01:審神者と初期刀 - 2/2

「初期刀とのご挨拶が済んだところで、審神者様。審神者として一番大事なお役目をはたしていただきます」
 こんのすけの声を聞いて、審神者ははっとする。
 審神者の役目とは歴史を守ることであるが――そのためにはまず、土台作りからだ。師のもとで学ぶ中で、彼女は自身の本丸を持ったらどうするかというのを、つねに考え続けてきた。
 ひとまずは一部隊分の刀剣男士を鍛刀・顕現し、出陣や遠征、内番や刀装作りに慣れてもらう。その六口をもって第一部隊とし、しばらく彼らだけで本丸を運用する。第一部隊の全員が刀剣男士としての立ち振る舞いに慣れた頃に、第二陣で再び六口顕現して第二部隊とし、第一部隊の構成員を指導役として教育させる――。第三、第四も同じように。
 基本的には六口一部隊を最小単位として生活し、自隊の冠する数字の一つ上の隊に直属の教育係が、一つ下の数字の隊に自身の被教育者がいるという構造。任務の性質によっては、部隊を超えて編成する必要もあるかもしれないが、任務の難易度が低いうちはこの体制で本丸を運営し、刀剣男士を育てていくつもりだった。
 しかし――。
「まずは、陸奥守吉行を出陣させてください」
 そういった想定をなにもかもすべてすっ飛ばしたこんのすけの言葉に、審神者は目を見開いて固まった。
「え……? いきなり出陣?」
 刀装もつけずに? そんな馬鹿なことはないはずだと聞いてみるが、こんのすけの返答は無慈悲な肯定だ。
「いやでも、いきなり出陣なんて」
 食い下がる審神者に、こんのすけは表情の読めない顔つきで、いえでもとすっぱりと否定から入った。
「私こんのすけの仕事は、新人審神者様の案内役。新人審神者の教育プログラムでは、このようになっております」
 したがっていただかなければ――という言葉に、審神者は不安を覚えつつも、そういうものなのだろうか、と思う。とはいえ、たった一口で刀装もお守りもつけずに出陣させるなんて、正気の沙汰ではない。心が揺らぐ。
 師の本丸のこんのすけは、もっとフレンドリーでくだけた存在だったが、目の前のクダギツネは違う。審神者との関係値の違いか、それとも個性があるのか。無機質でまるで機械じみた喋り方や仕草が、これを信じていいのかという猜疑心を助長させる。
 そうしたところで、
「なーに心配しちゅうが~」
 後ろからぽんと肩を叩かれた。暖かい掌は、陸奥守のそれだった。
「大丈夫じゃ。さくっと行って済ませてくるき、主はどーんと構えて待っとうせ」
 不安そうに見上げた審神者に、陸奥守は明るい笑顔でなだめるように言って聞かせる。
 主、というただその言葉が。――修行時代、『見習い』としか呼ばれなかった自身が、本当に彼らの主になったのだと言うことを実感させ、気持ちを高揚させる。
 ――こんのすけは時の政府の使いだ。審神者は考え方をシフトさせた。
 時の政府が間違ったことをするはずはない。新人審神者の教育プログラムがそうなっているのなら、なにかしらそこに意図があるのだろう。あるいは。
 自分の初期刀が大丈夫だと言っているのだ。ならばそれを信じるのが審神者のつとめだ。
「わかった。それでは、無事の帰城を待ってる。……こんのすけ」
 陸奥守とこんのすけ、双方に視線をやる。一方は満足げに頷き、他方はノーリアクションで、それではと言の葉をつむいだ。
「刀剣男士を出陣させましょう。審神者様、どうぞこちらへ」
 それより先については、勝手知ったる。頷きもせずにこんのすけの説明を聞き終えると、審神者はためらいなく出陣を執り行った。
 ――そうして、刀装もお守りもない陸奥守吉行は、深い手傷を負って帰城した。
「っやっぱりこうなる!」
 端末越しに陸奥守が負傷したのが分かった時点で、審神者は手入部屋の障子を蹴破らんばかりの勢いで突入した。
「審神者様、手入部屋の使い方はお分かりですか?」
 ゆったりと追い付いたこんのすけが、場違いなくらい平和な声色で問う。
 その鷹揚さに、思わず道具箱を投げつけてやろうとした審神者だったが、そんなことをして中身が飛び散ったり破損したら、手入れどころではなくなる。ぐっとこらえて、布団と応急処置の準備を続ける。
「っ私はすでに他所の本丸で三年修行した身。手入れなんて……っ! そもそもなんで、丸腰で進軍させた?!」
 手入部屋の支度を追えると、審神者は慌ただしくそこを走り出た。こんのすけが後からついてくる。
「左様でしたか。ここの担当官からは新人審神者の教育プログラムを導入するよう聞いておりましたから、そのようにしたまでです。しかし、すでに三年も修行期間があるのなら、新人教育プログラムは不要ですね。担当官の方には私の方から連絡しておきます」
