社畜の私が自殺を考えていたら、イケメン社長に拾われた件 - 3/3

 目が覚めたらそこは闇オークションの会場でした――なんてことはなかった。まあ、私のような薹の立ったくたびれ社畜、1万でも売れないだろうけれど。
 パリッと糊のきいたシーツに、キングサイズ? クイーンサイズ? とにかく三人も四人も寝れそうなでっかいベッドは、高級ホテルのそれを思わせる。まあ、高級ホテルなんざ産まれてこのかた泊まったことはないけれど。
 落ち着いたシックな色合いの壁紙に調度品、飾られた観葉植物だけでもいい値段がしそうな。あれひとつで私の日給換算より高いかも。とにかく金の匂いしかしないラグジュアリーな空間は、よれよれのストレッチスーツやぼさぼさの髪、ほとんど化粧の消失した身窄らしい女が存在するには、あまりにも場違いすぎた。
 天国というにはあまりにも現実味がありすぎる。ぐわんぐわんと痛む頭は二日酔いの証。死んでもこういった苦痛が存在するならば、魂の救済などあり得ない。そんなことを思いながら蟀谷を指で揉んでいると、ドアをノックする音が聞こえた。
 反射的に返事しようとして、いや別に部屋の主でもねえのに返事するべきなのかと口を噤む。それよりも何よりも、ここはどこ、私は誰。状況を整理するのが先ではないか。もしもドアの向こうの相手が悪意を持った第三者なら、ここは不意を突いて先制攻撃に出るのが吉。武器になりそうなものはないか、なんて考えて周囲を見渡して――いや、何か物を壊して弁償を迫られたらやばいな、と思い至り闘争本能を収めた。
 もう一度コンコンコン、とドアがノックされる。律儀なものだ。私の生殺与奪の全権を握っているのだろうから、こちらの出方など気にせず入りたいなら入ればいいのに。ぼーっとしてドアの方を見つめていると、それ以上のアクションはなかった。
 しんと静まり返っている。立ち去ったのだろうか。気になって足音を殺してドアノブをつかみ、音がしないようにそっと開けて――
「うっっっっっっっっわ」
 ドアにへばりつくようにして聞き耳を立てる男の姿が見えて、思わず叫んでしまった。ドアの開いたことに気づいた男が、慌てたように取り繕う。
「すまない、寝ているのかと思って」
「あ、いや。こちらこそ返事もせずに」
 律儀に謝罪する相手に対し、私もまた素直に謝る。おそらくまだ、思考が現実に帰ってきていない。
 本当にかっこいいな、と思って呆然と男を見上げていると、視線に気づいた相手が目線を合わせ、そうして目を細めてみせた。ぎこちなくはあるが、しかしなんというかその表情には、安堵と喜びで満ちていた。どういう感情? 彼の考えていることがまるで分らない。
 そもそも誰なんだ、この高収入・高身長にくわえてグッドルッキングガイという、非現実的な男は。ハーレクイン小説に迷い込んだか?
「大般若長光。……この名前に聞き覚えは?」
 穏やかな声で男が問う。そういえばそんな風に名乗っていたような気もするが、それよりも何よりもいや待て、大般若というのは非常に聞き覚えがある。かつては一世を風靡したイケイケのセレブ社長、最近はとんとメディア露出がなかったけれど、この暮らしぶりを見るに、全く没落はしていないらしい。
「IT社長の代名詞みたいなひとでしょ?」
「元、ね。今はもう一線から引いて相談役さ」
「それでも、あり余る富の気配が隠せてない」
「不労所得があるからな。そうか、……俺のことは覚えてないか」
 ぽつりとつぶやかれた言葉に引っかかる。確かに、初対面のときにもそう言っていたように思う。
「あなたのようなグッドルッキングガイ、一度会ったら早々忘れないと思うんですが。整形なら別ですけど」
「それもそうだよな。生まれつきこの顔さ」
「じゃあ、あなたは私のことを知ってるんですか?」
 聞き返すと、大般若は曖昧に笑った。
