を見上げた。しかし、
「山姥切、ちゅ~しよ~」
酔っ払いには厳しい言葉も届かない。上機嫌にも初期刀に抱き着こうと腕を伸ばした。優しい短刀や物吉と違い、初期刀はどこまでも厳しい。山姥切はそんな審神者の額のあたりに手を置いて、腕をつっかえ棒代わりに遠ざけた。審神者の指先はむなしく宙を掻き、距離は一向に縮まらない。
「やだ~山姥切、ちゅ~」
「おい誰か、ソハヤノツルキを呼んでこい」
「ちゅー! しましょう!!」
「うるさい、ちょっと黙れ」
しつこく審神者が叫び、迷惑そうに山姥切が吐き捨てたとき、
「呼んだか」
と、ナイスなタイミングでソハヤが現れた。山姥切がすっと彼女の額から手を外すと、審神者は盛大に前のめりに倒れかけ――すんでのところでソハヤに抱きとめられる。
「キス魔になって迷惑していたところだ。早々にお引き取り願う」
「驚くべき塩対応だな……」
「物吉がやられかけた。抵抗できないのをいいことに……卑劣にもほどがある」
「卑劣とまで言われてるぞ」
ソハヤが腕の中の審神者に声をかけると、うるんだ瞳がぽやーっと見上げてきた。
「ちゅーしたいだけなのに……」
ぽつりとつぶやかれた嘆きの言葉に、
「よし」
ソハヤは一つ呟いて、主の体を抱き上げた。突然のことに審神者はひゃあと声を上げたが、しっかりと掴まって抵抗などはみせない。
「も、もぉ~ソハヤ……恥ずかしいよ」
酒が入って言動も思考も鈍くなっている今、その姿はいつもよりしおらしくまた婀娜っぽい。うるんでぽやんとした瞳に、上気した頬、半開きの口、それらの無防備さは普段刀剣男士たちが知るものではない。分かりやすく「女」の顔をした主の姿に、一部は固まり一部は目を背け、一部は大いに沸いた。
「恥ずかしいこたぁねえだろ」
それを見てソハヤはまんざらでもなさそうにして、彼女の耳元に顔を寄せる。「これからもっと恥ずかしいことするんだぞ」
なんてセリフを吐息だけの低い声で言い聞かせて、ますます頬を染めさせるのだった。恥じらって顔を背ける審神者を見つめる赤い瞳――ありありとした肉欲を映し出し、獰猛。何なら舌舐めずりまで決めた姿は、餓えた獣そのものだ。
どこからどう見てもこれからそういうことをするのだ、と宣言するようなこれ見よがしの態度に、大広間が沸き立った。
激励だの野次だの様々な声を上げる一同を睥睨し、ソハヤノツルキは口の端だけで笑ってみせる。
「今夜は無礼講だからな。失礼する」
歓喜と冷やかしに沸く宴会場に背を向け、奥へと向かったのである。
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