 言いたいことだけ言うと、クダギツネは登場したときと同じ唐突さでいなくなった。
「クソッ!」
 審神者は走りながらも思いっきり悪態をついた。――新人審神者の教育プログラムの一環だとしても、刀剣男士を丸腰出陣させて重傷を負わせる意図は一切不明だ。とはいえ、あんな狐ごときの口車に乗らなければ、こんなことにならなかったのも事実だ。
 転移ゲートに滑り込むと、それと同時に陸奥守が帰城した。立っているのもやっとなくらいの重傷。
「っ誰か、」
 呼ぼうとして、ここには誰もいないと悟る。師の本丸とは違う。今はまだ、自身の城には初期刀とふたりきり。
 審神者は歯を食いしばって、陸奥守の脇に体を滑り込ませて支える。下ろしたてのスーツが血で汚れたが、気にもならなければ構い立てする余裕もない。
「陸奥守、平気? 立てる? ここ、どこか分かる?」
「大丈夫じゃぁ……。ここはわしの、……わしらの本丸。もんてきたぜよ、主……」
 じわ、と肩が熱く感じたのは、触れ合っているところに出血点があるから。審神者はぎょっとして一旦体を離すと、汚れたスーツを脱いで、それでギリギリと傷口を縛り上げた。それでも止まらず、手で圧迫止血をする。
「本当は担架かストレッチャーで運んでやりたいけど……人手が足りなくて。歩けないなら、ここで手入れを始めるから。道具を取ってくる、」
 言いかけた語尾がふっつりと消える。手をぐっと握りこまれたからだった。
「歩ける、……わしは大丈夫じゃ。主」
 場違いな笑顔が、苦悶の合間に覗く。こんな時になぜ、と思った瞬間、
「やき、ほがな顔すな」
「顔……?」
 思ってもみない言葉に、審神者は呆然と復唱する。陸奥守は一度深く息を吸い込んで、吐いた。
「……泣かんでええ。わしは手入れしたら、直るき。死にはせん。な?」
 そっと伸びた手が、頬をなでる。――そうしたときはじめて、自身が涙を流していたことに気づいた。
 たったこれしきのことで! 審神者は自身のふがいなさに恥じ入り、しかしそれを一瞬でおさめて、足に力を込めた。
「それなら、手入部屋へ。……苦労をかける」
 陸奥守の体重によろめきながら一歩一歩歩き出すと、弱弱しい笑い声が耳の上でする。彼は軽く体をゆすって笑っていた。
「主に寄りかかりながら行くのも、えいの……」
 それにはなんとも返せず、審神者はいますぐ消えてなくなりたいような気持ちのまま、手入れ部屋へ直行した。
 手入部屋では応急処置を施す間もなく、陸奥守は布団の上にダイブすると、寝息を立てて眠り始めた。めくられることもなかった掛け布団にじわじわと血が染み出すが、それに見ないふりをして審神者は本体の手入れを始める。
 わざとらしく置いてある手伝い札を使うと、見る間に陸奥守の傷がふさがり――衣装の修復はおろか、布団を赤く染め上げていた血痕さえも、最初からなかったかのように消失した。
 審神者はほっと安堵して、ぐったりと壁にもたれかかる。
 安堵の次に、途方もない罪悪感と後悔が押し寄せてきて、
「ああ……」
 なんとも言えない嘆き声を、審神者の唇から迸らせた。どうしようもなくて、彼女は髪の毛に指を通してぐちゃぐちゃとかき混ぜて、引きちぎらんばかりに引っ張った。
 ――こんなはずではなかった。
 初めての刀、初期刀……。彼をこんな目に遭わせるつもりなんて、毛頭なかった。孤立無援の戦場で、ひとつの装備もなくたった一口で。その胸中、いかばかりだったか。しかも戻ってきてからも、泣きそうな主を元気づけるようなことを言わせて。
 審神者失格だ――。
 そんな思いがぐるぐると心の内を旋回して、吐き気さえ催す。再び泣きそうになって、しかしこんなことで泣いていられるかと、目元を抑えてやり過ごす。
 やり過ごすことに成功すると、手入部屋を出ようとして――陸奥守に視線をやる。手入れが完了し傷がすべて修復されたことで、顔の血色も表情も見違えるほどに良い。
 一度その枕元に膝をつくと、審神者は胸のあたりにそっと触れた。当然ながら触れたところは温かく、ゆったりと、しかし確かに強く鼓動を刻んでいる。
「不甲斐ない主で、ごめん……」
 深く頭を下げると、審神者はそっと手を離し、なるべく音を立てないようにして手入部屋を去った。

 

 ――俯きながら歩く彼女は、障子の向こうで、初期刀が目を開けて天井を眺めているとは知らない。
「……審神者、か」
 陸奥守は頭の後ろで両手を組むと、しばらく前まで主の手が乗っていた胸の上に、己の手を当てた。そこはすでになんのぬくもりもない。ないはずだが、掌はなぜだかあたたくなるのを感じた。

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