社畜の私が自殺を考えていたら、イケメン社長に拾われた件 - 2/3

 就活に身を入れなかった自分が悪いと、すべての理不尽は受け入れた。
 面接という面接に落ちまくって、もう後がないとゼミの教授に泣きついて、どうにか斡旋してもらった就職先は、途方もないブラック企業だった。
 否、おそらくその企業ピンポイントでなく、業種全体がそうなのだろう。とにかく黒も黒、真っ黒の黒、漆黒の闇。飛び交う怒号に人間性を否定する罵倒もとい説教、膨大なサービス残業、その割に休日は殆どなく、会社と自宅の往復しかない日々。女が少ないせいかセクハラまがいの言動は当たり前で、少し成果を上げれば同期に妬まれ、失敗すれば「これだから女は」と罵られる。全方位に敵しかなく、仲間だと思った心優しき友は、環境になじめず高跳びするか――自ら命を絶った。友だけでなく、同じ業界の見知った人がナニとは言わないが吊った、、、話は珍しくないほどに。
 普通ならそんな経験自体が心の傷になっていてもおかしくないのに、長引くストレス過多の生活ゆえに、実感を伴うことがなかったのは幸いか。遠距離恋愛の恋人がいて結婚も考えていると話した彼が、「ごめんなさいもう疲れました」というメモ書きを残してこのを去ったことにも、「ああ、一抜けか。私は代わりにどの案件を引き継がされるんだろう」なんて最低最悪なことしか思わなかった程度には、心という心はぶっ壊れていた。
 ストレスだけでない。長らく続く睡眠不足で思考は滅裂、言動も怪しくなり、そんなだから説明しても何一つ聞いてもらえず、「お前もう帰っていいよ」と門前払いを受けることも少なくなくて。私が指示を出す立場の人たちが何一ついうことを聞いてくれなくて、どうしようもなくて、本来自分がやるべき仕事ではないが、夜中に現場に忍び込んでこっそりと作業を――それで大なり小なりケガをして、あるいは死にそうになったことも数知れず。
 死ねとか、お前の生きてる価値ないよとか。ありとあらゆる罵倒を受けた結果、人間性を否定されて悲しいとかそういうレベルは通りこし、男の同期みたいにぶん殴られなくてまだマシか、女って人生イージーモードね、なんて思うようにもなった。
 しかし考えてもみてほしい、本当のイージーモードの女は、男の金で最高級の寿司とか肉とか酒とか食らって、バッグや洋服や靴を買ってもらい、タクシーで送り迎えしてもらって、あたし箸より重いものなんて持ったことないの、なんてうそぶいているに違いない。
 それに引き換え自分はどうだ、畑違いの仕事を自分でする羽目になって、無駄に鍛えられたこの筋肉。悲しみの筋肉。日々罵倒され、現場で肉体作業をした結果、学生時代とは比べ物にならないほど身体頑健になりました。親が見たら泣くぞ。
 親。そう、親にはこんな生活言えるはずがない。反対を押し切って都会の大学へ進学し、高い学費と下宿代を払わせた上に、バイトはろくにせずに悠々自適に親の仕送りで過ごした大学四年間。それなのに就活にもいまいち身が入らず、どうにかコネでねじ込んでもらったのは最底辺のブラック業界。自殺者何人? 行方不明者何人? 黒すぎてなんも言えねえ。そんなわけで、両親には見栄を張って「仕事が忙しすぎて連絡できない。大きな仕事を任せられてるからね」なんて言って、日々いじめられて死にたいですなんて相談ひとつできずにいる。
 ただもう、それももうじき終わりにしたい。罵られ、罵られ、とにかく罵られ、無視され、存在をシカトされ、そうやって生きてくるともう生きていく気力が根こそぎ奪われるのだ。とにかくもう死にたい。生きていたくない。
 怒鳴られるのはどういうわけか、まだ許せた。幼い頃にいやいや空手教室に通っていたおかげで、殴られるのも怒鳴られるのも他人より耐性があったから。しかし無視、これがもう一番きつい。指示を聞いてもらえないのは業務上非常に困るが、挨拶さえも無視されるのが一番こたえた。
 そこにいるのに、いないかのように扱われて。まるで小学生みたいに目の目でドアを閉められてみたり。信じられる? こんな幼稚なことを三十もすぎた大のオトナの男がやってるわけで、私は目を疑った。でもまあそれがまかり通り、それどころか横行する、本当に腐った業界なんだ。
 そういうわけで私はもう、死のうと思うのである。恨みを飲んで死んで、そうして化けて出てやる。あいつら絶対末代まで呪って祟り殺してやるんだ。絶対にただでは死なない。
 ここに、これまでの理不尽な罵倒とセクハラを記録したICレコーダーがあるじゃろ? そしてこのSDカードには、これまでのパワハラ事件について時系列に事細かに記載した文章ファイルが保存されてるじゃろ? これらすべてを新聞社に郵送したうえでド派手に死んで、私をけちょんけちょんにしてくれたあいつらもろとも道連れにしてやる算段だ。
 コンビニで緩衝材入りの封筒を買おうとして――なぜだか、陳列棚にはひとつも残っていなかった。メルカリガチ勢でもいるというのか。二件目に行こうとしたが、私のHPはゼロよ。仕方なくどキツイ酒を買って歩きながら開けた。うーん、まずい。二割ほど飲んであまりにも強いアルコール臭に嫌気がさして、歩きしな残り全部植え込みに捨てた。でも死を前にした身には、条例もモラルも関係ねえ。
 ふと、立ち止る。
 金曜日の夜、街は人出でにぎわっている。週末を楽しむハッピーなやつら。一週間頑張ってお疲れさん、みたいな。五日間働いて、週末が休みだからこそはしゃげる金曜日。それに引き換え私はというと、月の休みが三日を切った今、前回家に帰ったのっていつだっけのレベル。
 人生とは不条理だ。しかしそれもこれも真面目に生きなかった自分が悪い。もっと就活を頑張っていれば、教授に就職先を紹介なんてしてもらわなければ、もっと言えば無理して都会になんて出てこなければ、こんなことにはなっていなかったのかな。親の言うことと日本酒は、あとから聞いてくるですもんな。あー、博多の大スターがそんなこと言ってたっけ。至言だ。
 どこで死のうかな。吊るか。でも紐がねえな。ベルトでもいいか。飛び込みは迷惑になるから吊るのがベストか。場所。家か。変えるのが面倒くさい。きっと今家に帰ったら、里心がついて死にたくなくなる――。

