そんな都合のいいものはない - 1/6

 唯ぼんやりとした不安。
 これを動機として死んだ作家がいたと思う。近頃めっきりと、それに共感を覚えるようになった。そんなことを誰かに話せば、カウンセリングを勧められたり、最悪の場合上司との面談になったりするかもしれないから、絶対に公言はしないけれど。
 しかしもしかしたら、審神者というのは誰しもそういった「唯ぼんやりとした不安」を持っているのかもしれない、と私は思う。
 正体不明の敵と戦っていることに対する恐怖と不安。勝利の見えない戦局に対する恐怖と不安と焦燥。いつかは大事な仲間を喪うのではないかという恐怖と不安と焦燥。あるいは、すでにそういったことを経験している場合、常に絶望に苛まれているのではなかろうか。
 けれども一方で、そうではないのかもしれない、とも思う。例えば顔見知りの審神者は、自分の刀剣男士の誰それと相思相愛で、持ちつ持たれつ支えて支えられて、愛にあふれた生活を送っている。愛する、頼りになる、守りたい、幸せにしたい、そんな対象がいるだけで、これら先行きの見えないことへの「唯ぼんやりとした不安」は軽減されるのではないか。そんなことを、思う。
 そうであれば、幸せなのかもしれない――というか、絶望の中にひとかけらでも、幸せを見出すことができるのかもしれない。けれども、私にはそんな対象はいないし――本丸では常に非常なほどの寂寥感に苛まれながら生きている。
 誓って、断言するが、私の刀剣男士たちは本当に気のいい連中ばかりだ。本当に。気遣い出来るやつ、とにかく優しいやつ、明るくて元気づけてくれるやつ、とにかく多種多様いるけれど、本当にみんないい奴らばかりであることは間違いない。
 間違いないのだけれど、結局のところ、連中は刀だ。道具だ。人間の私と共に歩んでくれるものではない。刀剣男士として、私のことを主、主と慕ってみせても、結局のところ一番大事なのは元の主だと――思ってる。そうでない者もいるけど、そうでない場合もやっぱりどこまで行っても刀だから、道具だから。私が彼らを本当に理解できないように、彼らも私を理解できないのだ。
 あとは――健康。今はまだ若く、肉体的にも気力的にも充実しているから健康の問題なんてない。ないけれど、将来はどうなるか分からない。審神者の実務は肉体労働よりも頭脳労働の方が多いが、エネルギーの出力量をグラフにでも顕してみれば、肉体労働の方が圧倒的だと思う。なぜなら、本丸の結界維持、刀剣男士の肉体の維持、その他鍛刀、手入れ、出陣・遠征と日常的に霊力を消費して生きている。
 私は選ばれし一族の生まれでも何でもなく、両親はごく普通の世俗の人、偶然うっかり審神者の適性試験に合格しただけの普通の人間なので、肉体的にかなり負荷がかかっている――とは、審神者になる前の健康診査で指摘されていた。多分、この膨大な霊力消費をこの先も続けていくことで、私の健康は著しく害されていくのではないか、とか。そんなことも考える。
 ともかく、不安しかない。楽しいこともない。生きていたいとも、残念なことに思わない。しかし死にたいとも思わない。そこまでの気力もない。ただ、眠る前には決まって――明日の朝目が覚めなければいいのにな、と思うのが習慣になっていた。

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