03:本丸、始動 - 2/3

 本丸ではいよいよ、審神者と第一部隊の共同生活が始まった。
 審神者の想定では、最初に顕現された六口を徹底的に鍛え上げ、今後の本丸運営・刀剣男士教育のトップとしていく所存であったが――ひとつ誤算があった。
 朝餉の刻。
 食事時は広間に集まり皆で膳をならべて食べることとしていたが、だからこそ際立つものもある。
 審神者がぼーっとした目で黙々と朝食を流し込んでいると、――ぱきっと陶器の割れるような音が聞こえて目が覚める。彼女はハッと目を見開くと、咄嗟に三日月宗近の方へと視線を向け、割れた茶碗で血だらけになった様子を確認し、慌てて食器を置いて駆けつけた。
「三日月、大丈夫?! とりあえずお茶碗を置こうか」
 審神者は三日月の手から箸と割れた食器を取り除き、膳の上に置く。さっと動いたのは、目端の利く短刀と脇差だった。
「主さん。割れた食器は僕が片づけますから、そのままで」
「手入部屋に行く前に、救急箱をお持ちします」
 気の利く刀たちをしり目に、審神者はありがとうと呟いて三日月の手を取った。
「破片は……刺さってなさそうだね。でも結構ザックリいったね。とりあえず洗おうか」
「面目ない……」
 うなだれる三日月の背中をぽんとひとつ叩くと、審神者は洗い場まで連れて行った。
 その背に、同僚たちからの容赦ない言葉が飛ぶ。
「まーたやっちゃったか。力の制御ひとつとっても、個刃差ってあるんだね~」
「三日月殿も難儀なさる……」
 ――審神者の誤算とは、力をうまくコントロールできない刀剣男士の存在、だった。
 修行時代にも、こういった刀剣男士はいなかったと思う。新しく実装された刀剣男士も含めて、日常生活に差し障るほどに膂力を制御できない者というのは、珍しい。師匠に尋ねてみたが、
『うちにはいなかったわ。まあでも、たまーにそういうのがいるとは聞いてる。大当たり引いたわね~。しかもしょっぱなで三日月でしょ? 確実に持ってるわよ、アンタ』
 という返答だった。
 彼女の三日月の場合、茶碗を持ったり筆を取ったり、そういった細かな作業での出力がうまくいかないらしい。戦う分には問題がないとのことだが、彼がこれまで破壊した生活用具の数々――本丸の備品では間に合わず、すでに審神者のポケットマネーから捻出し始めている。
 備品については(頭は痛いが)目をつぶるとしても、教育といった面で後れを取っているのが、審神者の大きな誤算であった。
 出陣、遠征、刀装づくりという面で、三日月は充分に独り立ちしているのだが、根本的な、日常生活の自立という面に不安がある。先述の通り、食器や筆を割る・折るということがあるのだから、当然、優美な狩衣装束もひとりでは着ることができない。内番にしてもそうだ。畑で、厩で、道場で。破壊された備品は数知れない。
 もちろん、三日月とてわざとやっているわけでないことを、審神者は十分に理解している。今この時だってそうだ。
 厨の水道で傷口を流水で洗いながら、三日月は美しい面を消沈とさせている。風に吹かれてサラサラと飛び散ってしまいそうなほど。悄然とした姿もまた、美しいといえばそうだが。哀れといえば、言葉もないほどに哀れでもある。
「……主よ、まことにすまない」
 うなだれる三日月に、審神者は苦笑してみせた。
「大丈夫。そのうち慣れるよ」
「そのうち……。だといいがな」
 がっくりとする姿を見て、審神者は眉を下げる。
 解決策として――シリコン製の食器に変えることなども検討したが、天下五剣の三日月宗近……の矜持を思うと、どうしても踏み切れない部分があった。かといって、全員分シリコン製に変えるのも、予算的に厳しい。
「どうしたらいいかな……」
 執務室で執務机につき、審神者は頭を抱えていた。