「それが、なにも。あんたがなんでこんなに疲れた顔をしてるのか、なんであんなに泣きじゃくったのか。なあんにも知らない」
 少なくともストーカーというわけではなさそうだ。まあ、彼のような人間が私のストーカーになる道理がない訳だが。
「知りたいから教えてくれ、って言ったら?」
 少しだけかがんで目線を合わせて、大般若が言う。
 瞬間、胸中にさまざまな思いが渦巻いた。気を失う前にあれだけ散々脱水になるくらい泣き散らかしたというのに、目がシパシパして胸がずきずきとうずいて、しゃくりあげるものがあって。一度は彼に汚い泣きっ面を見られてはいるが、今度ばかりはちょっとだけ余裕があるので、顔を手で覆い隠す。
 ――気づいてしまったのだ。
「死のうと思ってたけど、死ねなかった。私、なんでも中途半端で。自殺さえもきっちりやり遂げられない、無責任な人間なんです」
 あんなに死んでやる死んで復讐してやると意気込んでいたのに、結局どこかで死ぬことをためらっていた。だから今こうやって、非現実的な男に非現実的な空間で助けられて、優しくされて、死ななくてよかったと思ってる。どことなく私に好感を持っている風のこの男に、どうにかぶら下がっていい目を見てやろうとさえ、貪欲に思ってる。こんなにも生きたいと思ってる。
 うつむく私を、大般若がやんわりと抱きしめた。摩訶不思議、どうしてこの男はこんなにも優しいのか。私に優しくしてどんなメリットがあるというのか。
「そこは無責任でいいのさ。おかげで、生きてるうちにちゃんと出会えた」
「大般若は一体何なんですか。あなた私のこと好きなんですか」
「おっとストレートにくるなぁ。男と女のアレコレは、もっと遠まわしに情緒をもってもいいんじゃないかい」
 笑う声も、ゆったりと揺れる体も、ああなんて、暖かくてやさしいんだ。もうだめだ。こうなってはもう了いだ。私はもう。
「そんな悠長なことを言ってる場合じゃあない。こっちは生死がかかってんだ、ハイかYESで答えよ」
「ったく強引だねぇ。でも、こっちの答えも最初から決まり切ってる。ハイでもYESでもなかったら、最初からあんたのこと引き取ってないさ」
 再びの理性崩壊――。私は大般若にしがみついた。
「仕事できねえ体力だけが取り柄のクソ社畜でもいいですか」
「いいさ、俺が養ってやる。クソ会社なんてやめちまえばいい」
「社畜が過ぎて蜘蛛の巣張ってるけどいいですか」
「あんたが男でも老婆でも関係ないさ。まあ俺もご無沙汰だからそこは気にしなくていい」
「構われすぎるとうざったく感じるけど、適度に寂しがりという糞ウザ属性だけどいいですか」
「ほどほどに可愛がってやるさ。適当には自信があるんだ」
「っ……なんでそんな、優しいこと言うんですか」
 私が胸に顔をうずめると、大般若はさらりと頭をなでてくれる。
「あんたが生まれる前から、あんたのことが大好きだったのさ。それに今、たくさん辛い目に遭ったと聞いたばかりだ、もっとずっとうんと優しくしてあげたいと思った。あんたが幸せに生きて、笑顔になってくれたら、それがなにより嬉しいんだ」
 また、訳の分からないことを言う。この男、あれか。
「電波ぁ……」
「まあそういうことにしとこう。そうさ、俺は電波な男さ。でも金も社会的も地位もあるから、あんたに楽させてあげられる電波だ。悪くない話だと思うが」
「ジャスティス……」
「うんうん。思いっきり泣けばいいさ。目が覚めたら風呂に入ろう、一国の姫君みたいに世話焼いてやるから」
「ジャグジー……」
「ついてるついてる。花びらを浮かべて、アロマキャンドルも焚こう。昇天するくらい気持ちがいいはずだ」
「んー……」

 ――その夜、私の果てしなく長い社畜生活は、唐突に幕を閉じたのだった。

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