「主?」

 ふっと何か、今頭の中でひらめきかけた。その思考を邪魔する声。あるじ? いやきっと私には関係ないこと。
「主か、主だな。ちょっと待ってくれ。待っ……。待てって、なあ、ちょっと!」
 しつこく追いすがってくる声、頭の中にガンガンと響くような透りのいい声。きっと私じゃないと言い聞かせて走ろうとしたとき、がくんと視界が大きく揺れた。思うように動かなかった足には、仲間を増やそうと黄泉の国へいざなう亡者が絡みついていた――なんてことはなく、ぐらぐらする頭と体と相まって、さっき飲んだストゼロのせいだと気づく。
 早い話が、たった二割つまりたった100cc程度摂取しただけで、まともに走れないくらい酔いが回ってしまったということ。まあ寝不足で体力免疫力ともに落ちている今、そうならない方がおかしいか。
 地面は硬いアスファルト。うまく受け身が取れるだろうか。取れたところでスーツに穴が開くのくらいは避けられないだろう。打撲くらいならまだしも、切り傷や擦り傷は地味に痛くていやだなぁ、なんて。考えたものの、ついぞ痛みも強い衝撃も来なかった。
 強い衝撃がない代わりに、鈍い衝撃はあった。アスファルトほど硬くはなく、けれども豆腐ほど柔らかくもない。端的にいえば、肉というか骨いうか。
「捕まえた。なにも人の顔を見るなり逃げなくたってもいいじゃないか」
 ふんわりと程よく香るいかにもお高そうなコロンの香りと、じんわりと服越しに感じる暖かさ。頭の上から声が聞こえて、久しくなかった異性に抱き留められる感触を思い出す。
 それが、なんというかとにかく優しくてあたたかくて懐かしくて、とにかく泣きそうになって。それでも頭の冷静なところでは、なに抱きしめてんだこの野郎ぶっ飛ばすぞと腕を振りほどいて、振り向きざまに金的蹴りでもお見舞いしてやろうとか考えている。けれども十ゼロで郷愁じみた前者が勝って、いよいよ動けなくなって。
「俺のこと、覚えてるかい? 大般若長光だ」
 囁くようなええ声に、肩越しに振り返る。全く見知らぬイケメン。イケメンというか、美男というか、とにかく今まで見てきた人間の中では一番整った顔立ちのメンズであった。
 これが悪質なナンパでも、これから誘拐されて臓器を売り飛ばされようと、もはやどうでもいい。全く見知らぬ男だが、懐かしくてたまらない。優しくてたまらない。あたたかくて、たまらない。
「覚えてない~~~~~~~~~」
 理性を軽く吹っ飛ばした私は、見知らぬグッドルッキングガイの腕の中で、子供みたいに涙も鼻水もなんなら涎までも垂らし、恥も外聞もなく泣きわめいたのだった。

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