なーちりーってバブみ感じない? - 3/3

 次に目が覚めたとき、そこは自室のベッドの中だった。
 すべては夢だったか、とむなしい徒労感に苛まれようとしたとき、
「目が覚めたかい?」
 柔らかい声を聴いて、審神者はしかと覚醒した。審神者を腕を枕にするようにして横たわっているのは、北谷菜切だった。
 一瞬訳が分からなくて――脳内が宇宙空間と直結したような塩梅となって。自失しかけたとき、彼のほうから種明かしをしてくれた。
「寝るなら部屋に戻ろうかって言ったら、この通り」
「もしかしてまさかなんだけど、なーちりーがここまで運ん……?」
 北谷菜切、見た目はどこからどう見ても子どもサイズであるが、刀剣男士である彼の腕力が、見た目通りでないことは十分に分かり切っている。
「そうだよー」
 ふにゃりとした笑みと共にもたらされた言葉に、審神者はひどく衝撃を受けた。刀剣男士とはかくあるものだと、分かり切ってはいるのが。たとえば――大太刀の蛍丸だったらここまでの罪悪感は感じないが、相手が短刀であれば、どうにも。
「そんなに驚くことかー? こう見えておれも、刀剣男士だから。戦うのは好きじゃないけど、主を抱っこするくらいならなんのそのさー」
「……なんというか、不覚……」
 審神者ががっくりとうなだれて見せると、北谷菜切はふふふとかすかに笑ってみせる。
「よっぽど疲れてたんだねー」
 間延びした語尾が、猫みたいな口元が、なんだかとてつもなくやさしくやわくいとおしく感じられてならない。
「アガペー……」
 もはやそれが鳴き声か、という勢いで審神者は感嘆を表した。あがぺぇ、と彼がつづく。まるで不慣れな発音が可愛い。
「ってなんだい?」
 無垢な問いに、神の愛、と審神者はまっすぐに答える。
「じゃあ、ばぶみは?」
「ひらたくいうと、母性みたいな」
「母性、……」
 その三文字をつぶやき、北谷菜切はどこか複雑そうな顔をした。
「いや?」
 さすがに刀剣男士に母性はだめか、と審神者が気を回しかけると、彼は曖昧に笑って首をふった。
「切った張ったがお仕事のおれたちは、母性とは程遠いけどさー。でも悪い意味じゃないだろ? 主がおれにそう思ってくれるなら、嬉しいかなって、」
「母性だよ、母性の塊だよなーちりーは」
 審神者は食い気味に返した。「まるで母なる海……胎内回帰を願うほどに母の息吹を感じるよ」
 どうにもイッちまってる目をした審神者に、しかし北谷菜切はそれでもあたたかな眼差しを忘れない。
「主は、なにが一番つらい?」
 やわらかな問いに、審神者は一瞬ことばにつまった。少し考えてから、
「自分の不器用さかなぁ。審神者の仕事ぜーんぶうまく回せなくて、いろんなところに迷惑かけて。自分ひとりが苦しむ分には自業自得だけど、他人に迷惑かけるのは一番だめじゃない? でも刀剣男士はそういうの、飲み込んで耐えてくれるから余計しんどい」
「じゃあ、反発されたい?」
「あー……。それはそれでキツイのかもしんないね。でも、そうなってもしょうがない。とはいえどういう結果だったとしても、結局自分のふがいなさが原因だから、なんとも」
「主は頑張ってると思うけどねー」
「足りないなら努力するのが当然だもん。世の中なんでも、最低ラインのギリギリ上が一番きついのよ、私がまさしくそれ。出来ないけど、出来ないなかでは出来てしまうから、ぎりぎりのところで救済措置がない。あわれなもんよ」
 死にたい、――と昔はよく呟いていた。審神者をはじめてすぐの頃のことだ。しかしある一定のラインを超えると、言わなくなった。
 死にたくなくなったというよりは、死にたいという状態に慣れてしまったというか。死んでもどうにもならないことに気づいたから、という面もあろうか。いいのか悪いのかは分からない。しかし、死にたいと悲観的になって気分が落ち込むことがなくなったのは、いいこととカウントしていいだろう。
 呆然と虚空を見上げていると、頬にそっと柔らかいものがふれた。あの優しい掌だ。そう思って嬉々として顔を横に向けて――どこか怒ったような、悲しむような。複雑な彼の顔を目の当たりにして、審神者はおののいた。一体なぜ。問いかけるより先に、北谷菜切が口を開く。
「主はどうやったらしあわせな気持ちになれるんだい」
 この流れだと、自分を卑下するなとかそっち系の言葉が聞かれると思ったが、予想の斜め上を行った発言に審神者はちょっとだけ動揺した。しつつも、言葉をつむいだ。
「……なーちりーによしよしされて、美味しいものつくってたべさせてもらって、干したてのお布団でぐっすり眠る」
「わかった。じゃあ今日はもうお休みにしよう。近侍にはおれから言っておくから、主はお風呂にでもゆっくり入っててくれ。寝具、全部洗って新しいのにとりかえるよ。替えはどこにある?」
 北谷菜切の行動は、はやかった。

送信中です

×

※コメントは最大10000文字、100回まで送信できます

送信中です送信しました!