 奥まった立地にあるとはいえ、それにしたって、日中の本丸は静かだ。現在は、平野と三日月が出陣中で、堀川と蜻蛉切が遠征中。陸奥守と次郎太刀が、それぞれ畑と厩にいるはずだ。
 静寂の中、審神者は考える。――このままでよいのか。
 当初の予定では、長くとも半月以内で第一部隊の教育が完了し、第二部隊を顕現させる手はずだった。たとえ第一部隊が未熟であるとしても、第二部隊を育てることで相互の成長が見込め、予定に狂いは生じないと踏んでいた。
 しかし、第一部隊を結成してもうすぐひと月。三日月も懸命に努力しているようだが、今朝のような事故が起きてしまう。演練などで、同時期に本丸入りした審神者たちの進捗を見ると、自身の本丸の大きな遅れを痛感し、胃が痛む。
 本丸の資源を確認する。第二部隊を顕現させるに十分な貯蓄はある。あるいは、いっそのこと三日月の代わりに。そんなことを考えて、審神者はかぶりを振る。
 顕現されたその日、彼らに宣言した。本丸の中核になってもらう、と。
 いずれも天下に名を馳せる、名刀・名槍たち。三日月宗近などその最たるものだ。……彼の物わかりの良い性格を思えば、自分が至らぬゆえと分かれば主の決定に抗いはしないだろうが。さりとて、審神者として――刀を愛するものとしては、三日月宗近のプライドを踏みにじることなどしたくない。
「あぁもう……どうしよう……」
 ついに、審神者は頭を抱えて机の天板につっぷした。しばらくそのままグダグダとしていると、
「主~、仕事頑張りゆうか~? そろそろ八つ時の休憩じゃ~」
 そんな声が尋ねてきた。
 顔を上げるのが億劫で、陸奥守が執務室に入ってきたのがわかって、審神者はむっくりと顔を上げる。
 さえない主の表情を見て、なんじゃなんじゃと初期刀はずかずかと足を踏み入れてきた。
「気分悪いなが? 熱でもあるがよ?」
 そうして審神者の前に来ると、そっと額に手のひらを乗せて、ついで自分のそれにあてる。一瞬どきりとしたのに気づかぬふりをして、大丈夫だよと審神者は答えた。
「いや……。その。第二部隊の結成について、迷ってて」
「おう。ちゅうことは、わしらぁもう合格なが?」
「いや……。それが。そこを迷ってるというか」
 眉をひそめて渋面を作った主を見て、陸奥守はその辺にあった折り畳みの脚立を引き寄せ、その上に座った。そうして執務机の天板に腕を置くと、正面から審神者を覗き込むようにする。
「なにを迷いゆう? むっちゃんに話してみいや」
 陸奥守はニッと明るい笑みを浮かべて言う。審神者は安堵して、とつとつと語り始めた。
「……三日月のこと、なんだけど」
 言葉につまったり、言葉を選んだり。訂正を繰り返し、何度も言い換えては、唸って、黙り込んで。どうにも口下手な主に、しかし陸奥守は急かすことなくじっくりと耳を傾けてくれる。
「できれば、私はこの第一部隊でいきたい。だけど育成が遅れてるのも事実で……。このまま三日月が育つのを待つか、三日月の代わりを入れるか。どうすればいいか、わからないの」
 ようやっとそういった結論に至った。陸奥守は静かにそれを聞き届けて――
「特訓する、っちゅうのはどうじゃ?」
 明るい声で提案した。
「特訓?」
 目を丸くして聞き返す審神者に、陸奥守は何事も特訓じゃ、と強調する。
「箸握るんも筆取るんも、なんちゃあ特訓やき。わしが見た限りやと、三日月殿ぁ利き手の右にばっかし気ぃ取られて、左手の制御がおぼつかんなって茶碗ばっか割りゆうがよ。そこ直したらえいやろう」
「そこを直すって、……どうやって?」
 首を傾ける審神者に、陸奥守がぬっと体を乗り出して手を伸ばし――審神者の手を取った。
「主の出番じゃ」
 目をしばたく審神者に向かって、陸奥守はいたずらっぽく片眼をつむってみせた。

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